2012年2月1日水曜日

發句集(hokku Anthology) 莫差特(モオツアルト・Mozart・1756-1791)

  發句集(hokku Anthology)

莫差特(モオツアルトMozart1756-1791)


 第一囘


Mozart『requiem(鎭魂歌)』




 莫差特(モオツアルト)の音樂を、それ程多く知つてゐる譯ではない。
 けれども、日本人の好みとしては、彼の作品の中では長調よりも短調の方が肌に合ふ。
 十九歳の作品である「交響曲(シンホニー)二十五番ト短調」も、あの年頃の青年の一抹のあえかな光と影が屈折してゐるかのやうであり、未(いま)だ嘗(かつ)て誰も足を踏み入れなかつた處(ところ)へ、十九歳の青年がもう既に其處(そこ)にゐたといふ事に、ある驚きを感じる。



 古今の作曲家を通じて、長調の莫差特が現れる可能性は、今でもなくはないだらうが、短調の莫差特は――特に長調からの轉調による短調の莫差特は、死後二百年經()つた今日も、以前として、その「悲しみ」の中の彼に「追ひつく」ものはゐない。


僅かに貝多芬(ベエトオヴエン)の數曲が、莫差特の名殘りを留めてゐる而己(のみ)である。
 それ以前には、巴哈(バッハ)や韓徳爾(ヘンデル)や、更に、毘跋留的(ヴィヴァルディ)などと言つた『歪んだ眞珠(バロック)』の音樂家達が、あの莫差特の悲しみが理解出來さうな曲を殘してゐるばかりである。


今日に到つて、世界により多くの悲しみが廣がつてゐるにも拘らず、誰もそれを表現した音樂を世に問ふてはゐない。
 布刺謨茲(ブラームス)は、希臙(ギリシア)の悲劇の主人公のやうな顔をして、音樂を悲劇的に仕立て、柴可夫斯基(チャイコフスキー)は、近代の神經衰弱の典型で、音樂を希代の神祕の迷路の中へ追ひ込んだ。


莫差特(モオツアルト)唯ひとりが、人生の純粹な悲しみを音樂に表現し得たのである。
 彼の鎮魂歌(レクイエム)を聽いた者には、何も言はなくてもいいだらう。
 この死の影を、誰が表現し得るといふのであらうか。
莫差特の音樂は、長調の曲と雖(いへど)も、貝多芬の如く人生に欺瞞的な喜びなどを表現せず、子供のやうな天眞爛漫さを見せ、就中(なかんづく)短調に於いても、布刺謨茲の短調の最大の悲劇的どころではなく、柴可夫斯基のやうに短調にのみに終る、憂愁(メランコリック)な神經衰弱でもない。その特徴は、それらの長調、短調入り亂(みだ)れた悲劇性と神經衰弱の性質さへ持ち、誰もその足元に寄せつける交響曲はない。

   死ぬ死ぬと字をつらねれば秋の風

 

§


  第二囘


Beethoven『Pathetique(悲愴)』1st.MOV with Orchestra. 




 莫差特(モオツアルト)以降、貝多芬(ベートーヴェン)の『悲愴奏鳴曲(ソナタ)』や『テンぺスト』等の短調を除けば、短調の曲は緩やかな樂章でしか表現し得なくなつた。
 それ以前は、毘跋留的(ヴィヴァルディ)も巴哈(バッハ)も韓徳爾(ヘンデル)も、速い短調で充分な悲しみを表現してゐる。
 その最たる莫差特(モオツルト)を最後にして、誰もその『悲しみが疾走』はしなかつたのである。

   灰色の木の影氷るト短調




第三囘



 莫差特(モオツアルト)の曲は切分音(シンコぺーション)が多く、それらの曲は柴可夫斯基(チャイコフスキー)の難解な切分音と違つてまるで解り易く、それでゐて、その音樂は病魔に追ひ廻されてゐるやうな緊迫感を與へる。
 「交響曲四十番ト短調」如きは、その最も好例と言へる。
 その終楽章などは、堀辰雄の「菜穂子」の一説で、都築明が雪の信濃路を惡寒に襲はれて、自問自答しながらさまよつてゐるかのやうである。

   冬枯れて悲しみ走る交響曲(シンホニー)



§


第四囘



 莫差特(モオツアルト)の短調の曲は、龝(あき)や冬の悲しみの限界を越えてしまつてゐる。
どれ程、苦心して言葉を集めて見せても、その音樂の前には色褪せてしまふ。

  憂愁の木の根に宿る冬の音


§


第五囘


Mozart『Quintet (五重奏曲)』G minor




 莫差特(モオツアルト)の短調の音樂の中でも特に「ト短調」といふ調性は、何か運命的なものを感じさせると多くの人が思つてゐるやうだが、その中で、

「ト短調五重奏曲(クインテツト)

は狂氣染みてゐる。
 尋常な人間があのやうに長調と短調を入亂(いりみだ)れて書けるものではない。
 精神が我々凡人と異なつてゐるとしか言ひやうがない。


 數秒もしない内に長調が短調に、短調が長調に轉調してゐる。
 しかも、それが自然にである。
 山に登つて行くと、次第に景色が變つて行くやうなものである。
 それは眺めてゐる人間の氣持など頓着なしに、どんどん風景が變化して、鑑賞者はただ驚く事しか許されないのである。
 莫差特の音楽が他の作曲家と違つてゐる處(ところ)は、その音楽を聽()けば自分の意志とは別に、たとへどれ程その音樂を暗記してしまつてゐても、いつも新鮮な驚きに魂を奪はれてしまふといふ事である。
 彼の音楽はさういつた錬金術師のやうな、魔法の産物としか考へられない出來榮えを示してゐる。
 莫差特の音楽が惡魔に魂を賣渡(うりわた)した代償だと聞かされても、信じられさうなぐらゐのものである。
 その爲(ため)かどうか知らないが、彼の子供の頃の肖像畫(せうざうぐわ)などを見ても、どうかしてニヤリと口を開けば、吸血鬼(ドラキユラ)のやうに口が裂けて牙でも出て來さうな、何か惡魔の申し子のやうな顏に見える時がある。
 「ト短調五重奏曲」は、布刺謨茲(ブラアムス)や柴可夫斯基(チヤイコフスキイ)の交響曲などの響きに劣らない程の量感がある。
 あれが五つの樂器だけで響いて來る音樂とは思へない。
管絃樂を一(いつせい)に鳴らしても、追ひつけるものではない。
 さうして、その音樂は貝多芬(ベエトオベン)が浪漫派の橋渡しをした事など撃破(うちやぶ)つてしまつてゐる。
 その前に、莫差特が浪漫派への橋を架けておいたのである。
 貝多芬はただその橋を一番初めに渡る事が出來たといふ光榮に浴しただけに過ぎない。
 更に、「ト短調五重奏」には難解と言はれる現代音樂をも聞取る事が可能であらう。
 莫差特こそは音樂の化身である。
 しかし、それは彼が三歳の時から受けた音樂の教育が、音樂の錬金術師に到らしめたのである。
 もし假(かり)に、彼が醫學(いがく)の教育を三歳から受けてゐたならば、彼は人命を助ける事にその錬金術を發揮したであらう。
 さうして、彼のその目的は殆ど現代には見失はれてゐる、金を儲ければそれで良いといふやうな事ではなくて、人が助かればそれで良いといふ事ばかりであらう。
 莫差特の目的は音樂を創るといふ事以外には、恐らく何物も目に入らなかつただらう。
 彼は只管(ひたすら)それに命を費やして行く。
 その擧句(あげく)、彼の生涯は音樂よりも謎に包まれて、我々の前に殘つてゐる。

   憂愁の追ひかけて行く秋の謎



§


第六囘


Tchaikovsky(1840-1893)『Andante cantabile』



 嘗て筆者は大藏司氏に、
 「莫差特の發句集が手に負えなくて云々」
 といふ手紙を送つた事がある。
 勿論、これはこんにちでもさうに違ひのだが、その中で、
 「莫差特の『ト短調五重奏曲』を絃樂合奏で聽く思ひがする」
 といふやうな事を書いた。これはその時の思ひつきには違ひなかつたが、今、實際にさうして見るとどうなるかと思つたりしてゐる。
 柴可夫斯基(チヤイコフスキイ)の『絃樂四重奏曲 第一番』の二樂章『アンダンテ・カンタアビレ』が、時々さういふ演奏をされる事があるのだから、莫差特のそれも出來ない譯はないだらう。
 しかし、その時に莫差特の音楽が我々に與(あた)へる影響を思ふと、演奏する者も、聽く者も、可成の勇氣が必要だと考へるのは筆者の獨斷(どくだん)であらうか。

   人生を謎につつませ春の遁走曲(フウガ)


§

第七囘

"Die Zauberflöte" Introduktion Zu Hilfe! zu Hilfe!









莫差特(モオツアルト(Mozart)1756-1791)の歌劇『魔笛(Die Zauberflöte)』は序曲が終つて導入部が始まると、王子がいきなり怪獣に襲はれるといふ緊張の場面から始まる。
 かういふ衝撃的な事件から始まるのは、剣戟で主人公が相手を殺害してしまふ『ドン・ジヨヴアンニ(Don Giovanni)』の時でもさうで、それは觀客を物語(ストオリイ)の中へ、のつけから引摺り込む爲であるのはいふまでもないが、その思惑はいづれの場合でも充分に成功してゐるものと思はれる。


 さうして妖しげな魔界の音樂が流れ、怪獣に襲はれた王子が状況の恐ろしさに氣絶をしてしまふと、そこへ「夜の女王」に仕へる三人の侍女が出現して怪獣を退治する。
 音樂は怪獣を退治した事と被害者を助けた歡びへと變り、觀客に安心を與(あた)へて 感情の淨化(カタルシス)が行はれる。
やがて、助け出した王子を覗いて見ると美しい若者である事が解り、すると三人の侍女は不意に若者を一人占めにしたくなつて戀の鞘當てとなる。
『鞘當て』とは歌舞伎の十八番からの出典で、一人の女性を二人の男性が爭ふことであるから、このやうに一人の男性を三人の女性が奪ひ合はうとするのに使ふのは可笑しいかも知れないが、三角関係ならぬ四角關係となつて嫉妬の火花を散らし、
自分だけが殘つて女王に事件の顛末を報せるやうに、二人の女性にそれぞれが相手に勸(すす)めるのである。
けれども、その内に自分だけが良ければ構はないといふ愚かさに氣づき、三人は和解して王子を殘したまま女王の元へと報告しに行くのである。


莫差特の音樂については以前にある人からの問ひに、こんな事を書いた事がある。

「モオツアルトの音樂が、明るくて樂しいから好きだとの事、モオツアルト、いやモットモだと思ひます。
 けれども、私の感じ方は少し違ひます。
 モオツアルトは明るい曲でも、その中に道化(ピエロ)が假面の下に身内の死を隱して演ずるやうな悲しみが含まれてゐます。
 反對に、暗く悲しい曲の時でも、パンドラの匣(はこ)の中の希望のやうに、明るい音樂を提示するのです。
 まるで人生には樂しい事ばかりはないし苦しい事ばかりもない、と教へてゐるかのやうに…。
 モオツアルトは轉調(てんてう)の天才です。
 それ故にこそ、彼の音樂は歌劇(オペラ)が最高だ、といふ所以(ゆゑん)でもあるのです。」

この文章にはなぜさうなのかといふ理由が述べられてゐない。


それを説明すれば、この歌劇の冒頭の導入部(Introduction)状況設定はかなり複雜で、

「冒頭の怪獣に襲はれた場面から王子の氣絶」
「三人の侍女による怪獣退治」
「美しい王子を巡る三人の侍女の爭奪戰」
「利己主義から脱却するといふ良心の勝利」

といふ具合で、事件を四つに分ける事が出來るだらう。
これに音樂をつけるとすれば、大抵の作曲家ならばそれぞれ四つの曲として作曲して觀客に提示する事だらう。
事實、多くの他の作曲家の歌劇を見てゐると、さういふ解り易い
 それを莫差特はたつたの一曲で表現してしまふのである。
 これこそが、莫差特をして天才の名を冠せしめてゐる最大の理由であるのではないだらうか。
 さうして、所有(あらゆる)音樂の中で歌劇こそが彼の特性を最大に生かせる所以(ゆゑん)であると、少なくとも筆者にはさう思はれるのである。


されば、

   轉調がをしへる娑婆の浮き沈み

當初はかく詠まんとすれど季語なくて、

轉調がをしへる娑婆や春往来 

 とすれど、季節は毎年めぐつて春となるも「春往来」にその趣(おもむき)を求めるは無理ならん歟。

 かくて詠まん。

轉調がをしへし花の枯れて咲く


二〇一二年二月二十二日午前六時四十四分自宅にて







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