2012年2月28日火曜日

第一發句集(The first collection of Hokku poetry)『啼血(ていけつ) (Cry violently until hematemesis )』



第一發句集
(The first collection of Hokku poetry)


『啼血(ていけつ)』
『 (Cry violently until hematemesis ) 



この作品を讀む時に、この音樂を聞きながら鑑賞して下さい。
 これは自作(オリジナル)

Motion(Mirror) (Substance) 曲 高秋 美樹彦』

 といふ曲で、YAMAHAの「QY100」で作りました。

映像は伊丹にある、

『柿衞文庫』

へ出かけた時のものです。

 雰圍氣を味はつて戴ければ幸ひですが、ない方が良いといふ讀者は聞かなくても構ひませんので、ご自由にどうぞ。 




§ 



 發句集(Collection of Hokku poetry)『啼血(ていけつ) (Cry violently until hematemesis )』は筆者の處女作である。
Weep like spewing blood


 一九六六昭和四十一丙午(ひのえうま)年から、

 一九七〇昭和四五庚戌(かのえいぬ)年までに詠んだ句を纏めたものである。

拙い作品が多いながら、捨て難く思つてゐた記憶がある。

ご鑑賞下さい。



 §



題 言


   心泣け泣きて血反吐を不如帰



§ 



    四 季    昭和四十一丙午年

   若草や人の心に萌えて見よ



   鰯雲行けども行けども追ひつかず

我が記憶に寄れば十二、三歳の頃の作にあり。
學校の歸りに詩ひし句と思ほゆ。
確かに中學生の頃と思ひしが、小學生の頃とも思へる事あり。


(あき)

   ひぐらしや名殘りぞ惜しき淡(うす)


   雪が降る兎つくるは子供だぞ

この句は十歳の作にあり。
我、童の戯れるを嘲る時あり。
今は寂しくも、その逆を望むなり。






四 季――昭和四十二丁未(ひのとひつじ)





   落第を感ずるこころ持たぬ可し

我、中學校を卒業の後、幾許(いくばく)か遊びて、その遊びにも倦怠を覺え、漸く入學したる高校を早くも落第せし時の句なり。
 これが恥多き半生の一部なり。


   わが父に手を引かれ行く朧月

   行く雁やわれ月を背にいづくんぞ

 この二句は十歳の頃の作にあり。
この二句を作りたる月日は不明なり。
 我、未だ一人立ちて行く處(ところ)の定かならず。


   春光や惜しげ見せるにはや眩し

 轉(うた)た寢の我、朝の陽射しに驚きたり。


   花曇り束の間生も忘れけり

 人生の花曇りは束の間に非ず。


   かげろふや愛するものを嬲りけり

 春ともなれば、猫も人も戀(こひ)を知るや。

   老木を儚くなしとかげろへり

   猫の戀われは吐息と消ゆるだけ




 時は夏。

   夏来ぬ部屋煙草ふかせば涙かな

 我が友人、水原氏の住みたる岡町の家に一箇月ほど泊りたる時の句なり。
 夏に夏來ぬ青空のなき暑さだけの部屋の悲しさよ。


 平日の服部緑地にて。

   ボオトひとつたださへさみしに雲の行く

 雲ひとつなくなる空の碧(あを)さは、時には如何(いかん)とも堪へ難き我にあり。


   新妻の歸りし部屋に青嵐

 我が新しき繼母(はは)の現れたるに、頗(すこぶ)る敬意を表して作りたる句なれども、繼母と書くを避けて新妻とす。


   戯れも出來ぬほどまで蚊の諄(くど)

 ぶんぶんと飛べる蚊は虫に文と書けど、文を書きし折には蟲の好かぬものなり。




   山の夜も子供がゆゑに歩む秋

 この句も十歳の頃の作にあり。
 我、この歳にて發句に魅せられたり。


   命ゆゑ手鹽(てしほ)にかけし花よ菊

 思ふに我が歳の十二の秋の作なり。




   漱石忌さりとて息は吸いにけり

 漱石を慕はんとする我なれど、蓋(けだ)しこれは藝術上の嘘にて候はん。


   スモツグに伴ふ咳や末世かな

 かかる世の中にならんは、如何なる罰なるか。

   スモツグの世の中いやだと咳をする


   しぐるるや泣きゆる宵の暗さかな

 この作の成立せし年月日は不明なり。
 記憶によれば十二歳の頃の作にあり。
 「や・かな」の二つの切字による瑕疵(かし)あるは無念なれど、遺棄するは忍びなくて書き留めぬ。


   お歳暮の翳にかくれた泣き笑ひ

 この歳の最後の句なり。




里歸りの旅――新年 昭和四十三戊申(つちのえさる) 
   


南島町

 これより後の句は、我が新しき繼母の里、三重縣の古和浦に親子四人(父・母・弟)で行きたる時の作なり。

   除夜の音を戀に托して百八つ


   年明けて明けて九時まで眠りけり
   年明けて明けて晝(ひる)までまた眠り
年明けて明けて午後まで深眠り

 この正月も不相變(あひかはらず)寢ては起き、醒めては現(うつつ)幻の我が人生を夢の中に見て、我は三度生れ變りぬ。


   歸り花戀に窶(やつ)れて早哀れ


   白々と頬に眩しけれ冬枯れて







新春―― 昭和四十三戊申(つちのえさる)
                                                                    

 五日、大坂に歸り來て。
これより後は、大坂にて作りたる句なり。


   初雪や春に降られて別れけり

 雪積りて、未だ消えざるなり。


   うとうとと雪解水の音を聞き


   薄日射し山しらじらと雪殘る


   愛しさに肩に積りし雪拂ひ

 不圖(ふと)昔に作りたるこの句を思ひ出したり。
 小學生の頃に發句に魅せられし時の句なり。





四季――昭和四十三戊申(つちのえさる)


法華経の聲も知らずに過しけり
法華経の聲も聞けずに過しけり


むざむざとけふも見事に春の暮

我の人生も斯くの如く暮れ行くか。
()れどいまだいづこにか何ぞあれかし。



   五月雨を闇に溶かして聞く夜かな

何を聞かうにも雨音ばかりなり。
人生に求めしものも、この雨音の中に聞かんとするに似たるか。


出し拔けに不如帰啼く都市の空


   梅雨を蹈む吾の不思議を噛みしめつ


   靜かなり雨の思ひやわれならん

上の句作を、今一度作り直したるものを書けば、

   なに思ふ梅雨しづかなり明けもせず

斯くの如くに有之。




   見る人のこころに任す秋の月

この作も先に書いたと同じくして、十歳頃の作にあり。
あるいは一、二年程經ちたる後かも知れず。
人の思ひに限りあらうとも、樂しさ悲しさは思ふ人のものなり。




   しぐるるや死ねばいいのに徒(ただ)泣きぬ


   日輪や誰に氣兼ねの冬温(ふゆぬく)

今年の冬は眞に奇怪なる季節であつた。
まるで不思議と温かい日が多く續いた。





四季――昭和四十四己酉(つちのととり)
                                             



   山吹の花散る音や池の端

この作も十歳の頃の作にあり。
この句は芭蕉の名句、『古池や蛙飛びこむ水のをと』と詠まれし句を意識して作りたる句と覺えてゐたり。
我が幼き日の句にあれども好みたり。


   獨り身に泣くこともなし春春春




   わたくしごと梅雨の中にて狂ひけり

   梅雨なかば狐の嫁も泣き寢入り


   暑き夜の夢は燃えたり汗の玉


   ともかくも葉月に生ける果報かな

友人の島袋君の八月の誕生日に贈りたる句なれど、新暦と舊暦との日數の誤差を正せば、八月も文月とはなりぬ。


   心して生きとし生きよ蝉直る
   心して生きとし生きよ夏も果つ

愛らしき松原女史の誕生日に贈りたる句。


   雲の峰へ歩いて行かん汝(なれ)の夢

悲しくも美しき女性、久保女史の誕生日に贈りたる句。
その後、轉じて悲しき人の性を詠めり。

   雲の峰へ行きつかんとす人が夢


   冷たさの身にしみいりぬ他人かな

他所の土地に行きて、秋を感じたり。


夏の日を生きて見てさて生きてみて


   蟇(ひきがへる)なき出すやも知れぬけふの空




   颯爽と秋めきにけり山に雲

日中はまだ暑いが、けふ午後になつて始めて空を眺めると、何かしら透明な雲と、いつもはスモツグで濁つてゐる空が、高く碧いやうに思へたので、しばらく默つて空を見てゐた。


   秋めくや涼しさうなる雲は行く


   泣く風に問はるるままの芒かな


   秋の月つかれて波にうつろひぬ

疲れてゐるのは我なるか。


   影つかむ我は朝(あした)に死なんといふ
   影つかむ我は秋にて死なんとす


   死ぬ死ぬと秋の刃物のつらさかな

秋は冷たいといふ人あり。
ひとの死を思ふ季節にもあり。


   永遠の幸はなきぞと桐一葉

また絶望と仲良き季節とも見る事の出來る感あり。


感窮(かんきは)まつて、

   秋の日の寢言で死ねぬ我を知り
   秋の日の寢言に洩らす安楽死

人は死を恐れてゐたり。
眠りもまた小さき死とは言へまいか。
その眠りの中にて死を夢見るとは。
下五句「ユウタナジイ」と讀むも可なり。


苦しさを消すがごとくに桐一葉

苦しさを消す手段は思考を消す事にあると言へり。
()れば思考を消すには肉體の苦を。
狂人――死。


うつくしき緑なくせしけふが街

我は秋になりてより斯かる一連の句を作りて數十日後の今、漸くさびしさを感じをりぬ。


   かなたには秋にさびしき雲の峰
   かなたには秋にゆつくり雲の峰


大坂にて、懷古一句。

   秋風を笑はしてみる名古屋辯

親戚の小島樣へ數日前に名古屋へ行きし折に、夜分に立寄りたる時の御禮に贈りたる句なり。
さびしき秋は笑ひもせずに。


離郷一句。

   秋にひとつ我のさびしき命かな

名古屋の親戚、江口樣へ泊りたる御禮の手紙に書きし句なり。


望郷一句。

   わが家を蹈みだしかねる秋の月

江口樣への返信の手紙に書きたる句。


秋にて。

   夏の戀をはりを見せぬ不安かな

誰かが夏の戀(こひ)を續(つづ)けてゐるといふ。
如何(いかが)ならん。


   ものひとつづつ秋の色見せにけり

ものを偲べば。


   この土地は春の櫻ぞ秋深し

岡町に櫻塚といふ處(ところ)あり。
春には名の如く櫻の美しく咲く古墳の地なり。


   菊の繪がにほひさうなる朝の部屋

菊さへも稀にしか見られぬ大坂のけふこの頃にあり。


   彼の人も秋に來たりて目の涙

芭蕉庵桃青を偲んで。


   この人も秋の重さをたへかねつ
   この人も秋の重さにたへかねつ


我 見 秋 何。

   秋に見たわれ一人だけ愛薄き

我 僻 何 乎。


   菊といふ字を書きつらねたり墨薄し

眠りたし。




旅――昭和四十四己酉(つちのととり)


四 國


十月十五日、我が友の大西氏と自動車にて、四國へ行かんと大坂を午後八時に立ぬ。
大坂を出づる時、

   彼の人の悲しみつつみ秋の旅


午後十時、國道二號線に到り、その後宇野よりフエリイボオトに乘りて、1時間後に四國の高松に着く。
午前三時半、國道十一號線を一路、松山へと行かん。
月清く、我ら二人の行く手を阻むものなからんと願ふ許りなり。
四國へ來たるは我の喜びか否か、兔も角、

   疑ひて四國四國と月に問ふ

いにしへの歌にあるが如き心境にあり。曰く、

   さびしさに宿を立ち出でてながむれば
   いづこも同じ秋の夕暮      良暹法師(りやうぜんほふし1058-1065)


午前六時頃、松山に到る。
自動車の如何に速きかを知る。
直ちに道後公園より名にし負ふ道後温泉へ行くなり。
其處は甚だうろ覺えにはあれど、生前に夏目漱石の住ひたる爲か、將又(はたまた)「坊ちゃん」と云ひし小説の舞臺にもあれば、そを記念し若しくは觀光事業とせし利用價値の多大なる爲に、道後温泉の一隅に「坊ちゃんの間」といへる一部屋のあるなり。
其處にて時間を稼ぎ居り。
その部屋の漱石の胸像と菊二輪あるを見て、大西氏は、

   菊二輪側で漱石やぶにらみ

の狂句を作り、洗車の後、松山城に登る。


それを受けて、

   松山の城のこころを悟れかし

早速に作りたる句にはあれど、發句としての命が無之。
季語なきを發句とはをかしやな。

   城は今何萬石の誇りかな

これもまたをかしくなりたる句にあり。
されば、

   秋の城何萬石の誇りかな

これで如何(いかん)


城はその姿を勝山の山上に置き、市を見渡してゐたり。
又、國鐡(こくてつ)松山驛の句碑にあるが如き、

   春や昔十五萬石の城下哉

と正岡子規(1867-1902)も詠じた城にあり。
されど現世となりては何しようものか。

   近代の城はなにせむ國は秋


松山より國道三十三號線に沿ひて、午前十一時に高知へ行かんとす。
途中、運轉を交代して假眠してをれば、大西氏が山中にて時速七十粁(キロ)の速度違反により、覆面パトカアにつかまりたると、我を起したり。
再び我が運轉にて、高知には午後四時に着きたり。
土産を買ひて後、時間の許さぬままに高松へ行く可く、國道三十三號線を數時間ほど走り、フエリイに乘りたり。
四國の陸を離るれば、家々の燈の瞬くを見られたり。

   秋暗く四國に別れの言葉なし


午後十時前後、宇野に着きて大坂に歸らんと走り出したり。
――大坂の庄内に歸り來て、大西氏は我と弟の住みたるアパアトに泊りたり。
その日、實(じつ)に十月の二十七日も未明なりき。





還――昭和四十四己酉(つちのととり)


仲 秋


   一萬圓もどらぬ秋に落しけり

腹立ちが秋の感傷をどうにかしてしまつた。
一萬圓(いちまんゑん)を落したのである。
こんな事なら、一萬圓を四國で使へば良かつたと思つた。


街に龝(あき)(しきみ)の色にむせかへり

秋に誰かが死んだといふのか。
思ふも悲しき。
我は秋を見てさまよつてゐたり。





旅――昭和四十四己酉(つちのととり)


石 川


我の勤めし會社より行きたる旅行――そは金澤にあり。
十一月二日、朝八時十分、國鐡大坂驛西口に集合。
()れど列車の手續きの手違ひにて、ひと悶着あり。
豫定より一時間半ほど遲れて大坂驛を離れん。


午後二時、その長き旅の初めを大聖寺に降りぬ。
それよりバスに乘りて、先づ行きたる所は那谷寺にあり。

   面倒な人人人の秋の寺

   那谷寺の胸の憂鬱や秋の聲

この那谷寺は芭蕉も來たりて、

   石山の石より白し秋の風

といふ斯かる句をものにしたるを知りて、我少し硬くなりたるか。

   めぐる秋思ひにむせぶ那谷の寺


その後、山代温泉の宿に泊りて、夜の九時頃に一階のダンスフオルへ一人で行くなり。

   ダンスするをんなも連れず夜は秋

暫く其處にて煙草を吸つてゐたるも、軈て我が部屋に戻りたり。
男ばかり六人で來たるにより、遊びし事も自づと決まりたり。
夜中の三時までトランプにて博打をすなり。
我は一金三阡圓(さんぜんゑん)分の菓子を得たり。
我も人生に勝てるにありや。
三時を過ぎて博打も終り、三度目の湯浴みに行きたり。
湯浴みに制限時間がある爲か、男湯の湯船に湯のなかりせば、誰一人なき事をよからんと女湯に忍び込んだり。
湯浴みにありつけたり。
四時になり、皆は眠りに就き、我ひとりのみにて、しんとすなり。
何もする事なくて、窓に目をやれば、

   硝子窓に秋夜の街とわれの顏


   眼と頬は窪んでゐたり秋の顏


三日、午後八時に起きて朝食の後、安宅の關へ行けば、與謝野晶子の歌碑あり。
その歌は筆記してをれど、敢て此處に書く氣は全く無之。
これより九谷燒の見學をし、出来上りたる陶器に「樂がき」をす。
かくして出来上りたる五つの陶器を、旅から歸りた數日の後に手にし、數人の知人に土産とす。
また、この「樂がき」を「落書き」としなきところの如何にもをかし。

   樂がきに愁思を寄せん九谷燒


加賀の國、石川県に流るる川の橋をバスにて渡れり。
橋の名は川の名と同じくして、手取といふをガイドにて知る。
手取川は、川の水よりも河原の石の方が三分の二を占めるところより、別名「石の川」と呼ばるれば、その名よりこの地を石川縣と呼びしかな。

   行く秋や加賀の所以のをかしさよ


次に見し所が日本三大公園の一つ、兼六公園にあり。
これを陸奥・北陸加賀の國の名殘りの旅とせん。

   わが戀や兼六園にてそぞろ秋


午後四時、金澤を出でて、九時に大坂へ歸り來む。
ものを言ふのも嫌になりたり。
これをなんと言はんか。

   大坂の甲斐なき人も秋に住む





還――昭和四十四己酉(つちのととり)


晩 秋


暗澹と鏡に光る秋の顏


血のついた手巾(ハンケチ)洗ふ秋の指


秋の別れに。

   行く秋と話をせむと思ひ立ち




   冬立ちて身元の知れぬ水屍體

この句は我の空想にあり。
この句より冬らしさは感じられぬなり。
ただ、この句を作りたる時の我が空想のみが、徒(いたづら)に冬の寒さを感じさせたり。


   旅立ちて何をいたした空也の

十一月十二日、この日空也は東國へ向つた。
我、いづこへ何を目的とせんか

何をしに旅立つものか空也の忌


短日はなんとも生命(いのち)の痛みあり


人生を口にするなり熱き燗


忘れものはてしてたよな一茶の忌

一茶は死にたり。
我は生きて、なほ憂鬱を。

   一茶忌に誰ぞが云ふた生活苦


日なたぼこに於ける四句。

   眼を閉ぢてたましひぢつと日なたぼこ

  世の中を無くしてしまふ日向ぼこ

  人の世が信じられずにひなたぼこ

  今こそは厭世の徒なり日向ぼこ

我はこの世の疎(うと)ましければ、日向ぼこの心境を好みたり。


   茶の味を樂しみゐたる小春かな


   雜沓にひとりごといふ白マスク


   わが如く他人も冬に閉籠(とぢこも)

誰かが、我の事を、
「自らの殻に閉籠りたる男なり」
と云へり。
()れど、人もまた我と同じくして冬に籠りたり。
但し、我はわが事を人が言ひし程、我が殻に閉籠つてゐるとは思へず。


   冬の陽と石でつくつた佛(ほとけ)見き


   口笛を消すものもなし冬の暮


   衰へた犬が吠えたり冬の夜


   頭だけ冴えたる夜ぞ腕細し


   落葉してなほは根づくあえかなり


   枯れた葉に魔法を望み火をつけん


   堰き止むる氣さへ起らん冬の川

我に似てその何とも貧弱なる姿よ。


(おほかみ)がむしばみ終へた現代人

狼は日本本土にはもうゐないといふ。
では、一體なにが人の心を斯くも貧しくしたのだらうか。
皮肉にも、狼が生存してゐた頃の古人は風流であつた。


   もういやだ世を捨て山と眠りたい

この句は、日頃わが、いや、私がいつも文語文の句ばかりを作つてゐるので、一度なりと口語文の發句を作らうと思つてゐた。
それがこの句だが、餘り感心した出來映えだはない。


顏洗ふ生死の問ひを冬の水

生と死や手を浸(ひた)しをる冬のみづ

この日一日、斯かる生死の事のみを思ひめぐらして過してゐたり。

ひしひしと冬に生死を問ひ糺(ただ)


漱石忌ふたたび息を吸ひにけり


脈打ちがおそろしくなる白き息


觸れてみる冬萌えだした枝の端


落ちてゐる腐水(ふすい)の上の冬日かな


ぞつとして睨み据ゑたり冬の月


馬鹿野郎と夜道でいきまく暮せまる

早くも誰かが酒を呷(あふ)つて息卷く聲のあり。
それ日毎に多くならんや。
人は何を、また何故に、どうせよといふのか。
それも解らず、いたづらにものを叫ぶなり。
その聲もやがて冬の空に吸ひ込まれて行くのみ。

馬鹿野郎と夜道でいきまく暮となりぬ





結――昭和四十四己酉(つちのととり)


(あゝ)、今年も終りたらんとするなり。
何も出來ぬ事のみ餘りに多くして、過ぐる毎に歳の數を心配すなり。
期せずして、今日まで書き綴りたる發句も百二十數句に及べば、如何にも亂雜(らんざつ)なる筆を執()りて、茲(ここ)に書上ぐるなり。
今年を以(もつ)て、この『啼血』も未完成とも言へる儘に筆を擱()きぬ。
()に新しき年は遽(あわただ)しくも、我を取殘せし程の勢ひにて近づきつつあるなり。
さらば古き命よ。
新しき命ぞいづく。
去年(こぞ)今年(ことし)、斯かる一年のなんと不思議なりし時にあらんや。
()れば『啼血』に於ける終焉一句。

   さだめなく雲走りたる師走かな

(てん)じて、

   風唸り雲走りたる師走かな



§


 後 記


 この『啼血』を書き終へて、私は今また『手毬唄』といふ題の發句集に、一年間百句といふ建前で書き始めてゐる。
もう三十句程も出來たであらうか。
それはともあれ、この『啼血』といふ發句集の中には昔の作品も含まれてゐるが、それは主に初期の十歳頃の作が多い。


それは私の不注意から、その頃に作つた句集を紛失してしまつたのである。
ここに書いたものは、その幼い頃の作を思ひ出した儘に、その思ひ出なり感じた事を、その時々に書き添へたものである。
昔のものは押竝(おしな)べて幼いものが多いが、私は氣に入つてゐる。
そんなものが百句以上はあつたであらうか。
私が昔に失くしたものを惜しむ氣持は一通りではないが、今となつてはどうにもしようがない。


この發句集は昭和四十一年の春先から四十四年の暮までのものを出來るだけ集めたもので、洩れたものはないと思ふが、しかし、飽くまでも出來るだけであるから、どうもこれは怪しい。


私はある人から、

「君の作品では短歌よりも發句の方が、好い」

と言はれてゐる。
私は「好い」といふ方に論はないが、「短歌よりも」といふ方には論があると思つてゐるほど鼻つ柱が強いから、相手の意見をどうしたものかと考へあぐねてゐるのである。
だが、先づ「好い」としておかう。
事實、ふつとどうでもいいと思へてしまふ事があるのだから。
私は私の發句に對して、その情緒よりも不氣味さを買つてゐる。
生と死の不氣味さや不安を十七文字で表現するのに、小氣味よさを感じてゐる。
人がこの發句集の中の一句でも、不氣味に思つてくれれば良いのである。
句が暗く悲しいのは、私の求めんところである。
人は嫌がつても構はない。
私は私の樂しみで書くのではないし、況(いはん)や人を愉しませる爲に書いてゐるものではないのだから。
私はものを書き終へたといふ事の歡びを感じてはゐない。
また、歡びを得たいと思つて書くのではないし、歡べれば良いと思つてはゐない。
私はただ與(あた)へられたものを書くだけである。
けれども、これが本當(ほんたう)に私に與へられたものであるかどうかを知る事が出來ないのは、私の最も苦しまんとする所である。



     一九七〇昭和四十五戊戌(つちのえいぬ)年皐月十六日午前零時



0 件のコメント:

コメントを投稿