2012年2月29日水曜日

第二發句集(Second collection of Hokku poetry)『草の笛(Leaf whistle)』

第二發句集
(Second collection of Hokku poetry)

『草の笛(Leaf whistle)




§ 


この作品を讀む時に、この音樂を聞きながら鑑賞して下さい。
これは自作(オリジナル)

Motion(Mirror) (Substance) 曲 高秋 美樹彦』

といふ曲で、YAMAHAの「QY100」で作りました。

映像は伊丹にある、

『柿衞文庫』

へ出かけた時のものです。

雰圍氣を味はつて戴ければ幸ひですが、ない方が良いといふ讀者は聞かなくても構ひませんので、ご自由にどうぞ。




§




發句集(Collection of Hokku poetry)『草の笛(Leaf whistle)』は筆者の二作目の作品である。

一九六六昭和四十一丙午(ひのえうま)年から、

一九七〇昭和四五庚戌(かのえいぬ)年までに詠んだ句を纏めたものである。

拙い作品が多いながら、捨て難く思つてゐた記憶がある。

ご鑑賞下さい。 






§ 








予に年古(としふ)る歳月はあれど、幼き心のいづこにも見えざり。
斯かる今も哀しく世を厭(いと)ひければ、軈(やが)ての日にも幼き心を得られざらんことを、予は覺悟してゐたり。
これ何人(なんぴと)と雖(いへど)も、予に安らげる幼き心の境地、與(あた)ふるを能(あた)はず。
()れば、いつか予の口より出づる詩歌以()て、せめて幼き心の世界を正月に當(あた)り、たましひを込めて創らんと思ひついたり。
これを不肖なる予は、魅了されたつが如くに、いざ一年(ひととせ)の建前とせん。

   ひとり世に百まで手毬つき唄ふ

時に昭和四十五庚戌(かのえいぬ)年正月朔日未明




§




第二發句集『草の笛』


題 言




   かなたより雲ふるはせて草の笛








正 月


元旦――。
予は三重縣度會(わたらひ)郡古和浦にこの身を置けり。
古和浦は繼母の里にあり。
予を含めたる父と繼母と弟二人の家族は、昨年の師走の三十日に大坂を出でて四、五時間の後、古和浦に着きぬ。
古和浦には七十歳になる繼母の兩親が、廣き屋敷に閑として二人だけの生活を營めり。


古和浦が繼母の親戚はいたく多かり。
その數の多き故に、予はこの村は親族の寄り集まりにて出來たる村かと思ひし程なり。
()れば、村人の家族及び予に對せし世話振りは、最早他人の影を拭ひ去りたるも同然といへる感あり。
これ素朴なる人柄ゆゑに相違なき、と感じたるも甚だしき。
都會には失せたるものにあり。


正月を古和浦にて過すは、予の二度目の經驗なり。
一度目は二年前に來たりて、山火事を見たる故によく覺えてゐたり。
この地は海と山とに壓()されてあり。
伊勢柏崎より來たれば、バスにて一時間の乘車にて峠を二つ越えて來たる所なり。
古和浦の地は正面に空と海の開けてあり、その背後は餘りに山多くして峠の數を知るも能はず。
かくて二度目の訪問となるなり。


正月に無聊(ぶれう)を託(かこ)ち、眠るばかりなり。
また、この地に遊ぶ所は全く無之けれども、風流を解せし者にあれば、頗(すこぶ)る有難き場所と思へり。
更に、人の少なきを以(もつ)て思ふれば、かかる地は無比に近きと云へり。

   海空がひとつに見ゆる三つの朝


二 日 


二日。
生を受けてより幾度も正月を迎ふれど、予は未だに正月の何が芽出たきかを不知。

日數を重ねしばかりと思ほゆ。
天地極まらず、予の生ある限りは、如何(いかん)ともこの氣持のやり場なきを知りぬ。
斯くも人に疎まれ、猶更、正月に笑ひを知り得ずして、人の倍も眠り、頭痛くなりて年を重ねる事を憚れず。

かくあれと上り双六ひと年(とせ)

()れば双六はせねど、人の世に「上り」あるを予は願ふなり。
その「上り」の死に非ざる事をも。





三 日


三日。
目覺め惡しくして茫然とすなり。
頭の中に何もなくて身體(からだ)重し。

   我が獏は夢そのものを喰らひけり

獏は惡夢のみを喰ふに非ず。
予に於いては獏が爲に、夢は見られるものに非ず。
獏は隔てなく、哀樂ともに現實の夢を喰らひたり。





四 日

 
暖かき心地は格別と申せし新春なり。
外は風のある可くも見ゆるが、茶を呑みし予には何しようものか。
父は弟と午後の釣りを樂しみたると繼母の言ふ。
予は近き廣場に集まりたる幼兒の聲を、聞かんともせずに耳に受けたり。

   手毬唄覺えた年も二十歳かな

不圖、出でたる句なり。
閑とせし家の中ゆゑ、予の心を隅に小さくあるなり。





五 日


餘りの寒さに目の開くなり。
今年の正月は日より暖かきゆゑ、それのみを樂しみをれど、予の氣がつけば、窓の外に雪のチラと降りたるを見る。

   初雪やまづ一番に鼻の上

けふは大阪へ歸る日にあり。
早朝に古和浦を立つと雖も、午後になりたるを予が家の慣例とす。
風強く、空を見遣るも、雪荒るるは明らかなる可し。
予らは古和浦の人々と別れてより、父の運轉したる自動車に乘りて大坂へと向ふなり。

   初雪や道二筋に分かれけり

鈴鹿峠に近くなりて、雪、形ありしものを虚像と化し、元の姿を止どむる所を不知。
鈴鹿峠に到りて、自動車にタイヤチエエンを必要とす。
山道の端々に轉落したりし幾つかの車を認め、あるいは岩壁にぶつかりたる車もあり。
雪の中を走りたる予らが車の車體は氷りつきて、氷柱をも見えたり。
雪は勢ひを弱めずして、強くなりたるばかりなり。
その情緒風景は絶なれど、ひとたびこの寂たる樣の恐ろしさを秘めたるを見るは容易(たやす)きかな。

   降り初むる雪のさだめも風まかせ


   見渡せば林を前に雪吠えぬ


   峠より雪にけぶれる街の影

鈴鹿峠を越ゆれど、雪、いまだ斜めに流れたり。
車多くして、田畑に轉落したるも見るあり。
予が父はなにを恐るるに足らん、と車を從はすなり。
雪降りて空暗くあれども、いつか陽の出でたるを見る。
今、越え來たる鈴鹿峠を振返りて見やれば、

   太陽にひかり散り初む峰の雪


   太陽と雪のまぶしき刹那かな


   降りしきる雪や人なき道の上


   雪けむり人の住みたる情けゆゑ


   うつせみの街しろくして雪の影

かかる雪の激しき街なれば、人の姿は絶えて、その街の靜かなりしたたずまひは、いにしへの心を偲びたるが如し。
予は、この街に如何なる由緒のありしかを不知。
また、この街の名は雪に埋れたるが如く、予に知らしむる術のなかりしぞ、と早くも街を過ぎ行くなり。

   雪野路を汽車の行手や明渡り


   入相の鐘の音洩る春の雪


   雪の街外れて人に逢ひし息


   例外の墓場もやがて銀世界


   戒名も埋れて見えず雪の外


   雪降りて探られさぐる佛心情

寺のある街にて、とは予の空想にある。


   空想の雪降るごとにふるごとに

この句はむしろ一茶的と言へる句にあり。


   初雪や命ふるへて湯を啜る

車の中にて走り去る景色を眺めもせず、水筒に入れてありし湯をひとり呑みたり。
寒さなほも甚だしき。

   雪觸れて消えて命の幾許ぞ


やがて甲賀の忍者屋敷なども見えたり。
浪漫に富みし國なり。

   夕映えや雪の甲賀へ獨り消ゆ


   雪や春空想の句を五七五

泉の如く發句の湧き出づる一日なり。
さて、栗東に來たれば雪もまばらにて、名神高速道路に入りたれば雪に別れんとするのみ。
かくて大坂へ車を走らせるなり。
大坂に着いたれば眠るばかりなり、と車の中にて寢てゐたり。


六 日


一日の大半を寢て過し、なにも言へずにゐたり。
冷える部屋の何に例へる術もがな。

   安心も溜息まじり浪花かな


七 日


何を喰へといふや。
をかしくも人はなにをか喰ふ日と思ひをる。
予は友人の高橋氏と珈琲を飲むのみにあり。


   人の日の深夜喫茶のひそひそと


高橋氏と別れて部屋に戻り、一人身ゆゑに粥を喰ふ當てなくて、かの友の置いて行きたる林檎を喰ふなり。


九 日


作年の暮に辭()めた會社へ手紙を書くなり。
予は世話になりたるを理不盡にも退社したるなり。
迷惑甚だしきと思ふ故、申し譯なさに詫びること頻りなり。


   あらたまの年に皺寄す去年(こぞ)の罪


古和浦より五日に歸り來たれば、年賀状多く有之。
()れば、その返事をご苦勞にも書き始めたり。


   めでたさも項垂るるほど春の外


十 日


漸く手紙を書き終へたり。
いま午前三時なり。
一秒過ぐるごとに一年もかくあると思ふ悲しさ。


   古びたる後家の住ひの蜜柑かな


十一日


不相變(あひかはらず)深夜になりても眠らぬ氣儘を實行してゐたり。
けふもけふとて目を覺ましたるは、午後の三時にあり。
幾ら慣れたるとは雖も、流石に予も頭痛し。


   夜行蟲ねむりも醒めぬ冬の晝(ひる)


「夜行蟲」は夏の季語なれど、「夜行性」と改むるを良とせず、季節外れを意とせんか。



彌生(やよひ) 某日


某日、その日、大坂に珍しくも雪の降りたるなり。
都會のビルの間に降る雪の、また別の美しさを見たる思ひなり。


   わが心ひとつへだてた外に雪


   雪舞ふや窓をへだててもの思ふ


   はるかなる雪や都會にもの申す


   遠くより來たれる雪も白さゆゑ


   雪止みてまた降り出しぬ町の色


   雪舞ひて戀に燃えたる人を見つ


   霏々として町泣き濡るる雪の中


   春の雪笑へぬ男となりにけり


彌 生 三十日


三十日、雨の降りたり。


   かなしみのとほり一遍春の雨


卯 月 六日


六日、讀賣新聞大阪本社へアルバイトで働き出してより、既に一箇月が過ぎたり。
滝充宏氏と知遇を得る。


   それゆゑにおどけんとする春思かな
   春愁やおどけんとするそれゆゑに


   蝙蝠や人にかはりて泣くゆふべ


     關聯記事

蝙 蝠(かうもり)
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=52750695&comm_id=4699373



卯 月 某日


日時不明なり。


   花ひとつかぎろふ中に舞ひにけり


   そつとしておくものにありすみれ草


   菜の花や陽の當りたるひと處


   山ありき川ありき村春なりき


   うつうつと靄あやしげな山の影


   花曇り死の影蹈んで墓地の中


皐 月


   戀よりも生さへ疲れ果てた春


   悲しみはつもるほどあり春の闇


   胸の蔭痞(つか)へたままに春の果


   なにくはぬ顏してをれど春も暮


   足るといふ事まだ知らぬらし春の暮
人は上ばかりを見てゐたり。


   鬱として不如帰啼き明け初むる


四日、わが誕生日に新鮮さはなし。
されば島袋氏に贈りたる句をひねりたるのみ。
   よくもまあ五月に生けるしぶとさよ


五月雨に澄みたるものが濁りけり

夏立てばまた人の目に戀ふる色
夏にまた悲しみひとつ戀の色
夏立てば悲しくもまた人戀ふる

ことさらに紅が目に入る麝香撫子(カアネエシヨン)

あぢさゐの匂ふが如き手紙かな
匂はぬ花なればこそ句に詠まん。

憂鬱な涙にひかる夏の艷


水無月


   夏の身が罪を背負ひて影細し

   夏來ればもの吐き出して死にたしも

   ひんやりと白雲を追ふ死への道

   茫々と人の道あり夏の雨

   日輪をひんやりと見し夏の朝

堂々と、
   おくびにも世を果敢なみぬ夏の山

   ひとすぢに夏の燈臺白き道

   夏立つや眦(まなじり)喝と世を見やれ

   夏の山思ひしづかや木々の樣

   炎天やおくれとるまい己が道

   まだ暑き晝(ひる)に最後の戀燃えて

   ヴイイナスや頭の中に白き泡
十九日、この二句は山田祥子女子の誕生日に贈りたりものなり。
色紙に書きたれども、十九歳を二十歳と勘違ひしてゐたり。
   白鷺のその白くあれ白くあれ

   梅雨暗くまだ見ぬ人に逢ひたしも


文 月


   耕しつ夏の荒れ道歩みけり

十六日、大西氏と京都の祇園祭に行くなり。
人の甚だしき樣を見て、
   外人のおどろきもせぬ祇園かな 賢二
と大西氏が詠むなり。
これは祇園祭の世界的になりたる所以(ゆゑん)と講釋を附けるなり。
(さて)、余はと言はばいふを待たず、詠みも詠んだり。
   いきいきと祇園の道の續きける
   活きいきと祇園や人の道ばかり

   夢の道歩きつかれた祇園かな

   塵をふと忘れたる祇園かな
   塵勞により疲れたる祇園かな
余と大西氏とは夜中まで過してのち、大坂へ歸りたり。


廿日、大西氏と自動車にて琵琶湖を一周するなり。
   蜉蝣の透けて膝元とほりけり
今日さへ學校に行かば明日より夏休みにて、その爲に早く歸らんと琵琶湖大橋を横斷する途中にて速度違反の疑惑ありて捕まるも、運よく警告のみにて難を免れて學校にも無事()きたり。


二十四日、ついでに生きたる者にあれば、またついでに死ぬる事も道理といへるものにある歟()
   河童忌やわれはついでの命かな


葉 月


秋立つや誰も見つけぬ水の色

やがてまた悲しみさそふ秋の旅


長 月


   立止まり立止まりつつ秋の空

   雙眸のなんとはなしに秋の色

   空ありて傳説の樹が月の中

   戸を開けて入り來たりた秋の顏

   夕陽より生れ出でたる蜻蛉かな

   たましひの行きつくところ秋の暮

   いと高く高くあれ空と夢
松原女史の誕生日に贈りたる句なり。


神無月


十九日、名古屋へ行く途中の汽車にて。
   なにいゑに耳鳴りのする秋の夜

   ひいと泣く秋もおはりの旅の風

   しあはせのチツチと耳の側で秋
この世界に共に生きる蟲の聲あり。

   秋は風仕方がなしに街の外

   人の世の愁ひを越えて天高し

   世が世ならせめて柘榴にあやかれん
確かヴアレリイ(1871-1945)の言葉に「自らの叡智に割れてしまふ」と言はれた柘榴(ざくろ)を見て。

   秋の雨降つた證(あかし)や塀の色

   秋風やわがたましひの行き處

   清き月あまりに添はぬ心かな

   露の世はわれを忘れて去り行かん

余はこの秋に、自身が一體(いつたい)どれほど信じられる事が出來得るかを試して見る心算(つもり)なり。
   他の人も信じられずに秋の下
   他の人の信じられない秋の聲
さうしてこの秋はつひに、
   他の人が信じられぬまま秋の暮


霜 月


   續く限り星を數へて秋果かな

   負け犬のしぐるる
雨にひとりぼち

   ひとつ身のわれは鮑(あはび)ぞ行くや秋
芭蕉翁を偲んで。

六日、予が一生に何があるかと思ふ悲しさ。
予は文章を書き殘すのみ。
何をかを求めて文を綴るのみ。
   兒の産めるをんなよ我は秋惜しむ

   昔ほどたれも通らん冬の道

   冬の日や頼るものなく暮しけり

   冬の陽や鬢をかすめて沈みけり

   約束も延ばしのばしで短き日

   冬雲やまるで空より上に浮く

   木のごとく動かず鳴かず冬の鳥

   みづどりやわれは岸邊で見るばかり
水鳥は岸邊へ上がつて來ようとはしなかつた。
陸地の住みにくさを知つてゐるのだらうか。


極 月


九日、「今晩は」と予に訪ねる人のあり。
誰かと問はば「漱石ぞ」と答ふ。
   年一度來たりた客も漱石忌

   終電車待つ手持ち無沙汰や驛寒し

   人徳の厚きといはれし人が鎌鼬(かまいたち)

   むかし死んだ狂ひをんなが冬の月
   人なくも狂女の聲が冬の月
この第一句目はもつと直接的な表現だつたが、かくは改めたり。

   部屋の湯氣に窓邊のをんなくもりけり

   降誕祭(クリスマス)祈る氣持もさらさらに

   思ひ出の手袋ひとつ左だけ
ひとつの手袋を彼女と分けて裸の手をつないだり、あるいはそれぞれの互ひのポケツトに手を入れあつて物語りせんとの空想なり。



 §


後 記


この作品は、始め「手毬唄」と題してゐた。
それが「草の笛」と變つた理由は簡単である。
「序」にも書いてある通り日記風にするつもりが、正月も十一日で筆者が書く事を抛棄してしまつたので日記が續かなかつたからである。
それでも發句だけは書き留めておいたから、なんとか纏めることが出來てこんにちの形となつたのである。
要するに、それに當つて題名をその儘にしておくのは、筆者が良心の呵責に耐へ切れなかつたといふだけの事である。


發句の創作日も不明で纏めるのに苦勞をしたが、今囘の發句集は本當に發句だけの句集となつてしまつた。
 けれども、この句集の中に自信の作は可成ある。
例によつて人を薄氣味惡がらせたり、恐ろしくさせたりする雰圍氣の句も含まれてゐて、それ以外に今囘は大らかな自然も詠んでゐる。
兔に角、筆者としても新しい言葉を探すのに懸命であるが、なかなかうまく行かない。


この作品は昭和四十五年度の作のもので、纏めるのに實に四年の歳月を費やしてゐる。
しかし、決して筆者はサボつてゐた譯ではない。
筆者も人間である以上、食事もすれば睡眠もする。
生活をする爲には金錢を得なければならない。
さうすると、自ずから働かざるを得ない。
その間を縫つてものを書き、まづその前に着想するのだからそれほど閑のあらう筈がない。


 第三集は『霧鐘』といふ題がついてゐる。
この題名が變るかどうかを樂しみにされては適はないが、それがどうなるか筆者にもそれは解らない。
案外樂しんでゐるのは、筆者だけかも知れないが……。


一九七三昭和四十八癸丑(みずのとうし)年葉月二日午前六時





2012年2月28日火曜日

第一發句集(The first collection of Hokku poetry)『啼血(ていけつ) (Cry violently until hematemesis )』



第一發句集
(The first collection of Hokku poetry)


『啼血(ていけつ)』
『 (Cry violently until hematemesis ) 



この作品を讀む時に、この音樂を聞きながら鑑賞して下さい。
 これは自作(オリジナル)

Motion(Mirror) (Substance) 曲 高秋 美樹彦』

 といふ曲で、YAMAHAの「QY100」で作りました。

映像は伊丹にある、

『柿衞文庫』

へ出かけた時のものです。

 雰圍氣を味はつて戴ければ幸ひですが、ない方が良いといふ讀者は聞かなくても構ひませんので、ご自由にどうぞ。 




§ 



 發句集(Collection of Hokku poetry)『啼血(ていけつ) (Cry violently until hematemesis )』は筆者の處女作である。
Weep like spewing blood


 一九六六昭和四十一丙午(ひのえうま)年から、

 一九七〇昭和四五庚戌(かのえいぬ)年までに詠んだ句を纏めたものである。

拙い作品が多いながら、捨て難く思つてゐた記憶がある。

ご鑑賞下さい。



 §



題 言


   心泣け泣きて血反吐を不如帰



§ 



    四 季    昭和四十一丙午年

   若草や人の心に萌えて見よ



   鰯雲行けども行けども追ひつかず

我が記憶に寄れば十二、三歳の頃の作にあり。
學校の歸りに詩ひし句と思ほゆ。
確かに中學生の頃と思ひしが、小學生の頃とも思へる事あり。


(あき)

   ひぐらしや名殘りぞ惜しき淡(うす)


   雪が降る兎つくるは子供だぞ

この句は十歳の作にあり。
我、童の戯れるを嘲る時あり。
今は寂しくも、その逆を望むなり。






四 季――昭和四十二丁未(ひのとひつじ)





   落第を感ずるこころ持たぬ可し

我、中學校を卒業の後、幾許(いくばく)か遊びて、その遊びにも倦怠を覺え、漸く入學したる高校を早くも落第せし時の句なり。
 これが恥多き半生の一部なり。


   わが父に手を引かれ行く朧月

   行く雁やわれ月を背にいづくんぞ

 この二句は十歳の頃の作にあり。
この二句を作りたる月日は不明なり。
 我、未だ一人立ちて行く處(ところ)の定かならず。


   春光や惜しげ見せるにはや眩し

 轉(うた)た寢の我、朝の陽射しに驚きたり。


   花曇り束の間生も忘れけり

 人生の花曇りは束の間に非ず。


   かげろふや愛するものを嬲りけり

 春ともなれば、猫も人も戀(こひ)を知るや。

   老木を儚くなしとかげろへり

   猫の戀われは吐息と消ゆるだけ




 時は夏。

   夏来ぬ部屋煙草ふかせば涙かな

 我が友人、水原氏の住みたる岡町の家に一箇月ほど泊りたる時の句なり。
 夏に夏來ぬ青空のなき暑さだけの部屋の悲しさよ。


 平日の服部緑地にて。

   ボオトひとつたださへさみしに雲の行く

 雲ひとつなくなる空の碧(あを)さは、時には如何(いかん)とも堪へ難き我にあり。


   新妻の歸りし部屋に青嵐

 我が新しき繼母(はは)の現れたるに、頗(すこぶ)る敬意を表して作りたる句なれども、繼母と書くを避けて新妻とす。


   戯れも出來ぬほどまで蚊の諄(くど)

 ぶんぶんと飛べる蚊は虫に文と書けど、文を書きし折には蟲の好かぬものなり。




   山の夜も子供がゆゑに歩む秋

 この句も十歳の頃の作にあり。
 我、この歳にて發句に魅せられたり。


   命ゆゑ手鹽(てしほ)にかけし花よ菊

 思ふに我が歳の十二の秋の作なり。




   漱石忌さりとて息は吸いにけり

 漱石を慕はんとする我なれど、蓋(けだ)しこれは藝術上の嘘にて候はん。


   スモツグに伴ふ咳や末世かな

 かかる世の中にならんは、如何なる罰なるか。

   スモツグの世の中いやだと咳をする


   しぐるるや泣きゆる宵の暗さかな

 この作の成立せし年月日は不明なり。
 記憶によれば十二歳の頃の作にあり。
 「や・かな」の二つの切字による瑕疵(かし)あるは無念なれど、遺棄するは忍びなくて書き留めぬ。


   お歳暮の翳にかくれた泣き笑ひ

 この歳の最後の句なり。




里歸りの旅――新年 昭和四十三戊申(つちのえさる) 
   


南島町

 これより後の句は、我が新しき繼母の里、三重縣の古和浦に親子四人(父・母・弟)で行きたる時の作なり。

   除夜の音を戀に托して百八つ


   年明けて明けて九時まで眠りけり
   年明けて明けて晝(ひる)までまた眠り
年明けて明けて午後まで深眠り

 この正月も不相變(あひかはらず)寢ては起き、醒めては現(うつつ)幻の我が人生を夢の中に見て、我は三度生れ變りぬ。


   歸り花戀に窶(やつ)れて早哀れ


   白々と頬に眩しけれ冬枯れて







新春―― 昭和四十三戊申(つちのえさる)
                                                                    

 五日、大坂に歸り來て。
これより後は、大坂にて作りたる句なり。


   初雪や春に降られて別れけり

 雪積りて、未だ消えざるなり。


   うとうとと雪解水の音を聞き


   薄日射し山しらじらと雪殘る


   愛しさに肩に積りし雪拂ひ

 不圖(ふと)昔に作りたるこの句を思ひ出したり。
 小學生の頃に發句に魅せられし時の句なり。





四季――昭和四十三戊申(つちのえさる)


法華経の聲も知らずに過しけり
法華経の聲も聞けずに過しけり


むざむざとけふも見事に春の暮

我の人生も斯くの如く暮れ行くか。
()れどいまだいづこにか何ぞあれかし。



   五月雨を闇に溶かして聞く夜かな

何を聞かうにも雨音ばかりなり。
人生に求めしものも、この雨音の中に聞かんとするに似たるか。


出し拔けに不如帰啼く都市の空


   梅雨を蹈む吾の不思議を噛みしめつ


   靜かなり雨の思ひやわれならん

上の句作を、今一度作り直したるものを書けば、

   なに思ふ梅雨しづかなり明けもせず

斯くの如くに有之。




   見る人のこころに任す秋の月

この作も先に書いたと同じくして、十歳頃の作にあり。
あるいは一、二年程經ちたる後かも知れず。
人の思ひに限りあらうとも、樂しさ悲しさは思ふ人のものなり。




   しぐるるや死ねばいいのに徒(ただ)泣きぬ


   日輪や誰に氣兼ねの冬温(ふゆぬく)

今年の冬は眞に奇怪なる季節であつた。
まるで不思議と温かい日が多く續いた。





四季――昭和四十四己酉(つちのととり)
                                             



   山吹の花散る音や池の端

この作も十歳の頃の作にあり。
この句は芭蕉の名句、『古池や蛙飛びこむ水のをと』と詠まれし句を意識して作りたる句と覺えてゐたり。
我が幼き日の句にあれども好みたり。


   獨り身に泣くこともなし春春春




   わたくしごと梅雨の中にて狂ひけり

   梅雨なかば狐の嫁も泣き寢入り


   暑き夜の夢は燃えたり汗の玉


   ともかくも葉月に生ける果報かな

友人の島袋君の八月の誕生日に贈りたる句なれど、新暦と舊暦との日數の誤差を正せば、八月も文月とはなりぬ。


   心して生きとし生きよ蝉直る
   心して生きとし生きよ夏も果つ

愛らしき松原女史の誕生日に贈りたる句。


   雲の峰へ歩いて行かん汝(なれ)の夢

悲しくも美しき女性、久保女史の誕生日に贈りたる句。
その後、轉じて悲しき人の性を詠めり。

   雲の峰へ行きつかんとす人が夢


   冷たさの身にしみいりぬ他人かな

他所の土地に行きて、秋を感じたり。


夏の日を生きて見てさて生きてみて


   蟇(ひきがへる)なき出すやも知れぬけふの空




   颯爽と秋めきにけり山に雲

日中はまだ暑いが、けふ午後になつて始めて空を眺めると、何かしら透明な雲と、いつもはスモツグで濁つてゐる空が、高く碧いやうに思へたので、しばらく默つて空を見てゐた。


   秋めくや涼しさうなる雲は行く


   泣く風に問はるるままの芒かな


   秋の月つかれて波にうつろひぬ

疲れてゐるのは我なるか。


   影つかむ我は朝(あした)に死なんといふ
   影つかむ我は秋にて死なんとす


   死ぬ死ぬと秋の刃物のつらさかな

秋は冷たいといふ人あり。
ひとの死を思ふ季節にもあり。


   永遠の幸はなきぞと桐一葉

また絶望と仲良き季節とも見る事の出來る感あり。


感窮(かんきは)まつて、

   秋の日の寢言で死ねぬ我を知り
   秋の日の寢言に洩らす安楽死

人は死を恐れてゐたり。
眠りもまた小さき死とは言へまいか。
その眠りの中にて死を夢見るとは。
下五句「ユウタナジイ」と讀むも可なり。


苦しさを消すがごとくに桐一葉

苦しさを消す手段は思考を消す事にあると言へり。
()れば思考を消すには肉體の苦を。
狂人――死。


うつくしき緑なくせしけふが街

我は秋になりてより斯かる一連の句を作りて數十日後の今、漸くさびしさを感じをりぬ。


   かなたには秋にさびしき雲の峰
   かなたには秋にゆつくり雲の峰


大坂にて、懷古一句。

   秋風を笑はしてみる名古屋辯

親戚の小島樣へ數日前に名古屋へ行きし折に、夜分に立寄りたる時の御禮に贈りたる句なり。
さびしき秋は笑ひもせずに。


離郷一句。

   秋にひとつ我のさびしき命かな

名古屋の親戚、江口樣へ泊りたる御禮の手紙に書きし句なり。


望郷一句。

   わが家を蹈みだしかねる秋の月

江口樣への返信の手紙に書きたる句。


秋にて。

   夏の戀をはりを見せぬ不安かな

誰かが夏の戀(こひ)を續(つづ)けてゐるといふ。
如何(いかが)ならん。


   ものひとつづつ秋の色見せにけり

ものを偲べば。


   この土地は春の櫻ぞ秋深し

岡町に櫻塚といふ處(ところ)あり。
春には名の如く櫻の美しく咲く古墳の地なり。


   菊の繪がにほひさうなる朝の部屋

菊さへも稀にしか見られぬ大坂のけふこの頃にあり。


   彼の人も秋に來たりて目の涙

芭蕉庵桃青を偲んで。


   この人も秋の重さをたへかねつ
   この人も秋の重さにたへかねつ


我 見 秋 何。

   秋に見たわれ一人だけ愛薄き

我 僻 何 乎。


   菊といふ字を書きつらねたり墨薄し

眠りたし。




旅――昭和四十四己酉(つちのととり)


四 國


十月十五日、我が友の大西氏と自動車にて、四國へ行かんと大坂を午後八時に立ぬ。
大坂を出づる時、

   彼の人の悲しみつつみ秋の旅


午後十時、國道二號線に到り、その後宇野よりフエリイボオトに乘りて、1時間後に四國の高松に着く。
午前三時半、國道十一號線を一路、松山へと行かん。
月清く、我ら二人の行く手を阻むものなからんと願ふ許りなり。
四國へ來たるは我の喜びか否か、兔も角、

   疑ひて四國四國と月に問ふ

いにしへの歌にあるが如き心境にあり。曰く、

   さびしさに宿を立ち出でてながむれば
   いづこも同じ秋の夕暮      良暹法師(りやうぜんほふし1058-1065)


午前六時頃、松山に到る。
自動車の如何に速きかを知る。
直ちに道後公園より名にし負ふ道後温泉へ行くなり。
其處は甚だうろ覺えにはあれど、生前に夏目漱石の住ひたる爲か、將又(はたまた)「坊ちゃん」と云ひし小説の舞臺にもあれば、そを記念し若しくは觀光事業とせし利用價値の多大なる爲に、道後温泉の一隅に「坊ちゃんの間」といへる一部屋のあるなり。
其處にて時間を稼ぎ居り。
その部屋の漱石の胸像と菊二輪あるを見て、大西氏は、

   菊二輪側で漱石やぶにらみ

の狂句を作り、洗車の後、松山城に登る。


それを受けて、

   松山の城のこころを悟れかし

早速に作りたる句にはあれど、發句としての命が無之。
季語なきを發句とはをかしやな。

   城は今何萬石の誇りかな

これもまたをかしくなりたる句にあり。
されば、

   秋の城何萬石の誇りかな

これで如何(いかん)


城はその姿を勝山の山上に置き、市を見渡してゐたり。
又、國鐡(こくてつ)松山驛の句碑にあるが如き、

   春や昔十五萬石の城下哉

と正岡子規(1867-1902)も詠じた城にあり。
されど現世となりては何しようものか。

   近代の城はなにせむ國は秋


松山より國道三十三號線に沿ひて、午前十一時に高知へ行かんとす。
途中、運轉を交代して假眠してをれば、大西氏が山中にて時速七十粁(キロ)の速度違反により、覆面パトカアにつかまりたると、我を起したり。
再び我が運轉にて、高知には午後四時に着きたり。
土産を買ひて後、時間の許さぬままに高松へ行く可く、國道三十三號線を數時間ほど走り、フエリイに乘りたり。
四國の陸を離るれば、家々の燈の瞬くを見られたり。

   秋暗く四國に別れの言葉なし


午後十時前後、宇野に着きて大坂に歸らんと走り出したり。
――大坂の庄内に歸り來て、大西氏は我と弟の住みたるアパアトに泊りたり。
その日、實(じつ)に十月の二十七日も未明なりき。





還――昭和四十四己酉(つちのととり)


仲 秋


   一萬圓もどらぬ秋に落しけり

腹立ちが秋の感傷をどうにかしてしまつた。
一萬圓(いちまんゑん)を落したのである。
こんな事なら、一萬圓を四國で使へば良かつたと思つた。


街に龝(あき)(しきみ)の色にむせかへり

秋に誰かが死んだといふのか。
思ふも悲しき。
我は秋を見てさまよつてゐたり。





旅――昭和四十四己酉(つちのととり)


石 川


我の勤めし會社より行きたる旅行――そは金澤にあり。
十一月二日、朝八時十分、國鐡大坂驛西口に集合。
()れど列車の手續きの手違ひにて、ひと悶着あり。
豫定より一時間半ほど遲れて大坂驛を離れん。


午後二時、その長き旅の初めを大聖寺に降りぬ。
それよりバスに乘りて、先づ行きたる所は那谷寺にあり。

   面倒な人人人の秋の寺

   那谷寺の胸の憂鬱や秋の聲

この那谷寺は芭蕉も來たりて、

   石山の石より白し秋の風

といふ斯かる句をものにしたるを知りて、我少し硬くなりたるか。

   めぐる秋思ひにむせぶ那谷の寺


その後、山代温泉の宿に泊りて、夜の九時頃に一階のダンスフオルへ一人で行くなり。

   ダンスするをんなも連れず夜は秋

暫く其處にて煙草を吸つてゐたるも、軈て我が部屋に戻りたり。
男ばかり六人で來たるにより、遊びし事も自づと決まりたり。
夜中の三時までトランプにて博打をすなり。
我は一金三阡圓(さんぜんゑん)分の菓子を得たり。
我も人生に勝てるにありや。
三時を過ぎて博打も終り、三度目の湯浴みに行きたり。
湯浴みに制限時間がある爲か、男湯の湯船に湯のなかりせば、誰一人なき事をよからんと女湯に忍び込んだり。
湯浴みにありつけたり。
四時になり、皆は眠りに就き、我ひとりのみにて、しんとすなり。
何もする事なくて、窓に目をやれば、

   硝子窓に秋夜の街とわれの顏


   眼と頬は窪んでゐたり秋の顏


三日、午後八時に起きて朝食の後、安宅の關へ行けば、與謝野晶子の歌碑あり。
その歌は筆記してをれど、敢て此處に書く氣は全く無之。
これより九谷燒の見學をし、出来上りたる陶器に「樂がき」をす。
かくして出来上りたる五つの陶器を、旅から歸りた數日の後に手にし、數人の知人に土産とす。
また、この「樂がき」を「落書き」としなきところの如何にもをかし。

   樂がきに愁思を寄せん九谷燒


加賀の國、石川県に流るる川の橋をバスにて渡れり。
橋の名は川の名と同じくして、手取といふをガイドにて知る。
手取川は、川の水よりも河原の石の方が三分の二を占めるところより、別名「石の川」と呼ばるれば、その名よりこの地を石川縣と呼びしかな。

   行く秋や加賀の所以のをかしさよ


次に見し所が日本三大公園の一つ、兼六公園にあり。
これを陸奥・北陸加賀の國の名殘りの旅とせん。

   わが戀や兼六園にてそぞろ秋


午後四時、金澤を出でて、九時に大坂へ歸り來む。
ものを言ふのも嫌になりたり。
これをなんと言はんか。

   大坂の甲斐なき人も秋に住む





還――昭和四十四己酉(つちのととり)


晩 秋


暗澹と鏡に光る秋の顏


血のついた手巾(ハンケチ)洗ふ秋の指


秋の別れに。

   行く秋と話をせむと思ひ立ち




   冬立ちて身元の知れぬ水屍體

この句は我の空想にあり。
この句より冬らしさは感じられぬなり。
ただ、この句を作りたる時の我が空想のみが、徒(いたづら)に冬の寒さを感じさせたり。


   旅立ちて何をいたした空也の

十一月十二日、この日空也は東國へ向つた。
我、いづこへ何を目的とせんか

何をしに旅立つものか空也の忌


短日はなんとも生命(いのち)の痛みあり


人生を口にするなり熱き燗


忘れものはてしてたよな一茶の忌

一茶は死にたり。
我は生きて、なほ憂鬱を。

   一茶忌に誰ぞが云ふた生活苦


日なたぼこに於ける四句。

   眼を閉ぢてたましひぢつと日なたぼこ

  世の中を無くしてしまふ日向ぼこ

  人の世が信じられずにひなたぼこ

  今こそは厭世の徒なり日向ぼこ

我はこの世の疎(うと)ましければ、日向ぼこの心境を好みたり。


   茶の味を樂しみゐたる小春かな


   雜沓にひとりごといふ白マスク


   わが如く他人も冬に閉籠(とぢこも)

誰かが、我の事を、
「自らの殻に閉籠りたる男なり」
と云へり。
()れど、人もまた我と同じくして冬に籠りたり。
但し、我はわが事を人が言ひし程、我が殻に閉籠つてゐるとは思へず。


   冬の陽と石でつくつた佛(ほとけ)見き


   口笛を消すものもなし冬の暮


   衰へた犬が吠えたり冬の夜


   頭だけ冴えたる夜ぞ腕細し


   落葉してなほは根づくあえかなり


   枯れた葉に魔法を望み火をつけん


   堰き止むる氣さへ起らん冬の川

我に似てその何とも貧弱なる姿よ。


(おほかみ)がむしばみ終へた現代人

狼は日本本土にはもうゐないといふ。
では、一體なにが人の心を斯くも貧しくしたのだらうか。
皮肉にも、狼が生存してゐた頃の古人は風流であつた。


   もういやだ世を捨て山と眠りたい

この句は、日頃わが、いや、私がいつも文語文の句ばかりを作つてゐるので、一度なりと口語文の發句を作らうと思つてゐた。
それがこの句だが、餘り感心した出來映えだはない。


顏洗ふ生死の問ひを冬の水

生と死や手を浸(ひた)しをる冬のみづ

この日一日、斯かる生死の事のみを思ひめぐらして過してゐたり。

ひしひしと冬に生死を問ひ糺(ただ)


漱石忌ふたたび息を吸ひにけり


脈打ちがおそろしくなる白き息


觸れてみる冬萌えだした枝の端


落ちてゐる腐水(ふすい)の上の冬日かな


ぞつとして睨み据ゑたり冬の月


馬鹿野郎と夜道でいきまく暮せまる

早くも誰かが酒を呷(あふ)つて息卷く聲のあり。
それ日毎に多くならんや。
人は何を、また何故に、どうせよといふのか。
それも解らず、いたづらにものを叫ぶなり。
その聲もやがて冬の空に吸ひ込まれて行くのみ。

馬鹿野郎と夜道でいきまく暮となりぬ





結――昭和四十四己酉(つちのととり)


(あゝ)、今年も終りたらんとするなり。
何も出來ぬ事のみ餘りに多くして、過ぐる毎に歳の數を心配すなり。
期せずして、今日まで書き綴りたる發句も百二十數句に及べば、如何にも亂雜(らんざつ)なる筆を執()りて、茲(ここ)に書上ぐるなり。
今年を以(もつ)て、この『啼血』も未完成とも言へる儘に筆を擱()きぬ。
()に新しき年は遽(あわただ)しくも、我を取殘せし程の勢ひにて近づきつつあるなり。
さらば古き命よ。
新しき命ぞいづく。
去年(こぞ)今年(ことし)、斯かる一年のなんと不思議なりし時にあらんや。
()れば『啼血』に於ける終焉一句。

   さだめなく雲走りたる師走かな

(てん)じて、

   風唸り雲走りたる師走かな



§


 後 記


 この『啼血』を書き終へて、私は今また『手毬唄』といふ題の發句集に、一年間百句といふ建前で書き始めてゐる。
もう三十句程も出來たであらうか。
それはともあれ、この『啼血』といふ發句集の中には昔の作品も含まれてゐるが、それは主に初期の十歳頃の作が多い。


それは私の不注意から、その頃に作つた句集を紛失してしまつたのである。
ここに書いたものは、その幼い頃の作を思ひ出した儘に、その思ひ出なり感じた事を、その時々に書き添へたものである。
昔のものは押竝(おしな)べて幼いものが多いが、私は氣に入つてゐる。
そんなものが百句以上はあつたであらうか。
私が昔に失くしたものを惜しむ氣持は一通りではないが、今となつてはどうにもしようがない。


この發句集は昭和四十一年の春先から四十四年の暮までのものを出來るだけ集めたもので、洩れたものはないと思ふが、しかし、飽くまでも出來るだけであるから、どうもこれは怪しい。


私はある人から、

「君の作品では短歌よりも發句の方が、好い」

と言はれてゐる。
私は「好い」といふ方に論はないが、「短歌よりも」といふ方には論があると思つてゐるほど鼻つ柱が強いから、相手の意見をどうしたものかと考へあぐねてゐるのである。
だが、先づ「好い」としておかう。
事實、ふつとどうでもいいと思へてしまふ事があるのだから。
私は私の發句に對して、その情緒よりも不氣味さを買つてゐる。
生と死の不氣味さや不安を十七文字で表現するのに、小氣味よさを感じてゐる。
人がこの發句集の中の一句でも、不氣味に思つてくれれば良いのである。
句が暗く悲しいのは、私の求めんところである。
人は嫌がつても構はない。
私は私の樂しみで書くのではないし、況(いはん)や人を愉しませる爲に書いてゐるものではないのだから。
私はものを書き終へたといふ事の歡びを感じてはゐない。
また、歡びを得たいと思つて書くのではないし、歡べれば良いと思つてはゐない。
私はただ與(あた)へられたものを書くだけである。
けれども、これが本當(ほんたう)に私に與へられたものであるかどうかを知る事が出來ないのは、私の最も苦しまんとする所である。



     一九七〇昭和四十五戊戌(つちのえいぬ)年皐月十六日午前零時