箕面吟行Making a hokku poetry in the Minoh(古文)
近江 不忍
──紅葉の瀧──
十一月も中旬になりて、わが友大蔵寺宏氏と共に箕面へ紅葉狩に行かんとすべく、先づはわが店にて珈琲を啜るなり。
大蔵寺氏は以前高槻に住まひをれど、今は藤井寺に引越したり。
ここに來る途次、今日の發句吟行に思ひを馳せ、
『芭蕉七部集』の文庫本を手にし、讀み來るなり。
思へば、大蔵寺氏とは二十數年のつきあひにて、趣味もよく合ひ、又、わが作品の理解者でもあり。
わが友と世にあるうちに紅葉狩
軈て、わが妻の聲に雨の降りたるを知る。
秋の雨は重ねし齡を敎へるが如くに降るなり。
降りだしたと言はれて氣づく秋の雨
さて、これより自家用車にて箕面に行かん。
車中にて大蔵寺氏の近況を問へば、相も變らず體調惡しとの事など語らひて、途中氣がつけば、いつしか雨の上がりたるなり。
間近に箕面の山も見ゆるなり。
紅葉の雨止む空や旅情
遠き山のよそほひ搖れて風赤し
箕面は大坂にも稀なる山水鄕にて、猿多く、紅葉の美しき事夙に有名なれば、われも小學生の頃より幾度か來るなり。
今、山は陽光に照らされて、輝くばかりに紅葉す。
洗はれて山装ひし箕面かな
自動車を阪急箕面驛前の駐車場に捨てて、愈々大蔵寺氏と瀧へと向かふ也。
驛前は名物を賣りたる店が立竝び、その舊びたるたたずまひ懷かしく、店の兒等とも思はれし數人の少女が、行樂の人垣に混じりて、商店の間を縫ふやうな細き舗道にて手毬をする景色も、秋の陽射しの中にいとけなく見ゆる。
ふるびたる風立つ龝や手毬唄
しばし行けば、商店も疎らになりぬ。
とある橋のたもとにふり立てば、紅葉燃ゆるばかりに廣がりぬ。
この道は瀧に續くや初紅葉
不圖人聲に振返れば異國のふたり連れありて、店の人に何をか尋ねん。
つらつら惟るに、瀧までの距離を問ひしなるか。
紅葉冴えて道を敎はる人のあり
生きる事の難しきを知らんか。
橋の上より眺むれば、秋の陽射し明るく、空澄み渡りぬ。
金色の陽に照らされし紅葉かな
大蔵寺氏と共に道を步めば、道細くなりて、紅葉頭上を覆ひ、陽を遮りぬ。又、傍らに塑像かと見れば、二匹の猿ありて秋に遊ぶなり。
薄暗き道に猿あり秋の聲
そが猿の一匹木々を飛び移り、山中へ消えしと見れば、再び現れて我等の先を行くなり。
秋の道猿が先行く箕面かな
案内を猿に乞うたる瀧の秋
その片手に赤き葉を見つけて、大蔵寺氏と共に慕ふが如く從ひて行きしが、やがて人混みに紛れて見失ひぬ。
いざなふか猿紅葉手に奧の瀧
茶店ともいふべき風情の建物ありて、時を過ごせば、奧に寺のあるを知る。
その名を見れば、
「瀧安寺」とぞ云ひける。
緣起には役小角の開祖とあり。
境内は人影もなく、猿のみが數匹、寺を守つてゐたるばかりなり。
他の猿にとり殘されし寺の秋
その數匹の猿の群れより離れて、石段の日溜りの中に一匹の猿あり。
その樣、哲學者か將又、
「考へる人」の如くなりと云はば、大蔵寺氏、
「老人の日向ぼこなり」と云へり。
石段に猿腰かけて秋の寺
しばし、大蔵寺氏と共にその場を去り難く、日溜りの中に三つの影を刻む。
木洩れ日や猿と過ごせば秋高し
生きるとはなんぞや。
われ未だ何も諒解する事能はず。
秋風やなにを悟らん猿の顏
われ人として生きるは、わが行ひの所爲にあらざるなり。
況や猿においてをや。
どれほども猿と違はぬ秋の皺
渓流を右に眺めつつ、再び本道を步めば、秋を樂しむ人益々多くなりぬ。
行く人の白き頭に紅葉かな
何びとも自らの一生を慮れども思ふに任せず、鯔のつまりはその日暮しなり。
われに似てその日暮しや龝の猿
それなりに苦勞もあるか秋の猿
今は人の多き季節なれば、猿もその生業頗る繁昌にして、與へられし食べ物を聲も悲しく取り合ふなり。その樣、將に「危急存亡の秋」と見えたり。
今や秋に菓子二つ割る猿の智慧
この句、初めは上五句を、
「あらそひの」としたるも、斯く改めたり。
然れども、浮世の人の見過ぎ世過ぎの苦しき樣を見るにつけても、猿の安穩に羨望を抱きしは、われの僻みと云はんか。
生きるにはさほど困らぬ秋の猿
とある道の隅に猿ありて、家族連れの子供、母親より菓子を貰ひて親の見守る中、その菓子を猿に與へんと恐る恐る近づきたり。
とは云へ、猿その菓子に見向きもせず、子供の被りたる帽子を奪ひて飛廻るなり。
母親驚きて猿を見下ろしつつ、忌々し氣に舌打ちをして、子供をあやしながらその場を立去りぬ。
物を與へし故の主人面をすれど、猿は無頓着なり。
浮世にはそしらぬ顏や猿の秋
道を行けば、路傍に、
「唐人戾岩」といふ奇岩あり。われは渓流と紅葉を眺めしに、大蔵寺氏はこの大岩の顚末を講釋すなり。
抑、この大岩はその昔、唐の國使探勝ここに來りて、道險しく、岩崩れ落ちんとする景觀に恐れを抱かせたるもので、瀧を見ずして引返せし因緣の地なり。
ふと連れの聲で見過ごす一位の實
道未だ窮らず、瀧の淸冽なる姿を腦裏に描くのみなり。
大蔵寺氏首を傾げて、瀧音ありとの言葉に耳を澄ませば、人聲に交りて幽かに聞ゆる瀧の音あり。
奧の道黃葉紅葉や瀧の音
道の曲りくねるに從ひて橋を渡り、渓流を左に眺むれば、瀧の音次第に强く大きく響きけり。
瀧音も九十九折れたり秋の山
大蔵寺氏、われもと一句詠まん。
近づいて遠のく秋の瀧の音 宏
坂を登れば、
「望海ヶ丘」ありて、眼下には町、遙かに大坂灣を臨む。
峠より眺むる秋の家竝かな
氣がつけば海からのぼる鰯雲
坂を下れば、驛前程ではなけれど紅葉の中、所々に茶店の軒數も增えて賑はひたり。又、瀧の音甚だしく響きければ、猿の聲もの欲しげ也。
瀧音に交る猿の聲悲し
軈て、眼前に瀧の落つるを見れば、中ほどに虹を架けて、一帶に紅葉頗る多く、光の幻妙を覗きたる心地なり。
眼前の紅葉や瀧の音に搖れ
近寄りて見上ぐるに、水の流れも紅葉も、高き空に巨巖の張りつきたるが如くなり。
秋空に岩張りついて瀧落つる
嘻々とした猿の聲さへ瀧に消ゆ
瀧の音轟々と激しく、邊りの聲さへ搔き消されし程なり。
生命あるものとして秋や猿の聲
塵勞をまぎらす秋の瀧の風
この地は愛想の必要なき處にて、心の疲れる事もなきなり。そは美しきを見ればその儘呟くのみにて濟めばなり。
濡るるほど瀧の飛沫や初紅葉
瀧に近づけば、風心地よく飛沫も氣にならず、澄み渡る水に映りし己が影を見つめて居たり。
大蔵寺氏、再び一句をものにせん。
その昔なにを映すや水澄みぬ 宏
われ水に手を浸せば、
瀧壺に手をひたしをる痛みかな
大蔵寺氏の言葉にて瀧の上に登る事となり、鐡骨造りの勾配の險しき階段を步いて行きたり。
登り切れば隧道ありて、過ぐれば、
「千本目松」に到る。
岩肌白く、また平地などもありて、猿以外の小動物が檻に飼はれてゐたれど、猿に比ぶれば言はんとする事甚だ不明なり。
吹く風に道を隱さん薄かな
それらの中に幾つもの小さき淸流ありて、やがてひとつになりて、崖に向つて落ち懸かるなり。
そこより瀧壺を見下ろせば、奈落の底に吸ひ込まれたるが如き心地す也。
再び茶屋にて遲き晝食を攝れば、子連れの母猿來りて我らが宴に加はりぬ。名物の、
「紅葉の天婦羅」を分けて食べるなり。
名物の食べるは揚げた紅葉茶屋
と詠めど、昨今流行の宣傳文作家の作かとも思はるるなり、と云ひし大蔵寺氏の言に從ひて推敲せり。
細る身の食べるは揚げた紅葉茶屋
我らが客の子猿の可愛らしさに、家族連れの人々の中より、子供や若き女の集まりて物を與ふるなり。
又、猿と子供を竝ばせて、記念冩眞を撮る親もあり。
母猿は少しも騷がず、爲すが儘に任せたれば、子猿訝る樣もなく、美しき瞳を我に向けたり。
秋深し子猿の瞳にも瀧落つる
猿の瞳にも瀧輝きて秋の奧
子連れの猿場を辭するに、我等が見送りてその後ろ姿を見やれば、その隙にいきなり別の猿脇に出でて、大蔵寺氏が本を盗みたり。
本は、
「芭蕉七部集」なれど、猿は蓑を欲しがらずに、元手もなく本を仕入れたり。
その猿、
「詩人なるか、實業家なるか」とわれ重ねて問へば、煙草一服したる大蔵寺氏、
「否」と答へり。
その理由はと問へば、
「蓑はこの地名なるが故に、旣に必要もなし」と、大蔵寺氏答へて煙を吐くなり。
曰く、翁の、
「猿蓑」に、
『初しぐれ猿も小蓑をほしげ也 芭蕉』
といふ句あればなり。
瀧見れば猿に盗られん文庫本
この句、下五句を、
「七部集」と詠まんと欲すれど、餘りに眞意が見透かされん、と斯く改めたり。
猿に本を盗まれてより、夕暮間近の白き氣配漂ひて、邊りの人影も疎らになりぬ頃、大蔵寺氏さらに云ふ。
「本は盗まれしが、我等が過ごせし今日といふ日思ひの中に殘らん」と。
與太猿に盗られしものは白き秋
子供の高き聲次第に遠くへ離れ行き、樂しき日の暮れかかりぬ。
我等漫ろ心にて瀧を眺めたり。
瀧音や秋の遊びも暮れかけぬ
人影は茶屋の人以外に我等の外、さらになしかと見れば、いつしか猿さへも暮色の中に溶けるが如く消え去りたり。
猿消えてとりのこされし秋の暮
折角來るによつて、大蔵寺氏は、
「附合でもせんか」と切り出さん。
早速、詠みしものを披露せば次の如くなり。
夕暮の目にせまりくる瀧紅葉 不忍
途切れし音に秋は去りつつ 宏
瀨を渡り足を拭へば目を閉ぢて
啜る湯呑に澤庵の味 不忍
ひと聲に素振りをくれて寒の月
誰も咎めぬ夢なればこそ 宏
振袖を着せたきままに年越して
枯木も花を身にまとひ 不忍
春火事にもろ肌を脱ぐめ組かな
櫻を見せて裁き輕やか 宏
俎の鯉を料理の流れ板
溫もり殘す蒲團抱き締め 不忍
三月越し二階貸したる人いづこ
名乘り上げれば御曹司とかや 宏
許されてわが世の春を御散財
驕れる人のうれしかるらん 不忍
無斷にても難色もなし花の宴
小言が來ても聞けぬ芳一 宏
行く春の重たき琵琶に腰拔かし
明方豆腐を角で買ふなり 不忍
召し上がれ戀はなま物おはやめに
蟬も螢も老いにうるさし 宏
宵宮の祗園囃に馴染客
主が命と送る後朝 不忍
べろを出し惚れた晴れたも藝の内
口を開けたら閻魔驚く 宏
金次第とは云へ行けるも地獄だけ
笑ひ飛ばして住めば都か 不忍
身じろぎて男が月に吠える影
野の虎でさへも元は詩を詠む 宏
旅に寝て濡らす枕も袖の中
身に沁む冬の主の情 不忍
因緣の昔語りに夜も更けぬ
漸く明けた春はやまぎは 宏
をかしさに一步蹈み出す野邊の花
日に從ひて向日葵の咲く 不忍
座興に詠上げし歌仙一卷を書き留めれば、
「そろりと歸らんか」と大蔵寺氏が云ひて腰を上げたり。
暮れかけて水にさざめく栬かな
來た時と同じ道なれど、歸りし道のいと心細氣なる。
ひやひやと音をたどるや瀨の流れ
瀨に消ゆる紅葉や岩に散る黃葉
道暮れて流るる椛なほ赤し
せせらぎの音を背にしつ秋のくれ
晩秋の道のほとりに花白し
分かれ道どちらへ行くも秋の暮
この道も齡半ばや秋の暮
ふたりの歳を思へば、昔ならば既に初老と云へり。今は有難くも、
「實年」といふ言葉ありて、助かりたるやうな情なきやうな心地なり。
大蔵寺氏、
「今日は久方ぶりに愉快なり」と出抜けに云ひて我を驚かしぬ。
秋の猿に盗られしままで道下る
大蔵寺氏の心殘りに振返れば、
「あつ」と驚きの聲を發して我を促せり。
彼の視線の彼方を見やれば、我も同じく、
「あつ」と驚きて聲を上げるなり。
そは山の頂の一本の樹の上に月の懸りて、一匹の猿、その稍に登り、恰も我等を見送りたる樣にて、その猿、月に棲みたるが如く見えたれば也。
我が友とふたりして、暫し、その場を立去り兼ねたり。
見送りの稍の猿や月に棲む
月の道なにもなきままに影細し
道日暮れて、空にあるは月ばかりなれど、ややありて奇しくも空に鳥渡るを見る。
我等はこれよりそれぞれの家路へと渡るのみか。
暮れ暮れて落ち行く先や渡り鳥
氣がつけば空澄み渡り鳥は消ゆ
街に出ると、大蔵寺氏はこのまま箕面驛より電車にて歸らん事を、申し出たり。
我、
「しばし待て」と押し止め、街中を物色したり。
街に出れば戀しき火影や秋深し
大蔵寺氏との名殘りに、居酒屋に入りて熱き酒を呑めば、命ある事を實感する如く腸に染入るなり。
月淸くまた逢はうぞと名殘酒
我が友はその言葉の通りに、箕面驛より電車に乘りて歸りたり。
ともに聞けなにが悲しく蚯蚓鳴く
我獨り夜のしじまに車を走らせれば、千里丘陵の高層住宅に幾つもの明りあれど、その燈火は寒々とかそけき様なり。
人は皆眠りも深き假の宿
かくて今日といふ日も終りて店に歸るのみなれど、我は生れ出しよりこの外に過ごす術を知らずと云へり。
我も箕面の猿と同じ境地に到らん。
行く秋や生きてゐるから生きてゐる
一九八八昭和六十三戊申年十一月十六日
箕面吟行Making a hokku poetry in the Minoh(現代文)
http://ahuminosinobazu.blogspot.jp/2012/01/blog-post_17.html
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