2012年1月17日火曜日

箕面吟行Making a hokku poetry in the Minoh(現代文)

箕面(みのお)吟行(ぎんこう


近江(あふみの) 不忍(しのばず)

 





──紅葉(こうえふ)(たき)──

 

 十一月も中旬の早朝、私は急に思ひ立つて、友人の大蔵寺宏氏へ、

「箕面へ紅葉を見に行かないか」と誘ひの電話をかけたら、

「久し振りだから行くか」と返事があつて、十時前には私の店にやつて來た。

 彼の、                 

「寒いな」といふ言葉に頷きながら、私は彼と一緖に珈琲を啜つた。

 大蔵寺氏は、一年前まで高槻に住んでゐたのだが、今は藤井寺の方に引越して、以前ほど逢ふ機會が少なくなつた。

「これを電車の中で讀みながら來たんだ」と言つて、彼は手に持つてゐた文庫本を見せた。それは、

『芭蕉七部集』だつた。

 思へば、私と大蔵寺氏とは二十數年來のつきあひで、音樂鑑賞とかの趣味もよく合ひ、又、私の作品の理解者でもあつた。

    わが友と世にあるうちに紅葉狩

 

 

 (やが)て、妻の、

「降り出したわよ」といふ(こゑ)で、窓から雨に濡れた路面に氣がついた。

 秋の雨は、まるで過ぎ去つた季節を重ねた年齡を、敎へるかのやうに降つてゐた

    降りだしたと言はれて氣づく秋の雨

 

 

 それから自家用車で箕面に(おもむ)いた。

 車中、大蔵寺氏の近況を()くと、

相變(あいかは)らず、體調(たいてう)が惡い」とかの世間話を、あれからこれへ(つづ)けてゐて、途中氣がつけば、いつの間にか雨も上がつてゐた。

 間近に箕面の山が、鮮やかな稜線(りようせん)を見せてゐる。

    紅葉の雨止む空や旅情(たびごころ)

 

 

    遠き山のよそほひ搖れて風赤し

 箕面は大坂でものない山水鄕で、猿が多い事と、紅葉の美しさで(つと)に有名だつたから、私も小學生の頃に幾度か來た事があつた。

今、山は陽光に照らされて、紅葉(こうえふ)が目に痛い程であつた。

    洗はれて山(よそほ)ひし箕面かな

 

 

 自動車を阪急箕面驛前の駐車場に捨てて、愈々(いよいよ)大蔵寺氏と瀧へ歩いて行つた。

 驛前の土産物を()つてゐる店が立竝(たちなら)んでゐて、その(ふる)びたたたずまひも(なつ)かしく感じられた。

その店の子供達であらうか、數人の少女が行樂の人垣に混じつて、商店の間を縫ふやうな細い舗道の所で手毬をする光景が、秋の陽射しの中に愛らしい姿で私の目に(うつ)つた。

    ふるびたる風立つ(あき)や手毬唄

 

 

 しばらく行くと商店も(まば)らになり、とある橋のたもとに二人で立つと、紅葉(もみぢ)が一面に燃えるやうに(ひろ)がつてゐた。

    この道は瀧に(つづ)くや初紅葉

 

 

 ふと人聲(ひとごゑ)に振返ると、異國のふたり連れが、ぼそぼそと店の人に何かを尋ねてゐた。多分、瀧までどれぐらゐの距離があるかを聞いてゐるのだらうが、まるで生きる事の難しさに、(をし)へを()ふやうにさへ見えた。

    紅葉(もみぢ)()えて道を敎はる人のあり

 

 

橋の上から眺めると、秋の陽射しはのやうに明るく、空は何處までも澄み渡つてゐた。

    金色(こんじき)の陽に照らされし紅葉かな

 

 

大蔵寺氏と一緖に道を步いて行くと、道は次第に細くなつて、紅葉が頭上を(おほ)はんばかりに、陽を(さえぎ)つてゐた。

不圖(ふと)(かたは)らに塑像(そざう)のやうに見える二匹の猿があつて、秋の中へゆつくりと動き出して遊び始めた。

    薄暗き道に猿あり秋の聲

 

 

その猿の一匹が勢ひを取りして木々を飛び移り、山の中へ消えたかと思ふと、再び現れて私達の先頭を案内人よろしくいて行つた。

    秋の道猿が先行く箕面かな

 

   案内を猿に乞うたる瀧の秋

 

 

その猿の片手に赤き葉を見つけて、大蔵寺氏と共に誘はれるままについて行くと、やがて人混みに紛れて見失(みうしな)つてしまつた。

いざなふか猿紅葉手に奧の瀧

 

 

 茶店のやうな時代がかつた風情の建物がそこここにあつて、ある店で時を過ごしてゐたが、奧に寺がある事を知つて、その名を見ると、

瀧安寺(ろうあんじ)」と立札にあつた。

緣起には役小角(えんのをづぬ)の開祖とある。

境内は人影もなく、猿のみが數匹、寺を守つてゐるばかりであつた。

    他の猿にとり殘されし寺の秋

 

 

その數匹の猿の群れから離れて、石段の日溜りの中に、一匹の猿がみとめられた。

それは哲學者のやうでもあり、

「まるでロダンの『考へる人』だ」と私が云へば、

「老人の日向ぼこなり」と、笑ひながら大蔵寺氏が云つた。

    石段に猿腰かけて秋の寺

 

 

暫く、大蔵寺氏と共にその場を去り難く、日溜りの中で、三つの影を石畳に刻んでゐた。

    木洩れ日や猿と過ごせば秋高し

 

 

生きるとは何かさへ、(いま)だに諒解出來ずに過ごしてゐる私に、秋風が通り過ぎて行く。

丁度同じやうに、猿の顏にも風が通り拔けるやうに……。

    秋風やなにを悟らん猿の顏

 

 

人として生きてこれまで來られたのは、勿論、私の行ひが良かつた所爲(せゐ)ではない。あの猿にした(ところ)で……。

    どれほども猿と(たが)はぬ秋の(しわ)

 

 

渓流を右に眺めながら再び本道を歩いて行くと、秋を樂しむ人が益々增えて來た。

    行く人の白き(かしら)に紅葉かな

 

 

誰でもが自分の一生を、

「幸福でありたい」と願ふが、それは思ふに任せず、(とど)のつまりはその日暮しでしかないのかも知れない。

    われに似てその日暮しや(あき)の猿

 

 

    それなりに苦勞もあるか秋の猿

今、箕面は人の多い季節だから、猿もその生業(なりはひ)(すこぶ)るに繁盛して、(あた)へられた食べ物を、聲も悲しく取り合つてゐるが、冬ともなれば、めつきり人影が絶えるのを知つてゐるのか、この時とばかりに(ゑさ)を取り合ふ(さま)は、(まさ)に、

「危急存亡の(とき)」と私には見えた。

 

 

    今や秋に菓子二つ割る猿の智慧

この句は、初め上五句を、

「あらそひの」としたのだが、なんだか殺伐(さつばつ)としてゐるのでこのやうに改めた。

然し、浮世の人の見過ぎ世過ぎの苦しさを見るにつけても、猿の安穩に羨望を抱くのは、私の(ひが)みなのだらうか。

    生きるにはさほど困らぬ秋の猿

 

 

とある道の隅に猿を見つけて、子供が母親から菓子を貰つて、家族の見守る中、その菓子を猿に(あた)へようと、恐る恐る近づいて行つた。

とは云つても、猿はその菓子に見向きもせずに、いきなり子供の帽子を奪つて飛廻りはじめた。

それを見てゐた母親は、驚いて猿を見下ろしながら、忌々し氣に舌打ちをして、子供をあやしながらその場を立去つて行つた。

物を與へたからと云つて主人面をしても、猿は無頓着であつた。

    浮世にはそしらぬ顏や猿の秋

 

 

更に道を行くと、路傍に、

「唐人戾岩」といふ奇岩があつた。

私が渓流や紅葉を眺めてゐると、大蔵寺氏はこの大岩の顚末を講釋し始めた。

抑々(そもそも)、この大岩はその昔、唐の國使、探勝が瀧を見ようと箕面を訪れて、漸くの思ひでこの地まで來たのだが、道の險しさと、岩が崩れ落ちんばかりの景觀に恐れをなして、瀧を見ずに引返してしまつた因緣の場所であつたのだ」と。

    ふと連れの聲で見過ごす一位の()

 

 

道はまだ何處までも續きさうで、瀧の淸冽な姿を腦裏に描きながら歩いて行つた。

大蔵寺氏は首を(かし)げて、

「瀧の音がする」といふので、その言葉に耳を澄ませると、人の聲に交つて、(かす)かに瀧の音が聞えた。

    奧の道黃葉(もみぢ)紅葉(もみぢ)や瀧の音

 

 

道の曲りくねるに從つて、橋を渡り、渓流を左に眺めれば、瀧の音が次第にく大きく響いて來た。

    瀧音も九十九折れたり秋の山

大蔵寺氏が、

「私も一句」と詠んだ。

    近づいて遠のく秋の瀧の音 宏

 

 

坂を登ると、

「望海ヶ丘」があり、眼下には町、遙かには大坂灣を眺められた。

    峠より眺むる秋の家竝(やなみ)かな

 

    氣がつけば海からのぼる鰯雲

 

 

坂を下ると、驛前程ではないけれども、紅葉の中に茶店の軒數も增えて、想像したよりかは(にぎ)はつてゐた。

又、瀧の音甚だしく響いて、猿の聲さへもの欲しげに見えた。

    瀧音に交る(ましら)の聲悲し

 

 

(やが)て、眼前に瀧の落ちる景色が見えると、その瀧の中ほどに虹を架けて、一帶に紅葉が多く、光の幻妙を覗いたやうな心地である。

    眼前の紅葉や瀧の音に搖れ

 

 

近寄つて瀧を見上げたら、流れ落ちる水や紅葉が、まるで深く澄み渡つた空へ(きよ)(がん)が張りついたかのやうに()えた。

    秋空に岩張りついて瀧落つる

 

 

    嘻々(きき)とした猿の聲さへ瀧に消ゆ

瀧の音は轟々(がうがう)と激しく、邊りの聲さへ搔き消される程であつた。

    生命(いのち)あるものとして秋や猿の聲

 

 

    塵勞(ぢんらう)をまぎらす秋の瀧の風

ここは愛想などの必要のない別天地で、心の疲れる事もなく、美しい(こと)を、その(まま)くだけで濟むところである。

    濡るるほど瀧の飛沫や初紅葉

 

 

瀧に近づくと風は心地よくて、飛沫も氣にならなかつた。

茫然と、澄み渡る水に映つた自分の影をしばらく見つめてゐると、大蔵寺氏が再び、一句をものにした。

    その昔なにを映すや水澄みぬ  宏

私も水に手を浸して一句。

    瀧壺に手をひたしをる痛みかな

 

 

大蔵寺氏の誘ひで瀧の上に登る事になつて、近代的な鐡骨造(てつこつづく)りの勾配の急な階段をいて行つた。

登り切ると隧道(トンネル)があつて、そこを過ぎると、

「千本目松」に出た。

岩肌白く、また平地などもあつて、猿以外の小動物も(をり)はれてゐたが、これは猿に比べて、

「こんなに不自由で好いのか」と思つた。

    吹く風に道を隱さん薄かな

それらの中に、幾つもの小さな淸流があつて、それが一つになつて崖に向つて落ちてゐる。

そこから瀧壺を見下ろすと、奈落の底に吸ひ込まれるやうながした。

 

 

再び茶屋に行つて(おそ)晝食(ちうしよく)攝ると、子連れの母猿が來て、私達の宴に加はつたので、名物の、

「紅葉の天婦羅」を分けて食べたりした。

    名物の食べるは揚げた紅葉茶屋

と詠んだが、

「昨今流行の宣傳文作家(コピイライタア)の作か」と云ふ大蔵寺氏の言に從つて、推敲する事にした。

    細る身の食べるは揚げた紅葉茶屋

 

 

客の子猿の可愛らしさに、家族連れの人々の中から子供や若い女性が、いつのまにか私達の周りに集まつて來て、物を(あた)へ出した。

中には子猿と我が子とを(なら)ばせて、記念(きねん)(しや)(しん)を撮る親さへゐたが、母猿は少しもがず、人間の()すが(まま)に任せ、子猿も心得たもので、(いぶか)る様子もなく、美しき瞳を私に向けた。

    秋深し子猿の()にも瀧落つる

 

    猿の()にも瀧輝きて秋の奧

 

 

子連れの猿がこの場を()す時、私達が見送つてその後ろ姿を見ると、いきなり別の猿が出て來て、大蔵寺氏の本を盗んで行つた。

本は例の、

「芭蕉七部集」だつたが、

「猿は蓑を欲しがらずに、元手もなく本を仕入れて行つた」と私が言ひ、

「その猿は詩人か、實業家(じつげふか)?」と重ねて問ふと、煙草を一服しながら、

「いや」と大蔵寺氏は答へた。

「その理由は」と猶も問ふと、

「蓑はこの地名だから、もう必要はない」と大蔵寺氏が答へて、私を煙に()いた。

 いふまでもなく。これは松尾芭蕉の、

「猿蓑」といふ句集に、

『初しぐれ猿も小蓑をほしげ也  翁』

といふ作品を()まへたところから出た言葉である。

    瀧見れば猿に盗られん文庫本

下句を、

「七部集」と詠まうとしたが、餘りに眞意が見透かされさうなので、このやうに改める事にしたのだが……。

 

 

猿に本を(ぬす)まれると、それを合圖(あひづ)のやうにして夕暮間近の白い氣配が漂つて來た。

邊りの人影も疎らになつた頃、大蔵寺氏はさらに言葉を續けた。

「本は盗まれたけれど、今日といふ日は思ひ出の中に殘るから」と。

    與太猿(よたざる)に盗られしものは白き秋

 

 

子供の高い聲が次第に遠くへ離れて行き、樂しい今日も暮れ始めた。

しばし、私と彼とは漫然(まんぜん)と瀧を眺めてゐた。

    瀧音や秋の遊びも暮れかけぬ

 

 

いつの間にか、人影は茶屋の人以外に私達の外は見られなくなつて、いつしか猿さへも暮色の中に溶けるやうに消え去つてゐた。

    猿消えてとりのこされし秋の暮

 

 

折角(せつかく)、私とここに來たのだから、

附合(つけあひ)でもするか」と、大藏寺氏が切り出した。

そこで早速、私達は次のやうに詠んだ。 

 

   夕暮の目にせまりくる瀧紅葉    不忍

      途切れし音に秋は去りつつ   宏

   瀨を渡り足を拭へば目を閉ぢて

      啜る湯呑に澤庵の味     不忍

   ひと聲に素振りをくれて寒の月

      誰も咎めぬ夢なればこそ   宏

   振袖を着せたきままに年越して

      枯木も花を身にまとひ    不忍

   春火事にもろ肌をぐめ組かな

      櫻を見せて裁き輕やか    宏

   俎の鯉を料理の流れ板

      もり殘す蒲團抱き締め   不忍

   三月越し二階貸したる人いづこ

      名乘り上げれば御曹司とかや 宏

   許されてわが世の春を御散財

      (おご)れる(ひと)のうれしかるらん  不忍(しのばず)

   無斷(むだん)にても難色(なんしよく)もなし(はな)(えん)

      小言が來ても聞けぬ芳一   宏

   行く春の重たき琵琶に腰拔かし

      明方豆腐を角で買ふなり   不忍

   召し上がれ戀はなま物おはやめに

      蟬もも老いにうるさし   宏

   宵宮の祗園囃に馴染客

      主が命と送る後朝      不忍

   べろを出し惚れた晴れたも藝の内

      口を開けたら閻魔驚く    宏

   金次第とは云へ行けるも地獄だけ

      笑ひ飛ばして住めば都か   不忍

   身じろぎて男が月に吠える影

      野の虎でさへ元は詩を詠む  宏

   旅に寝て濡らす枕も袖の中

      身に沁む冬の主の情     不忍

   因緣の昔語りに夜も更けぬ

      漸く明けた春はやまぎは   宏

   をかしさに一步蹈み出す野邊の花

      日に從ひて向日葵の咲く   不忍

 

()(かく)、座興にせよ歌仙一卷を詠み上げてしまふと、

「そろそろ歸るとするか」と、大蔵寺氏が言つた。

 

 

    暮れかけて水にさざめく(もみぢ)かな

來た時と同じ道なのに、歸り道といふだけで、なんだか心細い氣がするのも、心といふものの賴りなさかも知れない。

 

    ひやひやと音をたどるや瀨の流れ

 

    瀨に消ゆる紅葉(もみぢ)や岩に散る黃葉(もみぢ)

 

    道暮れて流るる(もみぢ)なほ赤し

 

    せせらぎの音を背にしつ秋のくれ

 

    晩秋の道のほとりに花白し

 

    分かれ道どちらへ行くも秋の暮

 

 

ふたりの歳を考へた時、昔だつたらに初老と云つてもをかしくなかつたらうが、今は有難い事に、

(じつ)(ねん)』といふ言葉があるから、助かつたやうな氣もするが、よく考へてみると、なんだか情ないやうな氣がしないでもない。

この道も(よはひ)(なか)ばや秋の暮

大蔵寺氏が、

「今日は樂しかつた」と出抜けに云ひ出したので、私はびつくりした。

    秋の猿に盗られしままで道下る

 

 

薄暗い下り坂の道をきながら、大蔵寺氏が名殘り惜しさうに振返つた時、

「あつ」と驚きの聲をあげ、お前も見ろとばかりに私を促した。

彼の視線の彼方を見ると、私も(おな)じやうに、

「あつ」と驚いて聲を上げてしまつた。

それは山の(いただき)に一本の樹があり、その木の上に巨大な月が懸つてゐて、一匹の猿がその(こずゑ)に登つてゐたのだが、その姿が、まるで私達を見送つてゐるやうだつたからである。

しかも、その稍の猿の後ろには大きな月があつて、丁度、猿が月に棲んでゐるかのやうに見えて、その超現實的な風景は、一幅の繪のやうであつた。

我が友とふたりして、暫しその場を立去り兼ねたり。

    見送りの稍の猿や月に棲む

 

 

    月の道なにもなきままに影細し

とつぷりと日は暮れて、空にあるのは月ばかりとなつた。

暫く空を見てゐると、突然横切るものがあつた。

鳥が遙かな國へと歸つて行く姿は、健気でさへあつた。

その鳥と同じやうに、私や大藏寺氏もそれぞれの家路へと渡るばかりであつた。

    暮れ暮れて落ち行く先や渡り鳥

 

 

街に出ると、大藏寺氏はこのまま箕面驛から、

「電車で歸るから」と言ひ出した。

    氣がつけば空澄み渡り鳥は消ゆ

「一寸待て」と押し(とど)めながら、(わたし)裝飾燈(ネオン)(がい)の中を物色した。

    街に出れば戀しき火影(ほかげ)や秋深し

 

 

大蔵寺氏との名殘りに、居酒屋に入つて熱い酒を呑んだらかい液體(えきたい)は命ある事を(じつ)(かん)させるやうに(はらわた)に染入つた。

    月淸くまた逢はうぞと名殘酒

 

 

友人はその言葉の通りに、箕面驛から電車に乘つて歸つて行つた。

    ともに聞けなにが悲しく蚯蚓(みみず)()

 

 

夜のしじまに獨りで車を走らせてゐると、千里丘陵の高層住宅には、窓から幾つもの明りが(とも)つてゐたが、その燈火(ともしび)は、私には寒々と(はかな)く見えた。

    人は皆眠りも深き(かり)の宿

 

 

今日といふ日もやがて終り、後は店に歸るばかりだが、私は生れてから一體(いつたい)をしたのかと自問自答してゐた。

あの箕面の猿と同じやうに生きられないものか、とぼんやり考へながら……。

    ()(あき)()きてゐるから()きてゐる

 

 

   一九八八昭和六十三戊申年十一月十六日





箕面吟行 Making a hokku poetry in the Minoh(古文)


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