2012年4月27日金曜日

Ⅵ、發句(ほつく)拍子(リズム)論 A Hokku poetry rhythm theory


Ⅵ、發句(ほつく)拍子(リズム)
A Hokku poetry rhythm theory




 この作品を讀む時に、この音樂を聞きながら鑑賞して下さい。
 これは自作(オリジナル)

 『合唱(cembalo)

 といふ曲で、YAMAHAの「QY100」で作りました。
 雰圍氣を味はつて戴ければ幸ひですが、ない方が良いといふ讀者は聞かなくても構ひませんので、ご自由にどうぞ。







       第十章 總  論(そうろん)

 

 

         一、韻律に就いて

 

 

 發句の「拍子」に於ける定義を論ずる前に、先づ、日本の『詩歌』の「韻文」といふ問題に就いて述べて見ようと思ふ。

日本の『詩歌』は、その言語的性格から、諸外國のやうな「押韻」といふ形態では發展しなかつた。

所謂、「音韻」を基本とする歐羅巴(ヨウロツパ)や中國の『詩』は、「頭韻」や「脚韻」を蹈む事によつて、「發句」や「和歌」などの「一行」とか「二行」以上の行數、即ち「四行」若しくはそれ以上を必要とし、それが爲に「起承轉結」といふ文章を構成する形式が生まれ、それは(たと)へば

 

    秋浦歌  李白

   白髮三千丈  「丈(チヤ())」 ()

   綠愁似箇長  「長(チヨ())」 ()

   不知明鏡裏  「裏()」   ()

   何處得秋霜  「霜(サ ())」 ()

 

このやうに、「脚韻」の「(てん)」の部分のみに、「起承結(・・・)」で使用された音を用ゐず、又、自由詩を例に掲げれば、

 

    竹  萩原朔太郞

 

   光る地面に竹が生()

   靑竹が生()

   地面には竹の根が生()

   ()がしだいにほそらみ、

   根の先より繊毛が生()

   かすかにふる()

 

   かたき地面に竹が生()

   地上にするどく竹が生()

   まつしぐらに竹が生()

   (こほ)れる節節りんりん

   靑空のもとに竹が生()

   竹、竹、竹が生()

 

このやうに、物語の内容と「音韻」によつて、全體の變化を樂しむ『長詩』といふ事が言へるだらう。

それに比べて日本の「發句」や「和歌」は、先程も述べたやうに、日本語の音韻變化は中國や歐羅巴の言語のやうに、「詩」の表現としては變化(へんくわ)(とぼ)しく

 

   ほろほろ() ()

   山吹ちるか ()

   瀧のお()  ()

 

このやうに「韻」を蹈んだとしても、それ程の効果が得られない憾みがあり、その變りに、「折句」と云つて、冠()に「ゆたか」を讀み込んだ發句で、

 

   ()ふだちに   ()

   ()をみめぐりの ()

   ()ならば    ()

 

といふ遊びもあり、これは『雜俳』の一種で、「和歌」などでは、『伊勢物語』の中で「かきつばた」と題して、

 

   ()らころも   ()

   ()つつなれにし ()

   ()しあれば   ()

   ()るばるきぬる ()

   ()しぞ思ふ  ()

 

といふ歌があるのだが、これは「冠附け」と云ひ、本當は『沓冠折句』と云つて、「沓()」や「冠()」、或いはその兩方に()込んだりした作品があり、そこまでの引用は省略するが、以上述べたやうに、韻を蹈むよりも、内容と「音律」によつて作品を味はふ、『短詩』といふ事が云へ、さういふ意味でいふならば、日本の「發句」や「和歌」は、「韻文」といふよりも、「律文」といふべきではなからう歟()

 

所で、先程から「長詩」と「短詩」を、『詩歌』と一括(ひとくく)りにして論じてゐるが、實は『詩』と『歌』は、古來日本では同一の種ではなく、『詩』とは「漢詩」を指し、『歌』とは「和歌」を示してゐて、それが同じやうな扱ひになつたのは、明治期の『新體詩(しんたいし)』や、

 

 「つひに新しき詩歌の時は來りぬ」

 

の「序」で有名な、島崎藤村の『若菜集』が發表されてからの事だと考へられ、それ以降は「詩」や「和歌」を『詩歌』から、單に『詩』といふ大きな枠組で捉へられるやうになつたと思はれる。

 

 

しかし、よく考へてみれば、『若菜集』にしても『詩』といふよりかは、「七五調」や「五七調」の「長歌」といつた方が、日本人には納得出來るのではあるまいか。

勿論、詩には『定型詩』と『自由詩』があり、『長詩』と『短詩』という分類が出來、『韻文』は、それらのいづれにも活用出來るものである事は言ふまでもないが、『音韻律』といふ考へから導きだされるのは、『韻文』と『律文』といふ分類を認めざるを得ないといふ事であり、これらを總合すると、發句は『定型短詩』の『律文』といふ事が()へるだらう

餘談だが、作者が『自由律俳句』に異を唱へるのは、これが「自由定型短詩」といふ、矛盾した形式になつてゐるからで、これでは到底頷く譯にはいかないのである。

 

 

       二、發句形式の優位性

 

發句や和歌が、西洋や中國の「音韻」を蹈襲しない代りに、「五七五」或いは「五七五七七」といふ音數、即ち「音律」を基本として發展し、この「押印」を缺()くといふ弱點を含む音數形式が、日本の『詩歌(和歌・發句)』として成立したと思はれてゐたのであるが、これまで述べたやうに、それは形式ではなく、飽くまでも目安で、本當の形式といふべきは、

 

   『四分四拍子』

   『三小節』

 

といふ『拍子』であつたといふ事をこれまで述べてきた譯で、その證明も出來たものと思つてゐる。

所で、『大須賀乙字俳論集』の中の「樂堂氏の基格論と余の調子論」といふ文章に、

 

   『しからば五七五は音樂上()に優る美を持つてゐるか、い

   かなる特徴(とくちよう)があるか、例へば七七五といふ形式よりも優れ

   てゐるといふ事が證明(しようめい)されるであらうか。』

 

といふ事を書いてゐるが、この理論は可笑しく、俳人は發句の形式が優れてゐるから發句を詠むのではなく、作られた詩の形式を調べると發句と呼ばれたものであつただけで、發句といふ種類(ヂヤンル)が他のあらゆる形式よりも優れてゐるとか、劣つてゐるといふ次元の判斷によつて、その詩型を用ゐたり、作家活動を行つてゐるのではない。

確かに、俳人から

 

「發句は世界でも最も短い詩型である」

 

といふやうな事を、口にしたのを聞いた事があるかも知れないが、それは(みづか)らの誇りを表現する手段に過ぎないと言へるだらう。

 

        三、形式に就いて

 

今更、作者が述べるまでもなく、形式といふものは、分類されたそれぞれの容器を、保たうとする意識の總稱の事である。

さうして、それは當然、その容れ物は中身がなければ滅んでしまふものであり、且、それ自身がどのやうな他の新たな中身を持たうとも、その形式を傳へようとしなければ、『旋頭歌』や『片歌』のやうに、それに與(あた)へられた名稱は、有名無實のものとなつてしまふ運命にあるものである。

それに例へば、音樂の形式にしても、『伊太利亜風(イタリアふう)序曲』と『仏蘭西風(フランスふう)序曲』とがあつて、『伊太利亜風序曲』は「急緩急(きふかんきふ)」といふ速度の形式で、それとは反對に『仏蘭西風序曲』は「緩急緩」といふ速度であるが、形式といふ意味からは、儼然(げんぜん)と判別出來る内容のものであると言へるだらう。

(およ)そ形式といふものは、音樂にしても演奏されれば、音は空間に消えてしまふもので、その意味では發せられた言葉も同じであり、又、繪畫に於いても描かれた實體(じつたい)は、既(すで)にこの世のものと同じではないし、所有(あらゆる)生活樣式も時代と共に變化して行くので、例へば米を炊くといふ行爲は、薪(たきぎ)から電器釜にならうとも、米を炊くといふ形態に變りがない。

もし米を他の方法で料理をして主食とする時代が來れば、炊くといふ樣式は『片歌』のやうに廢(すた)れ、その新しい方法が主流となるだけの事であるが、然し、それが假令(たとへ)新しい動力(エネルギイ)によつたとしても、薪で炊かれたのと同じ内容のものであるならば、矢張、炊くといふ形式の範疇(カテゴリイ)に納まるので、その中身は變らない事だと言つても良いだらう。

では、發句の基本は『五七五』の十七文字で、『切字』と『季語』を(ゆう)する事といふのが一般的であるが、何故さうなのかといふと、それは發句の基本を『五七五』の十七文字で、『切字・季語』を有するものと定義づけたからであるが、實はその起源は『連歌』から派生したもので、それには『百韻』や『五十韻』とか『三十六歌仙』等があるが、その初めの一句を『發句』といひ、五句目以降を『平句』と云つて、この『發句』が明治以降に俳句と呼稱され、『平句』それ以前から川柳(せんりう)呼ばれてゐたのであるが、第一句の『發句』にのみ『季語』と『切字』とがあつて、それ以外には幾つかの例外をのぞけば禁止されてゐて、その理由も、『切字』は兎も角『季語』に就いては、手紙を書く時に本題に入る前に季節の挨拶から始めるのと同じで、この『季語』がある爲に、『十七文字』といふ短い文章で説明しなくても濟むといふ普遍性を手に入れる事が出來たのである譯だが、發句をひねるのに、別にこれほど難しく考へる必要はなく、飽くまで心の納得によつて、發句といふ形式と人々が關係を保つてゐれば好いのである。

この形式が嫌な詩人には、何も好き好んで發句をひねる必要を、誰も要求しはしない。

それは詩人の自由である。

しかし、だからと言つて、他の形式を持つて來て、

 

「私は、これこそが發句だと思ふ」

 

と言はれても、誰も納得は出來まい。

その爲には、人々が首肯されるやうな形式と、その形式の名稱(めいしよう)を與(あた)へれば、それで濟む話である。

それが確立されて、人口に膾炙(くわいしや)するかどうかは、又、別の問題であると言へるだらう。

今日、發句の形式に搖れがあるのは、例へば「片歌」といふ形式があるが、あれは「五七七」の音律で成立してゐて、そこに季感を表す言葉があつた時、それが發句であるか片歌であるかは、判別の仕樣がない。

けれども、今日では誰も片歌は創作しないから、これを發句の「字餘り」として納得してゐるだけの事ではなからうか。

いづれにしても、その判別に苦しむのは、どちらも形式があつて、それが偶々(たまたま)似通(にかよ)つた時にのみ論じられるのであつて、『自由律俳句』のやうに、その形式を無視してしまつたのでは、話も何もあつたもので()ない。

(ゆゑ)に、作者は定型のものを自由にするといふ、『自由律俳句』を認める譯には行かないのである。普通、さういふ場合は、その形式に新たな名稱を與(あた)へて、新形式を確立するもので、それは歴史の示す通りであらう。

 

        四、發句の定義に就いて

 

以上の事を鑑(かんが)みて、これまで述べてきた作者の『發句拍子論』に從へば、發句には「字足らず」や「字(あま)り」があるものの、何故「五七五」の十七文字に落着いたのかといふと、『四分四拍子』の『三小節』といふ枠の中に、最も美しい形で納まるからだといふ外はなく、言つてみれば、その代表として「五七五」といふ音調(おんてう)を取り上げたまでの事であると言へるだらう。

だから、その範圍(はんゐ)に納まり得る句數であるならば、破調でも構はないといふ事になり、「字足らず」や「字餘り」の破調が許され得るといふ所以(ゆゑん)でもある。

發句に於ける『定型』とは、言葉が同じ字數で續ける事は勿論だが、唯、それだけの事ではなく、それによつて『拍子(リズム)(リズム)』が一定してゐなければならないと言へるだらう。

逆にもつと言へば、拍子が一定してゐるならば、言葉の字數が多少の増減を餘儀なくされたとしても、それは『定型』として認める事が出來ると()ふべきであ

そこで發句の定義としては、

 

   一、「季語(きご)」を有する事

   二、「切字」を有する事。

   三、「五七五」の「十七文字」といふ音數ではなく、「四文

     四拍子」の「三小節」が最も適してゐる事。

 

以上のやうに考へると、發句の拍子といふものは、

 

   C♪♪♪♪†ζ|

 

このやうに、『上五句』である一節の四拍目を四分休符(ζ)にする事による、大休止ともいふべき詠歎を表してゐる事が分かり、

 

   |♪♪♪♪♪♪†| = (|♪♪♪♪♪♪♪γ|)

 

   |γ♪♪♪♪♪♪♪|

 

この『中七句』で、二種類の音型のいづれが語の句姿に相應(ふさは)しいかを選びながら、

 

   |♪♪♪♪†ζ|

 

最後の『下五句』を()へて、三小目の四分休符(ζ)で、句全體の餘韻を味はふやうに出來てゐるものの事であると言へるだらう。

發句の基本が、『季語』や『切字』を有する『五七五』の『十七文字』であるばかりでなく、新たに『四分四拍子』の『三小節』といふ拍子を附け加へる事を忘れてはならない。

これをして、發句の三位一體といふ事が言へるだらう。

更に、發句の『拍子』に就いては、『四分四拍子』の『三小節』が基本であるが、語數がそれより多くなつたとしても『四小節』までとし、絶對に、『五小節』になつてはならない、といふ事を附記して置かう。

理由は、『短歌』になつてしまふからである事は、既に理解出來るものと思はれるし、又、何故『三小節以外の『四小節』といふ許容を含むのかは、發句(三小節)と短歌(五小節)の間に『四小節の新たな形式がないからで、例へば、『四小節』を基本とする詩の形式が生まれたならば、發句は完全に『三小節』だけを基本とし、『四小節』は含まれなくなつてしまふ事だらう。

最後に、『切字』と關係の深い、『一句二章』といふ考へ方に就いて述べて()かう。

『一句二章』とは、

 

   野原に出ると(うつ)しい。

   特に今日の風は。

 

といふやうに、二つの句點によつて、一文が改行され得る『二章』となつた文章の事であるが、これを發句の「五七五」にすると、

 

   野を渡る風の白さや美しき  不忍

 

このやうに表現されて、切字の「や」が、「野原」と「風」を「美しき」で統一してゐる事に氣がつかれるだらう。

 

   野を渡る風は白いなあ。

   なんて美しいのだらう。

 

といふやうに、ふたつの章から構成されてゐて、一章目の最後が句點()である事によつて、詠歎氣分が演出される効果が發揮されてゐる譯であるが、若しこれが句點()ではなく、讀點()であつたならば、

 

   野を渡る風は白くて、なんて美しいんだ。

 

といふ風に『一句一章』になつてしまひ、詠嘆がなくなつて仕舞ふばかりでなく、改行さへ必要としなくなつてしまつてゐる。

勿論、『一句二章』即ち『句點()』の場合でも、改行はしてもしなくても構はないといふ事が言へるのだが、『讀點()』の場合には、確實に出來なくて、改行といふ選擇肢を手に入れる事は出來なくなつてしまつてゐる事が分かるだらう。

これが、發句の『一句二章』と『切字』との關係が深いといふ意味であるが、但し、例題の句には季語(きご)がないので、

 

   野を渡る風の白さや枯れ薄  不忍

 

とでもして置かう。

さて、この『一句一二章』には、既に述べたやうに表面に現れる一章と、(うち)に沈んだ一章とがあつて、表面(へうめん)に現れる一句は、發句の『一句二章』』として素直に諒解出來るが、内に沈んだ一句の場合には、恰も『一句一章』のやうに感じられるので、慣れないと理解(でき)ないと思はれるが、()づ、表面に現れる例を掲げると、

 

   野原に出ると美しい。

   特に蜻蛉は。

 

となり、これを發句に詠むと、

 

   野を渡る風にふるへし蜻蛉かな  不忍

 

   野を渡る風や蜻蛉はふるへけり  不忍(しのばず)

 

これが表面に現れる『一句二章』であるが、では、内に沈んだ場合はどのやうなものかといふと、前の文章に「風」も「蜻蛉」もゐない場合を想定して見ると、よく分かるだらう。その場合、

 

   野原に出ると美しい。

   蜻蛉はゐないが。

 

となるのではなく、單に、

 

   野原に出ると美しい。

 

といふ言葉だけになるから、まるで『一句一章』のやうに感じられるのであるが、本當はこの言葉に隱れて、これ以前の背景である、

 

   家の中にゐました。

   野原に出ると美しい

 

といふ、「今までゐた處よりかは」といふ意味の言葉がその前にあつて、矢張、『一句二章』といふ事になるのではあるまいか、と思はれるのである。 この例句を披露すれば、

 

   野に出ればいつのまにやら秋の中  不忍

 

といふ感じにならうか。

その意味では、發句の『一句二章』は二羽の兔(うさぎ)を操るのに似てゐる。

 

「二兔(にと)を追ふ者、一兔をも得ず」

 

といふが、それは二兔が全く別々の道へ逃げて行つた場合に、二兔を追ひかける愚をいふのであつて、二羽の兔を一本の道に追ひ上げる作業を發句といふのである。

この『一句二章』があるからこそ、發句は世界で最も短い詩形(しけい)足り得てゐるのである。

發句を詠むにしても作るにしても、これらの事を意識して、味はつたり味はへるやうに作句して欲しいものである。

最近では、外國の人にまで發句が盛んに作られてゐるといふ事だが、日本の發句とは似ても似つかぬものであるのは、そこの肝心な所を教へようとしないからであるし、それ以前に日本人自身が、これまで述べたやうな發句の形式を把握してゐなかつ爲に、作句は出來ても指導するのは難しかつたのではあるまいか。

外國の人に發句を理解してもらふには、少なくとも『一句二章』と『四分四拍子』の『三小節』といふ『拍子』を(をし)へなければならないと()へるだらう。

かうする事によつて、外國語による發句の世界も擴(ひろ)がるものと思はれるのだが、如何だらう。

 

 

   一九八八昭和六十三戊辰年十一月二十四日




始めからどうぞ


Ⅰ、發句(ほつく)拍子(リズム) A Hokku poetry rhythm theory

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發句雜記 Memorandum of hokku poetry
http://ahuminosinobazu.blogspot.jp/2012_01_01_archive.html







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