2012年6月30日土曜日

Hokku Anthology "springtime of life" 發句集『春青く』


發句集
Hokku poetry


青く
springtime of life

生きのびてまた巡りくる 青く  不忍

2012年度の作品

§



2月5日

名ばかりの春は隱れて過(よぎ)る鳥 不忍 

節分が過ぎると次の日が立春となる。
この句は當初(とうしょ)下句が「雲の果」であつたが寫生に捉はれるれてゐるやうなので「鳥の影」としたが、それでも「隱れ」るに對して動的な表現が欲しかつたのでこのやうに改めた。
春を追ふ!

昔も今も(And still) 作詞 村崎文男 作曲 高秋美樹彦




2月6日

生きのびてまた巡りくる 青く 不忍 

若き時代も過ぎ去つて、もはや青春とは縁がなくなつた年齡を迎へても、嚴しい冬が終つて春のきざしが見え始めると、なんだか浮き浮きとする。
芽吹く花はもうないと思つたが、心の中にはまだ咲き殘したものがあるのだらう。
生きてゐる限り……。


2月7日

ちらと聞けばかをりただよふ梅便り 不忍 

立春も過ぎたとは言へまだまだ寒さは嚴しいが、それでもちらほら梅の便りが聞かれるやうになつて來た。
例年は萬博記念公園に行くのだが、大阪城公園にも幾度か出かけた事があるので、今囘はまた違つた所へでも行かうかと思ひを馳せる。


2月8日

空からの涙も白き名殘り雪 不忍 

ちらと白いものが見えた。春ではあるが風花のやうな風情で、地面にたどりつくまでに消えてしまふほど果敢ない淡雪である。
どんよりとした黒く重い雲にその表情を隱した空からの言づてでもあるかのやうに、間隔をおいて咽ぶやうに舞つてゐる。


2月9日

雜蹈はまだ春浅き身形かな 不忍 

店へ行く道すがら堤防から眺める川や遠くの山は勿論の事、驛前の人混みを歩いてゐてもまだまだ冬の身支度をしてゐる人ばかりだ。
季節とのズレを調節しながら一年をうまくや過していくのだが、年齡の所爲(せゐ)か風邪をひいてしまつたりする。


2月10日

龜鳴いて空の落ちくる田のゆふべ 不忍 

店に行く途中に田圃があつて、ゆつくりと夕暮になつてゆくのを眺めて歩いて行く。
まるで空が落ちて來るやうに日が暮れるのは龜が鳴いたからのやうだと空想してしまふ。
「龜(かめ)鳴く」は春の季語で藤原爲家(1198-1275)の和歌が典據となつてゐる。

   川越のをちの田中の夕闇に
   何ぞと聞けば龜ぞ鳴くなる


2月11日

雪崩さへ穩やかになるお先觸れ 不忍 

この句は當初「穩やかになる前に雪崩の報せかな」とういふ「中句九音」の字餘りであつたが、春の穩やかな陽射しを主にしたかつたのでこのやうに推敲した。
當初の句も發句的で捨て難く思つてゐるけれども、嫌な事は良い事の爲にあると言はん歟()


2月12日

山からの風に身をおく淺き春 不忍 

通ひ道に田圃があり、そこに電線の鐡塔が聳えてゐるが、その遙か彼方に雲に覆はれた山が見える。
その山からの颪(おろし)のやうだといふのは大袈裟だが、まだ肌寒くて沈み切らぬ夕陽の中をトボトボと歩きさうになるので氣合を入れて前を向く。


2月13日

初音かと振向く彼方に深山あり 不忍 

雨が降り、その上寒さは依然として嚴しい。
車の通りの激しい道路を外れて裏道に入ると、そこは田圃が廣がる靜かな空間で、雨の所爲で人もゐない。
遠くに山を見つつ春を待つ願望が、聞えもせぬ鳥の鳴き聲を聞かせたのだらう。
深山は「しんざん」ではなく「みやま」と讀んで下さい。

幻聽の初音を聞かん雨の中 不忍


2月14日

嬉しさは樝古聿に非ず笑顏かな 不忍 

始めは「戴いたものは樝古聿(チヨコレエト)に非(あら)ず真心や」で、次に「手渡しのものに非ずや樝古聿」であつたが、これらふたつともに理窟つぽくて推敲した。
バレンタインデイは春の季語だが、チヨコレエトはさうするには苦しいかも。
世界の戀人ケンタウロス。
今年は義理チヨコ三個なり。噫!()


2月15日

公魚を余呉にさがせば白い湖 不忍 

去年の二月に余呉を巡つた。生憎雪は降つてゐなかつたが、積雪量は多かつたので一部しか散策出來ず、どうしても行きたかつた路通の句碑は見られなかつた。
あの時も余呉驛には公魚(わかさぎ)釣りの太公望たちが釣果を自慢し合つてゐた。
夏には行くか。


2月16日

見送りも餞もなし鳥歸る 不忍 

旅立ちに誰からの餞(はなむけ)も受けずに秋までの別れとばかりに鳥たちは飛んで行く。
これから行く場所とどちらを母國と思ふのか。
それとも地球に生れたといふだけで納得してゐるのか。
武士が下馬して見送る時に馬の鼻を相手に向ける事を餞といふ。


2月17日

被災して行き別れたり母子草 不忍 

母子草とは七草にある御形(ごぎよう)の事であるが、地震と津波で荒らされた大地に放射能といふ忌まはしいものまで抱へ込んでしまつた東北。
嘗て順(まつろ)はぬ民として征伐の對象となつた地。
故郷へ歸る事を諦めかけた人も多いのではないか。


2月18日

歎けとて陽も隱れたり鳥曇り 不忍 

「花曇り」といふ言葉は知つてゐたが「鳥曇り」は知らなかつた。
どちらも沈んだ氣分を表現したものであらう。
「曇り」といふ言葉が「花が散り」「鳥が渡る」といふ別れのそれをうまく表現してゐる。
「歎けとて」は語り過ぎか!


2月19日

ぱらぱらと草木うるほす雨水かな 不忍 

雨水は「あまみづ」と讀まずに「うすい」と讀み、二十四節氣のひとつである。
店に行かうと家の外に出ると、天氣が良いのにぱらぱらと顏にかかるものがあつて、「狐の嫁入り」かと思ひながら出かけた。
少ない雨でも草木には御馳走か。
まるで料理人が食材に調味料をかけるやうに、「ぱらぱらと」といふ表現に命を慈しむ天の配劑が感ぜられないだらうか。
『狐の嫁入り』は別に『日照雨(そばへ)』とも言ふが、嚴密には「日が照つてゐるのに小雨が降つてゐる」場合と、「ある所だけに降つてゐる」雨の『日照雨』とがあり、別に『片時雨(かたしぐれ)』ともいふ違ひがあるものと思はれ、但し、『片時雨』の時だけ冬の季語となる。


2月20日

すでにある美作の春や晴れの國 不忍 

昨日は朝早くから野暮用で美作へ出掛けた。
電車の鈍行で姫新線に乘つたのは二度目の事で、一度目は結婚の挨拶に出かけた時以来だから三十七年振りだ。
東北では雪の被害があり、大坂でもまだまだ寒いのにぽかぽかとして流石は晴れの国である。


2月21日

降りつもる風の便りや春いづこ 不忍 

新聞やテレビのニユウスを見聞きすると今年の雪の被害は甚大なもので、その降雪量も記録的だとある。
近年雪不足で困つてゐたスキイ場も餘りの雪の多さに却つて除雪の費用が嵩み、剩へ客足にも影響してゐるといふ。
そんな地域の便りに春は見つけられない。
「春未()だき」と言つてはゐるけれども季語は春だから、季重なりになるので冬の季語である「雪」は使へず、讀み手に『匂ひ・面影』として提示できればと考へた結果がこれである。


2月22日

赤子かと泣くこゑ探す猫の戀 不忍 

二月二十二日は「猫の日」ださうである。江戸幕府五代將軍徳川綱吉(1646-1709)が「犬公方」として有名だつたが、天皇に愛された猫も「五位」といふ位を受けたさうである。
さうでないと近づく事ができないからださうである。
()んぬる哉(かな)

YUJI さん。

春ゆゑの高らかにもゆる搖らぐ闇 不忍

 てな處でせうか。


2月23日

磯の香やぱりんと割つて海苔ご飯 不忍 

本來、木曜日は店が休みなのだが、この不景気で正月から始めて家でのんびりした。
といつても映畫「ドラゴン・タトゥーの女」を見に行つたので、晝(ひる)からは出かけたのだが、ゆつたりとした氣分になるのは久し振りだつた。

コンドル。
絶食中の身には堪りません。
磯の香りでお腹を慰めます。
「海苔」が春の季語なんですね、勉強になりました!

コンドル さん。
絶食中だとは知りませんでした。
細身(スレンダア)だつた記憶がありますが、何があつたのですか。
眞逆(まさか)中島嬢だつたといふのぢやありませんよね()
朝からノリで丼ぶり三杯も食べたならば問題あるかもしれませんが、味噌汁・漬物・海苔に小さな茶碗で輕くご飯をよそへば――美味しいですぞ。


2月24日

せめて作るおばちやん達の母子餅 不忍 

被災地で奉仕(ヴオランテイア)活動の人々が未だに應援(おうゑん)に行つてゐる。
特に稚(いとけな)い者の瞳を見てゐると何とかしてあげたいと思つてしまふ。
御握りや豚汁、餅などが振舞はれるのを見るとホツとする。
母子餅とは草餅の事である。


2月25日

大蒜も引立たせてや蘖炒め 不忍 

隷屬するのでもなく君臨するのでもない。
誰かが誰かを引立たせる爲に存在するといふのではなく、『共に生きる』事を選べないものか。
店の蘖(もやし)炒めには大蒜(にんにく)を入れないが、賄(まかな)ひの夕食には拔群の味であつた。
お客樣には不幸だつた?

松丸 ブディウトモ
しかしまあ、あれですわ。
競争か共生かと言えば、生物は共存共栄することが多いですね…。
今西錦司の「棲み分け理論」

ケンタウロス
松丸 ブディウトモ さん。
共生が同種族だけでない事を願ふも、所詮食物聨鎖の中にある以上は限界もあるものと思はれる。


2月26日

剪定を潤ひと見ん世の燈り 不忍 

身體(からだ)を美しくすると書いて『躾(しつけ)』と讀むと子供達には言ひ聞かせて來た。
(ひるがへ)つて己が身を振返れば忸怩(ぢくぢ)たるものがある。
同じ音でも「強制」と書けば角が立つが「共生」と書けば潤滑油となる。
(うるほ)ひのある社會の爲に。
「燈」は「燈(とも)し」と讀むが、ここでは「燈(あか)り」と讀んで下さい。
剪定は、なんだか餘分なものを取除いて、人の行くべき道を示さうとする行爲(かうゐ)に似てはゐないだらうか。
前囘に續いて説教くさい發句となつてしまつた。


2月27日

待つほどにまだ蕾なり梅便り 不忍

今週の木曜日に月ヶ瀬の梅林に出かけようと思つてゐたのだが、北野天滿宮も大阪城梅林もまだまだださうである。
例年は萬博記念公園へ行つて梅うどんを家族で食べるのだが、今年は行つた事のない場所へと思つてゐる。

鶯の化身となりて飛ぶやらん 不忍


2月28日

久方に目通りしたる雛の家 不忍 

數日前に雛人形を出したのだが、毎年の事とは言へ餘り關心がなかつた。
抑々(そもそも)雛祭りの起源は穢(けが)れや禍(わざはひ)を人形(ひとがた)に移して流した事に始まり、平安時代からだと言はれてゐるが、遙か埴輪の風習の名殘りでは……。
埴輪の件(くだり)は私の説で根據(こんきよ)はない。


2月29日

閏日や制禦せんとて日は西に 不忍 

小賢しくも、人樣は自分たちの生活し易いやうに自然を作り變へて來たが、最初は天地の變化に合はせて農作業や暮しを營んで來た。
自然を制禦(せうぎよ)しようなんて烏滸(をこ)がましい事なのかも知れない。
下五句を蕪村から拜借した。
『閏日』は歳時記には記載されてゐないやうである。
與謝(よさ)蕪村(1716-1783)は攝津の人で本姓は谷口で後に與謝氏となり、別號(べつがう)が多い。

光と時間


コンドル さん。
「俳言」といふ意味では「じゅんじつ」なのでせうが、作者としては「うるうび」と發音してほしいものです。
處で、いま服部緑地の都市緑化植物園から歸つて來たところです。
四時前に行つたのでそれほど時間はなかつたですが、椿が綺麗でした。


3月1日

病さへ癒すと言はん御水取 不忍 

東大寺二月堂の修二會(しゆにゑ)の行事のひとつである『御水取』は三月十三日(陰暦二月十三日)の未明になつて、堂の前の閼伽井屋(あかいや)やから水を汲んで本堂に納める儀式と辭書にあるが、これが濟めば關西では暖かくなると言はれてゐる。
恐らく、暖かくなるといふ事が萬病に利くのだらうと思つてゐると、夜のテレビのニユウスで「お水取」樣子が報道されてゐた。
「しまつた! 今年も見損ねたか」と思はず臍を噛んだ。
三月十三日だとばかり思つてゐた。
來年こそはと例年通りの今年である。

お水取り

VIVALDI
La Primavera
nd MOV.
Largo
Op.8


  
3月2日

岩陰に隱れかねたる菫かな 不忍 

その小さき容姿とは言へ人影もなき山奧ならばいざ知らず、逍遥の道の邊なれば行交(ゆきか)ふありて、可憐なる姿を人に見つけられたるなり。

美作田淵
YAMAHA QY100による

Mozart
Veilchen()
K.476  





3月3日

人が皆よかれとねがふ雛祭り 不忍 

三月三日の上巳(じやうし)の節句に女兒のゐる家で雛人形を飾り菱餅や白酒・桃の花を供へる行事で、雛祭りとか桃の節句と言はれてゐるが、さうなつたのは江戸初期で戰のなくなつてからの事である。

今日の日を桃の節句とのたまひぬ 不忍

上巳とは五節句の一つで陰暦三月最初の巳の日、後に三月三日に該當され、古代中國の祓(はらへ)の風俗行事といはれた
重三(ちようさん)・元(げんし)ともいふ。
五節句とは一年間の重要な五つの節句で、
一月七日「人日(じんじつ)
三月三日「上巳(じやうし)
五月五日「端午(たんご)
七月七日「七夕(しちせき)
九月九日「重陽(ちようやう)」菊の節句


3月4日

雨傘が春一番に踊りけり 不忍 

テレビの報道で春一番が吹くと言つてゐた。
おまけに雨まで降つてゐて何となく沈んだ氣分になるが、差してゐる傘が煽(あふ)られて右に左に搖れて、それがまるで春の訪れを喜んで踊つてゐるやうに感ぜられる。

Kumi さん。それは良かつたです。
一つの小さな作品が人の心に良い影響を與(あた)へたなんて、こんな作者冥利はありません。
Kumi さんもひとつ句作などいかがですか。
俳號に「空美」をお送りしたいと思ひますが、氣に入らなければスルウして下さい。

コンドル さん。
『Kumi 』さんへの適切な助勢(フオロウ)を有難う御座います。
「雨傘や」にすると「や」と「けり」で切字が二つになつてしまひます。
切字は一つが原則です。勿論、

『降る雪や明治は遠くなりにけり 草田男』

のやうに中には二つのものもありますが、こんなにうまく行つた例は滅多にありません()


3月5日

東風吹かば忘れもできぬ天満宮 不忍 

日曜日に京都の天満宮に梅を見に行かうと思つてゐた處、風邪を引いて動くのが辛くなつてしまつた。
それでも仕入れや店には藥とマスクで出かけてはゐる。
東風について氣になつてゐたが、せめて京都を偲んで詠んで見た。
東風は春一番の事ではないかと考へて、昨日の春一番の雨の日に妻と歩きながらそんな話をしてゐたら、三月五日の讀賣新聞の夕刊に、

『大阪府池田市の商家の日記には1831年の項に「春一番東風」とあり』

といふ記事を讀んで、何だかモヤモヤガ氷解したやうで嬉しくなつてしまつた。

松丸 ブディウトモ さん。
「南風」と書いて「はえ」と呼ぶのは夏の季語としては存じてをりましたが、『南風を「まぜ」と呼ぶ』のは知りませんでした。
因みに梅雨入りの頃のどんよりとした日に吹く風を「黒南風」といひ、梅雨明けの頃に吹く風を「白南風」といふとありました。
また賢くなつてしまつたわい()
更に、東風は(こち・春)、南風は(はえ・夏)、西風は(ならひ・冬)で東日本で使はれるが地方によって風向が異なり、北東風、北風、西風などさまざまである。
北風は(乾風・あなじ・あなぜ・あなし・冬)で近畿地方で使はれたと者の本にあるが、いつ頃からかまでは不明でした。


3月6日

春といへど除染の果ても瓦礫かな 不忍 

三月六日の朝日新聞に、

『復興「道筋つかず」92%』と『除染「期待できぬ」80%』

といふ記事があつた。
除染が解決されない限り復興は有得ないと思はれるのだが、除染したとしてもそれを何處へ處理するのか。
放射能といふ目に見えぬ瓦礫は殘つてしまふ。


3月7日

飛べもせぬ身を悟らせて山笑ふ 不忍 

(つらつら)(おもんみ)るに、我ならずとも人は空を飛べぬもの也。
中島みゆきに『この空を飛べたら』といふ切ない曲のあるを今更に思ひ侍りぬ。
草木萌え、長閑な春の陽射しを浴びれば、新緑の中へ誘はれんと飛ぶ心地すなり。
「山笑ふ」の形容は、『臥遊録』の、

「春山淡冶(たんや)にして笑ふが如く、夏山蒼翠(さうすい)にして滴るが如く、秋山明(めいじやう)にして裝ふが如く、冬山慘淡(さんたん)として眠るが如し

からと言はれ、夏山のみが「山開く」と異なつてゐたり。


3月8日

白梅や匂ひたちたる細き指 不忍 

八日、妻と娘の三人で大阪城公園の梅を觀に行つたが天氣も良くて人出も多かつた。
梅を見がてら晝食(ちうしよく)の辨當(べんたう)を食べ、綺麗な女性に「手タレ」になつて貰ひ、撮影をしてゐた豪州から來てゐる男性とも輕く挨拶を交はして何だか嬉しくなつた。

大阪城梅林

VIVALDI
La Primavera
1st MOV.
Allegro
Op.8
No.1




3月9日

盆栽に雨しみとほる主や梅 不忍 

店に行く途中の豐南市場の手前の喫茶店に、隨分と立派な梅の盆栽が入口に置かれてあつた。
雨の中で思はず見蕩れてしまつた。
この句の初案は『沁みとほる梅を住はす鉢に雨』であつたが、『盆栽に雨しみとほる梅の主』と變じてかくは推敲す。
主は「ぬし」。


3月10日

手に乘せて脈打つ子猫の震へけり 不忍 

公園の横の路地に幼兒(をさなご)の二人ばかりしやがんでゐたり。
訝つて覗けば捨て猫ありて牛乳(ミルク)を與(あた)へん。
三つの命あり。
これまで我が家に四匹の猫と暮したれど、抗原抗體反應(アレルギイ)の酷くなりて最後の猫を看取りてより飼ふ事能はず。


3月11日

震災の映像を見て。

春の雪におほはれた下の傷ふかし 不忍

けふは東日本大震災から一年經つた。
テレビの映像を見てゐて傳へるべき言葉もない。
深く黙祷するばかりである。

ひきもどす眺めや春の海の墓 不忍 

被災地の追悼の映像を見てゐて、もう一年が經つてしまつたのかと思ふ。
海は滿ち引きを繰返すが命を返してはくれない。
その眺めは巨大な墓標を見る思ひがした。

春の海も滿つることなき悲の器 不忍 

全ての水がそこに集まつても海は滿つることがないといふ。
ならば荒れる事無く津波など起さなければ良ささうなものなのに。
高橋 和巳(たかはし かずみ・1931-1971)の小説の題名を借りれば、その災害で生殘つた者は『悲の器』と化すしかないだらう。


3月12日

外國の親娘迎へん春の雪 不忍 

三月十二日、伊太利のニコル女史と母の二人を新大阪驛に迎へに行く。
シンデイ・ロオパアの東京と大阪の公演に來日したるなり。
十二時前に初めて對面す。
山口君の知り合ひなれば、外國(とつくに)よりの來客にわが長男の通譯頗る輕やかなり。
珍しく雪の降る。

YAMAHA QY100
Original(自作)

君は風
(You are the wind)




3月13日

命から命へ移る春爛漫 不忍 

今日の晝(ひる)は被災地の映像を見て三句も出來てしまつた。
この句は當初(たうしよ)「春が來てまた續きたる命かな」であつた。
大阪では梅は咲いたが桃や櫻はまだ咲いてゐない。
けれども、被災地の映像を見てゐると心の中はせめて春爛漫を願ふ。


年3月14日

傷む胸に炎熾るや御水取 不忍

中句は「炎(ほむら)(おこ)る」と讀み、十本の松明が二月堂の舞臺から夜空に燃上つて幻想的で、火の粉が振ひ落された時などは一齊に歡聲がどよめいた。
が、よく考へれば『籠松明』は見たのだが『御水取(おみずとり)』そのものの儀式は見てゐなかつた。
本當(ほんたう)は「炎」ではなく「焔」の正字を使ひたかつたのだが、環境依存文字だつたので文字化けの恐れがあると思はれたから諦めてしまつた。

お水取り

VIVALDI
La Primavera
nd MOV.
Largo
Op.8




3月15日

問ひ質す名こそ春なる陽の弱さ 不忍 

なんといふ寒さだらう。これが春? 
と思はず誰にともなく呟いてしまふ。
誰に問ひ質(ただ)したとて挨拶としか受取られず、本當(ほんたう)に寒う御座います、といふ答へが返つて來るばかりである。
御水取の効驗(かうげん)やあらたかなるか!


3月16日

春に降る雪や便りは北の國 不忍 

いくら寒くても大阪では滅多に雪は降らない。12日は珍しく降つたが、北海道では四月の中旬まで雪が降るさうで、『春一番』といふ季節感は北の國には當嵌(あてはま)らない。
そこで『雨一番』をそれに當てようと一六日の讀賣新聞の夕刊に掲載されてあつた。
以前にも述べた事があるが、縱に細長い日本列島では地域によつて季節にズレが出る。そのいい例が櫻前線であり、而(しかう)して季語は京都を中心とした近畿地方を基準にしてゐる。

コンドル
今日は彼岸入りですね。
「サッポロ一番」じゃなくて「雨一番」ですか(笑)すいません。 

亡き祖母と夢で会いたし彼岸入り 蒼鳥

コンドル さん。
どうせなら「一番搾り」の方が良いのですがね。
中句「會へて嬉しや」とすればどうでせう。更に一歩進めて「この日も會へん」といふ方法もありますが……。
祖母はいつでも自身の中にあるといふ氣持でゐられればと思ひます。
自分といふ存在は遙か彼方からの繋がりを教へてくれるのでは?


3月17日

此岸より彼岸に行かん濁世かな 不忍 

三月十七日は彼岸の入りである。
春分の日と秋分の日の前後三日間をいふが、季語では彼岸は春を指し、秋は「秋彼岸・後の彼岸」といふと辭書(じしよ)にある。
俗世間を此岸(しがん)として悟りの世界である彼岸へ渡る。
濁世(だくせ)を超越せん歟()


3月18日

手に乘せて思ふに任せぬシヤボン玉 不忍 

社會人になつてから久しく、自營業だから仕事を續けられてゐるものの會社勤めならば定年といふ年齡に達したので氣がつかないのか、春休みを控へた爲かこの時期が一番「シヤボン玉」の需要が多いのださうである。
大人はその儚さに空を見上げる。
大仰(おほぎやう)だから「天を仰(あふ)ぐ」とはせず、「空を見上げる」とした。


3月19日

玉筋魚の飯に勝りし口當り 不忍 

子共の頃に學校や遠足に行く時に梅干し辨當(べんたう)を持たされた。
アルミニウムの平べつたい箱にご飯が詰つてゐる眞中に梅干しが鎭座ましまして、それが日本の國旗のやうで『日の丸辨當』と稱してゐた。
「玉筋魚(いかなご)」はそれに伯仲する。
この時期になると娘婿の實家から玉筋魚(いかなご)の釘煮が送られて來て、例年、春を賞味する氣分を味はふ。
この玉筋魚の佃煮は播州の特産品と辭書(じしよ)にあつたが、婿殿の母親の實家が明石と聞いてゐたので、宜(むべ)なるかなと合點(がつてん)すること頻(しき)り。


3月20日

生垣のあたりに香る沈丁花 不忍 

この花は中國原産の低木。
葉は倒披針刑で革質。早春に紅紫色や白色の多數の花が咲くと辭書(じしよ)にあつた。
堤防沿いにある墓に參つた時、その附近のとある家の生垣に沈丁花(ぢんちやうげ)が植ゑられてあつた。
(かを)りは生垣の仕切りを越えて漂つてゐた。
内と外とに香りが共有できる花を生垣としてゐるその家の主(あるじ)に、奧ゆかしいものを感じてしまふ。
(つらつら)と惟(おもんみ)るに斯()くの如く推敲せり。

生垣を越えて香るや沈丁花 不忍


3月21日

語り合ふ夜明けの道や冴え返る 不忍 

まだまだ寒さが殘つてゐる。店を終へた明方の寒さも連合ひと話しながら歸ると氣にならず、家に速く著くやうに感ぜられる。
今日は妻の實家へ歸りがてら綾部山梅林へ立寄らうと思つてゐる。
今年は何處の梅林でも梅の咲くのが遲いので延長氣味である。


3月22日

見渡せば綾部の梅や瀬戸の海 不忍 

久し振りに店が休みで、本當は月ヶ瀬に梅を見に行く豫定だつたのだが、まだ蕾との情報で諦めた。
そこでお彼岸でもあつたので妻の實家へ歸る事にしたのだが、それならと播州綾部山梅林へ行つた。
二万本の梅が全山を覆ひ、眼下に瀬戸の海を臨む景色や良し。

綾部山梅林

Mozart
flute Quartet
 in D major,
K. 285.
1. Allegro




3月23日

飽きもせず日永眺めん梅の丘 不忍 

綾部山梅林は山とはいふものの丘陵といつても差支へなく、古墳群が點在してゐる。
梅を見つつ瀬戸内海を眺望できる場所が三箇所はあり、島津久子女史の歌碑もあつた。
今囘は地圖にない一番上は次囘に譲つたが、今も目に殘る見事な滿開の眺めであつた。


3月24日

見て食べてこれがさうかと鰆かな 不忍 

夕食はいつも妻と二人で店に著いてから食べ、忙しくなつたらお客樣の註文を聞いてから食べる場合もあるが、近頃はそれ程でもない。
その夕食にこれがさうよと妻が鰆(さはら)の鹽(しほ)燒を出した。
魚偏に春と書く位だから旬で、これまでにも食べた筈なのだらうが。


3月25日

人を庇ふ南大門や梅の雨 不忍 

奈良によしさんの企劃する『東大寺復興スピリッツ継承ツアー』へ參加した。
アツトホオムな人數でマンツウマンのやうな案内(ガイド)で叮嚀な解説でした。
大佛殿へ行く時は天氣が良かつたのに「南大門(なんだいもん)」に戻つた頃には鹿も見當らない程の雨で散會した。

奈良東大寺

SCHUBERT
TRIO
ndMOV.
Es-Dur
D929



3月26日

月をはさんで煌めき三つ春の宵 不忍 

月曜日は仕入れで亥の子谷へ行き、一端家に歸つた。
妻は先に店に行つたのだが、私はYouTubeに動畫を二つ上げるのに手間取つて出かけるのが遲れてしまつた。
自轉車で店に行く途中、空に金星・月・木星が等間隔で縱一列に竝んでゐた。
思はず道行く人に聲をかける。




3月27日

やはらかき思ひに觸れる草の餅 不忍 

平安時代には母子草の若葉を卷いたので別に母子餅とも言はれる草餅。
(よもぎ)の葉をまぜて搗いた餅だが、出來立ては柔らかくしつとりと手の上に乘り、それを食()めば食べるだらう子供たちに對する作り手の優しい心に触れるやうな氣がする。


3月28日

北の窓開けて光の搖らぐ部屋 不忍 

この句は當初(たうしよ)「部屋開けて光ゆらめく北の窓」だつたが、何だか語順がグチヤグチヤになつてゐるので、「思ひ切つて開けて光を北の窓」と改め、最後にかうなつた。
まだ温かいといふには程遠く、けれども思ひ切らなければ春は來ないやうな氣になる。


3月29日

街を行く人やよそほふ光る風 不忍 

天氣が良いので午後に江坂で珈琲を飲みに出た。
始めは「行く人が風ぞ光て纏ひけり」だつたが、「行く人の街に裝ふ光る風」と推敲し、最終案となつた。
風が氣持よく街中の木々や人の髮やスカアトを愛撫し、風を著てゐるやうな氣がせられた。


3月30日

ぴうと鳴く幟なびくや春嵐 不忍 

始めは中七句、下五句を「風はためかす春幟」と詠んだが、かう推敲する事にした。
三月は風速十米(メエトル)以上を觀測できるのは颱風シイズンの八、九月よりも上位ださうである。
店に行く途中春疾風(はやて)が吹いて、春休みだからか立てかけてある幟がはためいてゐた。


3月31日

夜目遠目庭にひともと辛夷かな 不忍 

野暮用で私だけ店に行くのが遲れてしまつたが、天竺川の堤防沿ひにある、とある家の庭に辛夷(こぶし)の花が咲いてゐた。
一本だけだが白い花を身に纏つたその浮びあがるやうな姿は、周りの風景をおさへて神韻(しんゐん)たるさま邉(あた)りを拂ふやうであつた。


4月1日

鞦韆や空の高處に消ゆる聲 不忍 

始めは「ぶらんこを漕ぐ高さから聲消ゆる」であつたが、「消ゆる聲」と體言止めにした。
暖かさが感ぜられるのか、子供たちが公園で遊んでゐる姿が見かけられるやうになつた。
勢ひよく鞦韆(ぶらんこ)に乘つて高處(たかみ)へと漕ぐ聲が空へ吸ひ込まれてゆくやうだ。


4月2日

空に向つて土手ひとすぢに雪柳 不忍 

天竺川の堤防沿ひはいま雪柳がさかりである。
特に神刀根線の緑地の入口あたり、今はなくなつてしまつたが釣堀の池の横は、櫻の時も長い距離を連なつて咲き亂(みだ)れてゐるので、溜息が出るほど美しい。
初案は「空にむかふ見上げる土手や雪柳」であつた。

コンドル
百花繚乱の季節到来ですね。
我が家の雪柳もやっと咲き始めましたよ~。
雪柳の白さは白より白い気がするのは浮き立つ季節の中で見るからでしょうかね。

コンドル さん。
差詰め、前の季節の雪の繼承者ででもあるかのやうで、折角そこまで思ひ到つてゐるならば句にするべきだつたでせう。
曰く。
降り殘す白より白い雪柳 不忍.


4月3日

唸る空に雲飛ぶ春の嵐かな 不忍 

日本列島に春の嵐が吹き荒れ、和歌山で風速三十八米(メエトル)を記録したとある。
一部地方では竜卷警報も出、車の横顛(わうてん)事故も多發したばかりでなく、風で飛ばされた器物で怪我をしたり、顛倒(てんたう)して死亡された女性の記事まであつた。


4月4日

貝殻を見てこりこりと榮螺かな 不忍 

鯨は捨てる處がひとつもなく全て使へるといふが、榮螺(さざえ)も身を食したあとの貝殻を細工して飾りに使つたりする。
身は刺身にしたり壺燒にするが、どちらかといふと刺身が好みである。
とはいへ家ではそれほど手輕に食卓には出ない高級品である。


4月5日

目と鼻でまづ食べる春のモオニング 不忍 

朝五時に出て途中滋賀に住む弟夫妻と合流。
名古屋へは八時半に著いて、名にし負ふモオニングを『茶音 姫』で總勢七名で食べた。
炊込みご飯・サンドイツチ・サラダ・ゆで卵・ヨウグルト・果物・スウプと珈琲。
この獻立(メニユウ)で四百円。
堪能!




4月6日

濡れた地に降つたかと聞けば春の霰 不忍 

寒の戻りなのか、晝(ひる)には雹(ひよう)やトラは降らなかつたが霰(あられ)が降つたさうである。
上句の「濡れた地に」は、午睡でもしてゐたのか目覺めて戸外に出たら路面が濡れてゐたので雨でも降つたのかと聞けば、といふ状況の發句獨自の省略法である。


4月7日

誰でもが死ぬと知ればこそ花の宴 不忍 

花見の季節となつた。
病氣を患つた身としては今年も無事に見られたといふよりは、あと何年といふ覺悟といつては大袈裟だが、さういふ心持ちで日々を送つてゐる。
本來はさういふ事がなくても一日一日を『一期一會』といふ心構えで過せれば良いのだが……。




4月8日

花冷えに酒盛あつき集ひかな 不忍 

この時期は春とはいへ急に冷え込むので、花見には羽織るものを持參した方が無難である。
花見といふ風習がよくぞこの國にあつたものだと感心するやら感謝するやらで、これを海外の人にもと不圖(ふと)おもつてしまふ。
さうしてこの後の花疲れにはご用心!


4月9日

座で愛でる宴や食べるは花の風 不忍 

當初(たうしょ)『花を愛でる宴や風を食べてみる』であつたが斯()く改めた。
松を吹き拔けてくる風を「松風」といひ、其處に吹く風の音を「松籟」といふ。
少しづつ散らしながらさやさやと櫻の花を撫でるやうに吹き拔けてくる風を何と言へば良いのだらうか。


4月10日

そこにあれば花の都とはなりにけり 不忍 

またしても服部緑地へ出掛けてしまつた。
「春眠曉を覺えず」といふが睡眠を惜しんでまで花見に現(うつつ)を拔かしてゐる。
この句、花が咲いてゐるならば其處が都だといつても良いのではないかといふ理窟つぽいものになつてしまつた。

服部緑地の櫻

VIVALDI
La Primavera
nd MOV.
Allegro
Op.8




4月11日

陽を享けて花の鏡や幻想郷 不忍 

陽の光を享受して池の邊に櫻が咲き誇つてゐる。
さうして水面にもそのまま櫻が映つてゐて、まるでその下に別世界の幻想的な理想郷が存在するやうに思はれる。
櫻なればこそか。



4月12日

わが世とていのち輝く花の雲 不忍 

十二日の木曜日に池田の五月山公園に行つた。
一面に櫻が滿開で、まるで山に雲がかかつてゐるやうに繚亂(れうらん)として春も酣(たけなは)といふ樣で、平日にも拘はらず駐車場が滿杯だつた。 長女と妻とお婆ちやんと、そして私の四人を長男がプリウスでお出迎へ!

池田五月山の櫻

Mozart
Flute Quartet
in D major,
K. 285. 2
Adagio




4月13日

從容と受けて散りゆく春の雨 不忍 

この句始めは「殉教のものを散らすや春の雨」であつたが、宗教臭を避ける爲かうなつた。
朝の歸り道にある櫻が降つてゐる雨で地面に花瓣(はなびら)を敷き詰めてゐた。
「弁・辨・瓣・辧・辯」現在これらの漢字は「弁」ひとつに収斂してしまつた。
()んぬるかな!

四月十三日は三箇月に一度の定期檢診だつた。細胞を取られるのだが麻醉をしてゐても異物が侵入して體内を動き廻るのが判るので、何度受けても馴れないこと夥しい。
御負けに夜になつてから痛みが本格化するので厄介である。
三週間に一度の藥を貰ひに行く方が増しである。
さういへば金曜日だつたのだ。


4月13日

塵の世や花の樞に守られて 不忍 

(とぼそ)とは辭書によれば「戸臍(とぼそ)」の意で、開き戸を廻轉(くわいてん)させるやうに作つた穴とあるが、別に戸もしくは扉の意味もあつて此處では戸の事である。
俗事に塗(まみ)れた日常をこの時ばかりは花が俗世との境界線を作つて防波堤となつてくれてゐるやうだ。





4月14日

憧れて逢ひたき人や花の妻 不忍 

「花妻」と花のやうに美しい妻といふ意味もあるが、別に見るだけで觸れられも出來ない妻の意味もあり、ここでは後者の方でしかも人妻であると想定して見た。
「人妻ゆゑにわれ戀ひめやも」と物語せむ、である。


4月15日

酒盛りや浮かれ過ぎんとて花曇 不忍 

またしても服部緑地へ朝食を兼ねて出掛けた。
これがこの地での最後になる櫻を見に行つたのだが、浮かれ過ぎを戒めんとてどんより曇つて寒かつたと思つたら、陽が照つて來た。


4月16日

角を曲がれば固唾呑んだり花に月 不忍

數日前に店を終へて家に歸る時、確かあれは十三日の夜明け前だつたと思ふが、角を曲がつて公園の櫻を見上げると、花の先の空には朧に霞んだ月が見えた。




4月17日

胸騒ぐ花の雪舞ふ陽射しかな 不忍 

散る花を雪に見立てて「花の雪」といふが、陽射しにきらめいて舞ひ散る櫻も染井吉野などは見納めとなつた。
八重櫻を中心とした造幣局の通り拔けが始まつたが、これと同じうして山間部の吉野も見頃となつたやうだ。贅澤だが今年も兩方出かけられたらなあ!

コンドル さん。
「いづれ地に堕ちると知」れど花の雪、とでも詠めばどうでせう。
地面にはなびらは殘つてもそこに宿つたそれぞれの命は儚く消えて行つてしまひます。

ひらひらと命の果てや花の雪 不忍


4月18日

目には見えぬ便りありとて黄沙かな 不忍 

遙か中國から海を越えて吹上げられて砂が降下してくる現象で、それほど有難くない便りかも知れないが古くから知られてゐて、「雲端に土降る心地して」と『奧の細道』にもあるぐらゐである。
「土降る」若しくは「黄砂(つちふ)る」とも表記し、(ばい)とも言ふ。


4月19日

名を問へば小手毬と言へど櫻かな 不忍 

造幣局の通り拔けに行つて來た。その年の櫻を一つだけ選んで今年は『小手毬』だといふ。
始め「選ばれし名は小手毬といふ櫻」と詠めど、どの花も見事でこれと選ぶのもどうかと思ふと言へば、それつてスマップの「世界で一番好きな花」だと娘に窘(たしな)められた。

造幣局の花見

Japanese instrum
(和樂器)による

BACH
FUGA
BWV 1000




4月21日

たゆたうて花の鏡となる湖水 不忍 

この句を詠んだ折實際に見たのは川面だが、「湖水」の方が詩的だと思つたのでさうする事にした。
すると忽ち我が身は人里離れた山間(やまあひ)の透明な水を湛へた湖に獨りで佇んでゐた。
言ひたい事の爲には嘘も厭はないといふ藝術上の虚實皮膜ならん。
虚實皮膜は「きよじつひまく」ではなく、「きよじつひにく」が正しいと辭書にあつた。
なんでも調べてみるものである。
藝術至上主義といはれるかも知れないが、その爲には虚偽の表現をしても構はないと考へてゐる。
言ひたい事もなく寫生の爲の寫生の句などにどのやうな意味があらうか。
「白河の關」に行つた行かないで作品の善し惡しを問ふのではなく、その内容で是非を問ふ可きではなからうか。
居乍らにして埃及(エジプト)へ行く身としては。




4月22日

憂世とは手に取る風や蜃気楼 不忍 

蜃とは海にゐる想像上の大蛤(おほはまぐり)の事で、それが氣を吐いて楼閣を大氣に描いたとされる。
蜃が氣を吐いたのが虹だと何かで讀んだ記憶があるが仏蘭西語で虹を「ラルカンシエル」といふが「シエル」とは貝の事ではないか。さうだとすれば……。


4月23日

何かあれとひと足早き花水木 不忍 

店に行く途中の天竺川の堤防の下に白い花水木が可憐な姿で風に震へて咲いてゐた。
當初は上五句を「幸あれと」としたけれども餘りに狙い過ぎてゐるのがあざといので氣が引けてしまつた。
花水木は夏の季語である。
夏はまだ來てゐない。
瑞祥なのか……。


4月24日

生きて來た果てに知りたる蜃気楼 不忍 

『盧生の夢』ではないがこれまで生きてみて、それがあつといふ間に過ぎ去つたやうに感ぜられる。
別に『一炊の夢』ともいはれるやうに、その時その時はそれなりに納得してゐた心算(つもり)だつたが、誰に言はれる譯でもないがさうと解ればといふ所か。


4月25日

昔見た妣の名に似た薊かな 不忍 

二、三歳の頃に名古屋に住んでゐて、まだぎりぎり妣(はは)が生きた姿を見た記憶が殘つてゐる時、家の裏側に薊が咲いてゐたのを覺えてゐる。
母は北海道で生れたので「蝦夷美」と言つたが、「ゑぞみ」だと思つてゐたら「えぞみ」が正しいかつた。
昔、親戚の叔母さんに會つた時、長女の名前は母親の影響かと聞かれて驚いた事があつたが、さう言へば「希美(のぞみ)」といふ名は「えぞみ」とよく似てゐると思ふので、いつの間にか潜在意識の中でそんなものがあつたのだらう。
紫不美男といふ筆名も紫式部からですかと言はれたのと同じ氣分である。




4月26日

肌に沁む小雨や赤き花水木 不忍 

歸り道にある公園に赤い花水木が咲いてゐた。
この間白い花水木を見てそれは今も咲いてゐるが、赤い方が少し遲れるのだらうかいつのまにやら雨に濡れながらも見事に咲いてゐる。
白は清楚な風情だが、赤は温もりが感ぜられ雨の中でも暫く立止つてゐられた。


4月26日

春雨や松と竹見る露天風呂 不忍 

けふは午後から萬博(ばんぱく)外周にある『お湯場』に行つて來た。
ゆつたりと三時間も過して、ついでに散髮と風呂上がりに輕く食事まで濟ませてしまつた。
この句は「露店から眺める竹と松や春」が初案であつたが、かく改めた。
松や竹もさうだがわたしも潤つた。


4月27日

住む人のあるとも見えず海市かな 不忍 

人の世の苦勞がない空間ででもあるかのやうに海の上に都市が浮び上がる。
海市(かいし)とは蜃気楼の事で、福永武彦(1919-1979)に同名の小説がある。
實體(じつたい)のない幻想的なその現象の空間には人の住む餘地などはない。


4月28日

春にすむ空の下行く守り人 不忍 

櫻の花の世話をする人を「花守」といふが、關西ではその櫻の時期も過ぎて夏を迎へようとしてゐる。
けれども來たるべき來年の春の爲にする花守人の仕事が盡きる事はない。
それは丁度われわれにだつて未來の爲に成す可き事の準備をしなければならないやうに……。


4月29日

やがて死ぬ春をながめて光る道 不忍 

これまで幾たび春を迎へ、そして見送つたのだらうか。
それは何も春に限つた譯ではないが、うららかな陽射しを浴びて無聊を託(かこ)つてゐると、生の一瞬の連續を人生と呼ぶ事がつくづく實感される。後ろにも前にも歩むべき道は年ごとに再生される四季の道標か。


4月30日

田の上は雨暗けれど紫雲英かな 不忍 

雨の中を百均でかつたビニイルの合羽を著て自轉車で店に行く。
足を挫いたので歩いて行くのは辛いから仕方がない。
途中で田圃に紫雲英(げんげ)が一面に咲いてゐるのを見て、雨は好きなのだが薄暗い風景の中でなんだか救はれたやうな氣分になる。


5月1日

忘れ去る涯に見つけん落し角 不忍 

吟懊惱した時はいつも歳時記を見る。それには鹿の角が拔け落ちる季節だとある。
人が生きて行くといふ事は、少しづつ大切なものを失ふ痛みを經驗する事なのだらうか。
さうしてそれが増えて行く事で、その痛みを知るゆゑに他の人に優しく出來るやうになるのかも知れない。


5月2日

來る季節の出迎へは行く春の雨 不忍 

この句の上五句の初案は「來る夏の」であつたが、夏と春の二つの季が重なつてしまつてゐて、更にこれ以前は「來たるべき季節や惜しむ春の雨」であつた。
けれども「出迎へ」と「行く」の對比を捨て難く思つてかうなつた。
重苦しい雲の上に晴れやかな季節が待つてゐる。


5月4日

行く春の朝に囀る命かな 不忍 

「囀りの命響いて春の朝」が始めに詠んだ姿で、しかも櫻が咲く前に作つた句だつたのだが、發表しそびれたのでかうなつた。氣がつくと鳥の鳴き聲を聞きながら家に歸る朝の道である

叔曼
(シユウマンSchuman1810-1856)

詩人の戀
DICHTERLOEBE

美しき五月に
Im wunderschonen Monat Mai
op.48-



§

 この一日一句を始めたのは去年の夏からの事であつた。
こんなに續けられるとは思つても見るかつたが、これからも出來るところまで續けようと思つてゐる。