2012年4月27日金曜日

Ⅳ、發句(ほつく)拍子(リズム)論 A Hokku poetry rhythm theory


發句(ほつく)拍子(リズム)
A Hokku poetry rhythm theory

この作品を讀む時に、この音樂を聞きながら鑑賞して下さい。
 これは自作(オリジナル),

 『Motion(和樂器・Japanese instrum)

 といふ曲で、YAMAHAの「QY100」で作りました。

 雰圍氣を味はつて戴ければ幸ひですが、ない方が良いといふ讀者は聞かなくても構ひませんので、ご自由にどうぞ。








       第八章 定型詩と自由詩に就いて

 

 『定型詩』とは、これまで述べたやうに『文字數』や『押韻』といふものが、世界的な詩での表現方法であつたが、日本の『定型詩』の場合は、そのいづれにも屬さず、「音樂に於ける『拍子(リズム)』が一定してゐる事を第一とする」といふのが本書の主旨(しゆし)であつた。

 

 その一方で、『自由詩(非定型)』とは、『文字數』や『押韻(あふゐん)』に束縛されない、文字通り自由な詩といふ事になるが、勿論、日本の場合は事情が違つてゐて、それ以外の『拍子(リズム)』が一定せず、『四分四拍子』から途中で『四分三拍子』に變化(へんくわ)したり、『五拍子』に變つたりする、不規則な『拍子』所謂(いはゆる)『變拍子』で表現された作品をも指すものであり、それは例へば、漢詩の五言絶句や七言絶句を創作するに際し、六文字で書く事を黙認したりするのと同じやうなもので、『定型』といふ枠からは食()み出た樣式(ヂヤンル)である事が、これまでの論調(ろんてう)で分かつてもらへるものと思はれる。

 

 從つて種田山頭火のやうな詩句も、當然『詩』として許される譯であるが、それを定型の『發句(俳句)』だと稱する所に問題があるといふだけで、假令(たとへ)それが優れた作品であつたとしても、『發句』である(ため)には、『季語(きご)切字』を有し、『四分四拍子の三小節(五七五の十七文字)』といふ形式を守らなければならないと言ふ外はないだらう。

 

 唯、我々のしてゐる事は『俳句』であつて發句ではない、と言はれるのならば、廂を貸したばかりにといふ氣分ではあるものの、最早、何を言つても無駄なのかも知れないが……。


2、第八章 定型詩と自由詩に就いて(初戀 島崎藤村)

          

一、定型詩に()いて

 

さて、この『拍子(リズム)』が一定してゐるといふ音型は、何も發句に限つた事ではなく、あらゆる『詩』に就いても言へる事である

 それを『定型詩』で考へてみると、

 

       初戀     島崎藤村(1872-1943)

 

   C♪♪♪♪♪♪†|♪♪♪♪†ζ|

    まだあげそめし まへがみの

    まだあげ初めし  前 髮 の

 

   C♪♪♪♪♪♪†|♪♪♪♪†ζ|

    りんごのもとに みえしとき

     林 檎のもとに 見えしとき

 

   Cγ♪♪♪♪♪♪♪|♪♪♪♪†ζ|

     まへにさしたる はなぐしの

      前 にさしたる  花  櫛 の

 

   C♪♪♪♪♪♪†|♪♪♪♪†ζ|

    はなあるきみと おもひけり

     花 ある 君 と  思 ひけり

 

 

   C♪♪♪♪♪♪†|♪♪♪♪†ζ|

    やさしくしろき てをのべて

     優 しく 白 き 手をのべて

 

   C♪♪♪♪♪♪†|♪♪♪♪†ζ|

    りんごをわれに あたへしは

     林 檎をわれに あたへしは

 

   C♪♪♪♪♪♪†|♪♪♪♪†ζ|

    うすくれないの あきのみに

     薄    紅  の  秋 の實に

 

   C♪♪♪♪♪♪†|♪♪♪♪†ζ|

    ひとこひそめし はじめなり

     人 こひ初めし はじめなり

  

   C♪♪♪♪♪♪†|♪♪♪♪†ζ|

    わがこころな() ためいきの

 

   C♪♪♪♪♪♪†|♪♪♪♪†ζ|

    そのかみのけに かかるとき

    その 髮 の毛に かかるとき

 

   C♪♪♪♪♪♪†|♪♪♪♪†ζ|

    たのしきこひの さかづきを

    たのしき 戀 の  盃 を

 

   Cγ♪♪♪♪♪♪♪|♪♪♪♪†ζ|

     きみがなさけに くみしかな

      君 が  情 に 酌みしかな

  

   Cγ♪♪♪♪♪♪♪|♪♪♪♪†ζ|

     りんごばたけの きのしたに

      林 檎 畑 の 樹の 下 に

 

   Cγ♪♪♪♪♪♪♪|♪♪♪♪†ζ|

     おのづからなる ほそみちは

     おのづからなる  細 道 は

 

  C♪♪♪♪♪♪†|♪♪♪♪†ζ|

    たがふみそめし かたみぞと

    誰がふみそめし かたみぞと

 

   C♪♪♪♪♪♪†|♪♪♪♪†ζ|

    とひたまふこそ こひしけれ

    問ひたまふこそ こひしけれ

 

 この詩は有名な藤村の作品であるが、『七五調』の音型で『四分四拍子』であり、この外にも『五七調』や『七七調』等といふ定型の形があると思はれるが、既に述べたやうに『定型』とは、言葉が同じ字數で續けるだけの事ではなく、それによつて『拍子(リズム)』が一定してゐなければならないと言へるだらう。

 逆にもつと言へば『拍子』が一定であるならば、言葉の數が多少の増減を餘儀なくされても、『定型』として認める事が出來るのである。

 


自由詩に()いて()

 

 

海にて 西條八十

 

 そこで今度は、『拍子』が一定してゐない自由詩をとり上げて見よう。

 『自由詩』といふものは先にも書いたとほり、その『拍子』が一定せず、『四分四拍子』から、途中で『三拍子』に變つたり『五拍子』に變化したりする、不規則な『拍子』を有する『詩』を指すものである。

 その例を掲げれば、

 

       海にて     西條八十(1892-1970)

 

   Cγ♪♪♪♪♪♪♪|3|4♪♪♪♪ζ|

     ほしをかぞふれ    ばななつ

      星 を 數 ふれ    ば 七 つ

 

   Cγ♪♪♪ † ♪♪|♪♪♪♪†ζ|

     きんのとうだい はここのつ

      金 の 燈 臺  は 九 つ

 

   C♪♪♪♪♪♪♪♪|♪♪♪♪♪♪†|

    いはかげにしろき かきかぎりなく

     岩 陰 に 白 き 牡蠣かぎりなく

 

   C♪♪♪♪†ζ|

    うまるれど

     生 るれど

 

   C♪♪ ♪♪♪ ♪♪♪♪|2|4♪♪ζ|

    わが こひは ひとつに    して

    わが  戀 は ひとつに    して

 

   3|4♪♪†ζ|

      さびし

       寂 し

 

 この詩も有名な作品であるが、ご覧のやうに「星を數ふれば七つ」の部分の拍子は、『四分四拍子』と『四分三拍子』の二小節からなつてゐて、これが『拍子』が一定してゐないといふ事であり、又、『自由詩』の特徴ともなつてゐる。

 本來、この『拍子』が一定しないといふ傾向は、音樂の世界では民族音楽(民謠)を除けば、顯著な例として表れるやうになつたのは、近代になつてからであるが、これは新しい音楽形態の摸索の時代である、證據なのかも知れない。

 猶、二聯目の「岩陰に白き牡蠣かぎりなく」といふ詩句の、「岩陰に白き」といふ『拍子』に就いては、

 

   C♪♪ ♪♪♪() ♪♪†|

    いは かげに しろき

     岩   陰 に 白 き

 

 といふ音型も考へられるだらう。

 更に、最後の「して寂し」の文言(もんごん)に、

 

   5|4♪♪ζ♪♪†ζ|

      して さびし

      して  寂 し

 

 と『四分五拍子』にしても不自然ではなく、また、

 

   C♪♪♪♪†ζ|

    してさびし

    して 寂 し

 

 といふやうに、『四分四拍子』一小節にする音型も考へられるだらう。

 しかし、「寂し」といふ言葉が改行されてゐたので、敢へて『四分二拍子』に分割した次第であるが、このやうな事はこれから述べる作品に就いても同じやうな事が言へ、(いく)つかの『拍子類型(リズムパタアン)』が考へられる事を豫(あらかじ)(こと)つておく。


 

自由詩に()いて()

 

 

道のあちこち 木下杢太郞 二、

 

 次は、木下杢太郞(きのしたもくたらう・1885-1945)の作品で、

 

        道のあちこち   木下杢太郞

 

   Cγ♪♪♪♪♪♪♪|♪♪♪♪♪♪†|

     みちのむかうを をんながとほる

      道 の 向 うを  女 が 通 る

 

   Cγ♪♪♪♪♪♪♪|2|4♪♪†|

     づきんめぶかに    とほる

    頭 巾 目 深 に     通 る。

 

   Cγ♪♪♪♪♪♪♪|♪♪♪♪♪♪ζ|

     こつちがはをば をとこがゆく

    こつち 側 をば  男 がゆく

 

   C♪♪♪♪♪♪†|

    さむさうにゆく

     寒 さうにゆく。

 

   Cγ♪♪♪♪♪♪♪|♪♪♪♪♪♪ζ|

     だれもしらない よみちだもの

     誰 も知らない 夜 道 だもの。

 

   Cγ♪♪♪♪♪♪♪|♪♪♪♪♪♪†|

     それもいそぎで なささうだもの

     それも 急 ぎで なささうだもの。

 

   Cγ♪♪♪♪♪♪♪|♪♪♪♪†ζ|

     たとひしらない ひとだとて

     たとひ知らない  人 だとて、

 

   C♪♪ ♪ ♪♪♪♪♪|♪♪♪♪♪♪†|

    いつしよにいつたつ てよからうにね

    一 緒 に行つたつ てよからうにね。

 

 この作品は言葉の傾向として「三音」と「四音」の組合はせが多く、

 

   C♪♪♪+♪♪♪♪|

 

 これが八聯(はちれん)の内に六聯も有つて、殆どが『四分四拍子』で『定型詩』と言つても通用しさうな程であるが、惜しむらくは二聯目の「通る」が、『四分二拍子』である事が傷になつてゐるので、矢張、『自由詩』といふ事になつてしまふ。際疾(きはど)い所であると言ふ外はない。

 


自由詩に就いて()

 

 

冬が來た 高村光太郞()

 

 

 次は高村光太郞(たかむらくわうたらう・1883-1956)の作品である。

 

          冬が來た   高村光太郞

 

   C♪♪♪♪♪♪♪♪|2|4♪♪ζ|

    きつぱりとふゆが    きた

    きつぱりと 冬 が    來た

 

   C♪♪♪♪♪♪†|♪♪♪♪†ζ|

    やつでのしろい はなもきえ

    八つ手の 白 い  花 も消え

 

   3|4♪♪♪♪♪♪|C♪♪♪♪♪♪†|

      ポプラのきも  はうきになつた

      公孫樹の木も   箒 になつた

 

   3|4♪♪♪♪†|C♪♪♪♪♪♪†|♪♪♪♪†ζ|

      きりきりと  もみこむやうな ふゆがきた

      きりきりと  もみ込むやうな  冬 が來た

 

   2|4γ♪♪♪|3|4♪♪♪♪♪♪|2|4♪♪ζ|

       ひとに    いやがられる    ふゆ

        人 に    いやがられる     冬

 

   C♪♪♪♪♪♪♪♪|6|4 † ♪♪♪♪♪♪♪♪ζ|

    くさきにそむかれ    ちゆうるいににげられる

     草 木に 背 かれ     蟲  類 に逃げられる

 

                     C♪♪♪♪†ζ|

                      ふゆがきた

                       冬 が來た

 

   2|4♪♪†|

      ふゆよ

       冬 よ

 

   C♪♪♪♪†ζ|♪♪♪♪†ζ|

    ぼくにこい  ぼくにこい

     僕 に來い   僕 に來い

 

   Cγ♪♪♪♪♪†|♪♪†♪♪†|γ♪♪♪♪♪♪♪|

     ぼくはふゆの ちからふゆは  ぼくのゑじきだ

      僕 は 冬 の   力  冬 は  僕 の餌 食 だ

 

   C♪♪♪♪†ζ|3|4♪♪♪♪ζ|

    しみとほれ、    つきぬけ

    しみ 透 れ、    つきぬけ

 

 

   3|4 ♪ ♪♪♪†|Cγ♪♪♪♪♪♪♪|1|4ζ|

      くわじをだせ   ゆきでうづめろ

       火 事をだせ    雪 で 埋 めろ

 

   C♪♪♪♪♪♪†|♪♪♪♪†ζ|

    はもののやうな ふゆがきた

    刃 物 のやうな  冬 が來た

 

 この『冬が來た』などは、『四分二拍子』や『四分四拍子』や『四分四拍子』があつて、将に『自由詩』そのものであり、『定型詩』との違ひがよく分かるものと思はれる。


  

自由詩に()いて()

 

 

小景異情(その二) 室生犀星 

 

 

 次は島崎藤村(1872-1943)の詩を調べたいと思つたのだが、藤村の詩は、芭蕉に心醉してゐた彼らしく、『五七調』や『七五調』の定型が多いので、室生犀星(1889-1962)の『抒情小曲集』の中の作品を調(しら)べる事にする。

 

      小景異情(せうけいいじやう) その二 室生犀星

 

   C♪♪♪♪†ζ|♪♪♪♪♪♪†|♪♪♪♪†ζ|

    ふるさとは  とほきにありて おもふもの

    ふるさとは   遠 きにありて  思 ふもの

 

   Cγ♪♪♪♪♪♪♪|♪♪♪♪†ζ|

     そしてかなしく うたふもの

そして (かな) しく うたふもの

 

   2|4γ♪♪♪|3|4♪♪♪♪†|

       よしや    うらぶれて

 

   Cγ♪♪♪♪♪♪♪|♪♪♪♪†ζ|

    いどのかたゐと なるとても

異土の 乞食 と なるとても

 

   Cγ♪♪♪♪♪♪♪|♪♪♪♪†ζ|

     かへるところに あるまじや

    歸 るところに あるまじや

 

   Cγ♪♪♪♪♪♪♪|♪♪♪♪†ζ|

     ひとりみやこの ゆふぐれに

  ひとり 都 の ゆふぐれに

 

   C♪♪♪♪♪♪†|♪♪♪♪†ζ|

    ふるさとおもひ なみだぐむ

  ふるさと 思 ひ  涙 ぐむ

 

   C♪♪♪♪♪♪†|

    そのこころもて(・・)

 

   Cγ♪♪♪♪♪♪♪|♪♪♪♪†ζ|

     とほきみやこに かへらばや

    遠 きみやこに かへらばや

 

   Cγ♪♪♪♪♪♪♪|♪♪♪♪†ζ|

     とほきみやこに かへらばや

  遠 きみやこに かへらばや

 

 室生犀星も、實(じつ)は島崎藤村に負けず劣らず芭蕉に傾倒(けいたう)してゐて、芭蕉に就いても優れた文章を殘してゐるので、どちらかといふと『定型詩』のやうな美しい『拍子(リズム)』を持つた詩が多いのだが、藤村に比べると、稍(やや)『自由詩』のものが目につき易いと言へるだらう。

 

自由詩に()いて()

 

 

寂しき春 室生犀星()

 

 

 次も同じく室生犀星(1889-1962)の作品で、作者の好きな詩の一つである。

 

         (さび)しき春   室生犀星

 

   C♪♪♪♪♪♪†|♪♪♪♪†ζ|

    したたりやまぬ ひのひかり

  したたり止まぬ 日のひかり

 

   C♪♪♪♪♪♪†|♪♪♪♪†ζ|

    うつうつまはる みづぐるま

  うつうつまはる  水 ぐるま

 

   C♪♪♪♪†ζ|

    あ()ぞらに

 

   C♪♪♪♪♪♪♪♪|3|4♪♪†ζ|

    ゑちごのやまもみ    ゆるぞ

   越 後の 山 も見    ゆるぞ

 

   C♪♪♪♪†ζ|

    さびしい()

 

   C♪♪♪♪♪♪♪♪|2|4†ζ|

    いちにちものいは    ず

   一 日 もの云は    ず

 

   3|4♪♪♪♪♪♪|♪♪†ζ|

      のにいでてあ ゆめば

   野にいでてあ ゆめば

 

   C♪♪♪♪♪♪†|

    なたねのななは

  菜 種 のはなは

 

   Cγ♪♪♪♪♪♪♪|γ♪♪♪♪♪♪♪|1|4ζ|

     とほきかなたに  なみをつくりて

   遠 きかなたに   波 をつくりて

 

   Cγ♪♪♪♪†|

     いまはは()

 

   2|4γ♪♪♪|C♪♪♪♪†ζ|

       しん(・・)に  さびしいぞ

 

 これで『定型詩』と『自由詩』の差が、讀者には恐らくもう分かつたものと思はれる。

 

 

自由詩に()いて()

 

 

秋刀魚の歌 佐藤春夫()

 

そこで最後に少し長いが、佐藤春夫(1892-1964)の作品を調べて、この『定型詩』と『自由詩』の解析を終らう。

 

         秋刀魚の歌   佐藤春夫

 

   2|4γ♪♪♪|

       あはれ(・・・)

 

   C♪♪♪♪†ζ|

    あきかぜよ

   秋 風 よ

 

   Cγ♪♪♪♪♪†|♪♪♪♪†ζ|

     こころあらば つたへてよ

情 あらば  傳 へてよ

 

     C♪♪♪() ♪♪†ζ|

    ――をとこ ありて

―― 男   ありて

 

   Cγ♪♪♪♪♪♪♪|2|4♪♪†|

     けふのゆふげに    ひとり

   今日の夕餉に     ひとり

 

   C♪♪♪♪♪♪♪♪|

    さんまをくらひて

    さんまを 食 ひて

 

   C♪♪♪♪♪♪♪♪|1|4ζ|

    おもひにふけると

   思 ひにふけると。

 

 

   4|4γ♪♪♪ ♪♪♩|

       さ()ま、さんま

 


   3|4♪♪♪♪†|Cγ♪♪♪♪♪♪♪|

      そがうへに   あをきみかんの

 そが 上 に    靑 き 蜜柑 の

 

                |♪♪ ♪♪♪() ♪♪†|

                 すを したた らせて

 () したた らせて

 

   C♪♪♪♪♪♪†|6|4♪♪♪♪♪♪ ♪♪♪♪†|

    さんまをくふは    そのをとこが ふるさとの

  さんまを食ふは    その 男 が ふる 里 の

 

                     C♪♪♪♪†ζ|

                      なら()なり。

 

   3|4♪♪♪♪♪♪|5|4♪♪♪♪ ♪♪♪() ♪♪†|

      そのなら()を    あやしみ なつか しみて

 

                     2|4♪♪♪♪|

                        をんなは

   女 は

 

   C♪♪♪♪†ζ|γ♪♪♪♪♪♪♪|2|4♪♪†|

    いくたびか   あをきみかんを    もぎて

  いくたびか    靑き 蜜柑 を    もぎて

 

             C♪♪♪♪♪♪♪♪|2|4|†ζ|

              ゆふげにむかひけ     む。

   夕餉 にむかひけ     む。

 

   Cγ♪♪♪♪♪†|♪♪♪♪♪♪♪♪|♪♪♪♪†ζ|

     あはれひとに すてられんとする ひとづまと

   あはれ 人 に 捨てられんとする  人 妻 と

 

   5|4γ♪♪♪♪♪♪♪♪♪|

       つまにそむかれたる

  妻 にそむかれたる

 

        6|4♪♪♪♪ ♪ ♪♪♪♪♪♪♪|2|4†ζ|

           をとことしよくたくにむかへ    ば、

  男 と 食  卓 にむかへ    ば、

 

 

   5|4♪♪ ♪♪♪() ♪♪♪♪♪♪|C♪♪ ♪♪♪() †ζ|

      あい うすき ちちをもちし  をん なのこ は

   愛  うすき  父 を持ちし    女 の兒 は

 

   C♪♪♪♪♪♪†|♪♪♪♪♪♪♪♪|2|4†ζ|

    ちいさきはしを あやつりなやみつ    つ

   小 さき 箸 を あやつりなやみつ    つ

 

   C♪♪ ♪♪♪ ♪♪♪ †|♪♪♪♪♪♪†|

    ちち ならむ をとこ に さんまのわたを

   (ちち)  ならむ  男  に さんまの 腸 を

 

         C♪♪♪♪♪♪†|3|4♪♪♪ †ζ|

          くれむといふに    あらず や。

  くれむと()ふに    あらず や。

 

 

   2|4γ♪♪♪|

       あ()

 

   C♪♪♪♪†ζ|

    あきかぜよ

   秋 風 よ

 

   6|4♪♪ ♪♪♪ ♪♪♪♪ζ|

      なれ こそは みつらめ

  汝  こそは 見つらめ

 

   C♪♪♪♪♪♪†|♪♪ ♪♪♪ †ζ|

    よにつねならぬ かの まどゐ を。

  世のつねならぬ かの  團欒  を。

 

   2|4γ♪♪♪|

       いか()

 

   C♪♪♪♪†ζ|

    あきかぜよ

   秋 風 よ

 

   3|4♪♪♪♪♪♪|♪♪♪♪ζ|

      いとせめてあ かしせよ

  いとせめて 證  せよ

 

   C♪♪♪♪ ♪♪♪() ♪♪♪()♪♪♪ ♪♪♪ †ζ|

    かのひと ときの まどゐ ゆめに あらず と。

 かの (ひと)  ときの  團欒  ゆめに  非 ず と。

 

 

   2|4γ♪♪♪|

       あ()

 

   C♪♪♪♪†ζ|

    あきかぜよ

   秋 風 よ

 

   Cγ♪♪♪♪♪†|♪♪♪♪†ζ|

     こころあらば つたへてよ

   情 あらば  傳 へてよ、

 

   Cγ♪♪♪♪♪♪♪|♪♪♪() ♪♪†ζ|

     てんをうしなは ざりし つまと

    夫 を 失 は ざりし  妻 と

 

   2|4γ♪♪♪|C♪♪♪♪♪♪†|♪♪♪() ♪♪†ζ|

       ちちを  うしなはざりし をさな ごとに

   父 を   失 はざりし  幼  兒とに

 

   C♪♪♪♪†ζ|

    つたへてよ

   傳 へてよ

 

     C♪♪♪♪♪†ζ|

    ――をとこありて

    ── (をとこ) ありて

 

   Cγ♪♪♪♪♪♪♪|2|4♪♪†|

     けふのゆふげに    ひとり

     今日の 夕餉 に    ひとり

 

   C♪♪♪♪♪♪♪♪|

    さんまをくらひて

    さんまを 食 ひて

 

   C♪♪♪♪ ♪♪♪() †ζ|

    なみだを ながす と

     涙 を ながす と。

 

 

   Cγ♪♪♪ ♪♪†|

     さ()ま、さんま

 

   Cγ♪♪♪♪♪♪♪| ♪ ♪♪♪†ζ|

     さんまにがいか しよつぱいか

     さんま 苦 いか  鹽 つぱいか。

 

   3|4♪♪♪♪†|Cγ♪♪♪♪♪♪♪|♪♪ ♪♪♪() †ζ|

      そがうへに   あつきなみだを した たらせ て

      そが 上 に    熱 き 涙 を した たらせ て

 

   C♪♪♪♪♪♪†|♪♪♪♪♪♪†|♪♪♪♪†ζ|

    さんまをくふは いづこのさとの ならひぞや

    さんまを食ふは いづこの 里 の ならひぞや

 

   2|4γ♪♪♪|

       あ()

 

   2|4♪♪♪♪|3|4♪♪♪♪♪♪|♪♪†ζ|

      げにそは    とはまほしく をかし

      げにそは    ()はまほしく をかし

 

 

 さて、以上述べて()たやうに、『自由詩』とは普段我々が喋つてゐる言葉に近いものが多い事に氣がつかれたであらう。

 普段の會話とはどういふものかといふと、我々は喋る時、意味もなく音を伸ばしたり、他の作業をしたりして、『拍子』が一定してゐないといふ事で、その事と『自由詩』は似てゐるといふ事である。

 その意味では、多人數で同一の作業を必要とする、『田植』とか「漁業」關係の仕事に從事する場合の、「掛け聲」や「勞働歌」等や、或いは「乘馬」とかの連續する動作を要する『拍子』が、『定型詩』を詠むといふ行爲に移行していつたのではなからうか。

 

 

 元來、『詩』のやうな書き言葉といふものは、會話と違つて、ある特定の(かた)があつたのである。

 それが明治の頃になつて、『言文一致』といふ運動が盛んになり、それに觸發されるやうにして、『新體詩』といふものが擡頭(たいとう)して來て、今日に到つてゐるのである。

 ここに紹介した『詩』は、その頃に活躍した多くの中の一部の詩人逹の作品である。

 といふ事は、『定型』とは文字數によるものだけではなく、實は『拍子(リズム)』によつて、その『定型』であるか否かを決定してゐたのであるといふ事が、これで證明されたものと思はれるが、どうであらうか……。

 

 

   一九八八昭和六十一戊辰(つちのえさる)年十一月二十二日

  


Ⅴ、發句(ほつく)拍子(リズム)論 A Hokku poetry rhythm theory

 











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