2012年8月8日水曜日

Hokku poetry "Zhu has summer" 發句集「夏朱く」





發句集
Hokku poetry 

夏朱く
Zhu has summer


立ちのぼる雲を押へて夏朱く 不忍

2012年度の作品


§


五月四

春過ぎてなほ咲き示す花水木 不忍
 



つひに夏である。
けれども夜明け前の寒さツたらなんだといふ感じで、これで本當に夏は正體を現すのかと思つてしまふが、よく考へてみると雹が降るのは夏だつたりするのだからこんなものなのかも知れない。
花水木の季語は夏なのだが、今年は春に咲いてしまつたので、事の序でに「季重なり」の句に挑戰といふ心算(つもり)で作つてみた。



五月五日

陽に滿ちてこぼれるほどの杜鵑花かな 不忍 

店への往き來で公園などに白や赤や淡紅色(ピンク)の色をした五月の花が陽を受けて咲き亂(みだ)れてゐる。
杜鵑花は「さつき」と讀み、杜鵑(ほととぎす)が鳴く頃に咲くのでさう書くと辭書(じしよ)にある。
ツツジ科の常緑低木で普通は五月と書く。

コンドル
きれいな句ですね。情景が目に浮かびます。そう言うと五月と秋に咲くホトトギスも似てますね!鳴き声の好きな鳥です。

コンドル さん。秋に咲く「杜鵑草(ほととぎすさう)」は辭書では知つてゐましたが、實物はまだ見た事がないと思ひます。といふのも知らないのだから見てゐたとしても素通りしたに違ひないからです、ツて相も變はらず理窟つぽい事だ!



五月七日

葡萄酒をたまには梅酒で朝餉かな 不忍 

朝食にはいつも妻と中瓶の麥酒(ビイル)一本と葡萄酒(ワイン)の赤を飲んでゐる。
赤の葡萄酒が身體(からだ)に良いと聞いたからだが、今日は丁度葡萄酒がなくなつたので、妻が作つておいた梅酒を飲んだ。
甘露! 
なんと驚いた事に「梅酒」は夏の季語である。



五月八日

朝の墓へ月命日や桐の花 不忍 

父が亡くなつてもう十年にもなるかと驚いてしまふ。
ある時から突然現れてある時期が過ぎると煙のやうに消えてしまふ。實に人間の存在は果敢無いものである。
墓を參る血縁がゐるのと同じで、命が繋がつてゐるのを教へるかのやうに墓の横の公園に大きな桐が淡紫色の花を咲かせた。
樹齡を重ねた大きさに似ずその花の可憐なことよ。



五月九日

浮草の冷たさだけを知る命 不忍 

水面を風に流されてゐる浮草を見てゐるとなんだか切なくつて、きつと水の冷たさだけが生の實感なのではないだらうかと身につまされてしまふ。
最初の「浮草の冷たさだけが知る思ひ」をかう改めた。
浮草は夏の季語で冬の冷たさでないのが何だか救はれる。



五月十日

神鳴りや灰色の空落ちて來る 不忍 

始めは「灰色の空落ちて來る稻光」であつたが、「稻光(いなびかり)」が秋の季語だつたのでかうなつてしまつた。
出來としては「灰色の」の方が「神鳴りや」よりも氣に入つてゐる。
勿論「神鳴り」の季語は夏である。
それにしても激しい雷と雨であつた。
この「神鳴りや」の上五句も始めは「落雷や」であつたが、さうすると「落雷」の「落」と「落ちて來る」の「落」で二重(ダブ)つてしまふので、かうなるのは理の當然(たうぜん)であらう。

トルネード山に挟まれ無き五月 松叡

高知市街は南北を山に挟まれ、風水上めでたき地形です。昨日の積乱雲でも、雷雨のみ。ほっとしましたわー。

松丸 ブディウトモ さん。
無事これ名馬、といふところですな。
「無き」がどこにかかるのか。「トルネード」にかかつて災害がなかつた事で胸を撫で下ろしてゐるのだとしても句意が弱く、「無き」が「五月」に引張られてしまふやうな氣がしてしまひます。

龍卷も山ある里()の五月かな

てなのは如何でせうか()

龍馬あり竜巻はなしトサミズキ(松叡)

 にしましょうか?

松丸 ブディウトモ さん。
俳味があつて面白い句ですな。
「トサミズキ」つて酒の銘柄のやうですが、調べてみますとマンサク科の落葉低木とあり、早春に淡黄色鐘形の五瓣花をつけるとあります。
四國の山中に自生するさうですが、まだ見た事がないので感想は控へさせていただきます。
季語としては辭書にはありませんでした。



五月十一日

目に刺さる水面きらめく緑かな 不忍 

一箇月に一囘といふ久し振りの休みだつたので、散歩がてら服部緑地へ出かけた。
その後六時過ぎに次女が私の誕生日祝ひにと梅田第三ビルの「花かれん」へ行つた。



五月十二日

咲き切つた垣根の五月の萎れかな 不忍 

生きるといふ事は經驗を積んで内面が豐かになる事であるが、やがて來る老醜をも曝さなければならないといふ事で、櫻のやうに散り際も美しい花は珍しく、あれほど見事に咲き誇つてゐた五月の花が地面に落ち或は萎れたまま殘つてゐる。
でも、それは次に備へる爲でもある。



五月十三日

地に満ちて泉下にも届け麝香撫子 不忍 

「麝香撫子(じやかうなでしこ)」とはカアネエシヨンのことである。
いつも態々(わざわざ)難しい漢字で外來語の動植物や人名を表記するのは惡趣味だと思はれるかも知れないが、取敢へずかう書くといふ事を知つておくのは無駄ではないやうに思はれる。
普段は使用しない漢字の表記をする時は、二度目からは元の片假名表記に戻すやうに心掛けてゐる。
「巴哈」と書いてバツハと讀む知識を蓄積して、いつでも取り出せるやうにしておく面白さたるや、どれほど言語を盡しても解つてもらへないのかも知れない。
それツて文字を覺える意味ないぢやん。

やつと本題に入るが、五月の第二日曜日が『母の日』となつたのは亞米利加(アメリカ)での事で、南北戰爭終結直後、女性參政權運動家が夫や息子を戰場に送るのを拒否しようと立ち上がり「母の日宣言」をし、一九〇七年にその娘が亡き母親を偲んで白いカアネエションを贈つたのが起源とされる。
私の實母はもうゐないので、せめてあの世にもといふ句意だが、よく考へると花は店で買ふので群生してゐるのを見た事はない。
精神の中の花畑に咲かせておく外に方法はない。
今日は繼母を店に呼んでみんなでお祝ひをしよう。



五月十三日

人生は遍路やせめて編みの笠 不忍 

挫折したり醜聞(スキヤンダル)になつた管元首相や萩原健一氏がお遍路姿になつた四國八十八箇所巡りをしたが、何も人生に躓かなくても人は人生を旅する頼りなさに、せめて雨露を凌ぐ編み笠のあるのを有難いと思つて生きて行くのだらう。
お接待があれば尚更に嬉しい。
「編み笠」が夏の季語。
この句「人生は」とは語り過ぎで、上五句を「道を行く」と改めて「道」といふ表現に人の「生涯」を託せればと思案する。

道を行く遍路やせめて編みの笠 不忍 




五月十四日

振返る擦れ違ふ乙女や風薫る 不忍 

普段も仕入れはあるのだが、月曜場は特に仕入れに遠くまで出かける。
途中に服部緑地を通つて行くと多くの人とすれ違ふが、見目麗しき女性の場合は思はず振り返つてしまふ。
緑の木々を拔けた風がその少女をあふるやうに通り過ぎて來る。人ごと乍ら未來に幸あれと願ふ。



五月十五日

雨とても田植の前の田拵え 不忍 

今日は生憎の雨だが、いつも通る道の田圃では降り頻る雨にも拘はらず、雨具をつけて農作業の爲の田拵(たごしら)へをしてゐた。
何事も準備は重要で、人の一生だつて長い人生を過す爲にはそれが必要であり、差詰め青春時代が將來の準備期間だと言へるのではないだらうか。
勿論、幼年期からといふ意見があれば、同意することに吝(やぶさ)かではない。



五月十六日

白なれば百合と見紛ふアマリリス 不忍 


叔曼(シユウマン・1810-1856)の『詩人の戀 op.48』の第三曲「薔薇に、鳩に、百合に)」の映像の爲に百合の花を求めて街をうろついてゐたら、何とかそれらしきものを見つけて喜んだものの花の色は赤かつたので、變だと思つたらアマリリスだつた。



5月17日

田植濟む面に陽と家を映しけり 不忍 

昨日植ゑ終へた水田が朝日に煌いて家を映してゐる。人はこれを活計(たつき)として長い年月を過して來た。



5月17日

巣作りに田の上渡る夏つばめ 不忍 

下句を「つばくらめ()」と詠んだがこの鳥の季語は春なのでかうなつた。
けれども妻の田舎では軒下に巣作りに盛んに飛んで來て洗濯物を汚すので困つてゐるとの事。
後日談として、庭先の物干のある屋根の下はビニイルを貼つて近づけないやうにしたが、午後になつて歸る頃には少し離れた別棟に巣作りを始めてゐた。


小手毬や季を違へても咲く値打ち 不忍 

櫻の品種にも同じ名前があつたが、中國産でバラ科の落葉低木の本家。
季語はこれも春だが田舎では見事に咲いて今が見頃。「違(たが)へ」と讀んで下さい。


舊道にひと本搖れる薊かな 不忍 

田舎では普段通る道の外に昔からの細い道がある。
今は誰も通行する事はなく、人の足が蹈み入れないので所々雜草に覆はれてひつそりとしてゐる。そこに薊を見つけて嬉しくなつた。
「舊道(きうだう)」とかいて「Kiyudou」と發音して下さい。「きうみち」といふ讀み方はありません。



5月22日

身にかかる散る楠の花の雨 不忍 

庄内神社で『簸()の川 大蛇退治(をろちたいぢ)』の神樂(かぐら)の催しがあり、初めての体験なので樂しみにしながら撮影に行きました。
この神社には去年の秋祭りと初詣と恵比寿祭りの時に行つて以來だが、時期がさうなのか粒状の花が雨のやうに降つてゐた。
行つたのは午後二時からで、演目は『清目(きよめ)・國譲(くにゆづり)』と先の『簸()の川 大蛇退治(をろちたいぢ)』だつたが、一つの演目に三十分以上もあるとは思はず、三脚を持つて行かなかつた事を悔やんだ。



飛び越えた小川の岸で見た薊 不忍 

始めは「飛び越える川の向かうに見た薊」だつたが御覧の通りに改めた。
あれだけ「薊、あざみ」と探し廻つたのに都會ではつひに見つけられなかつた。
ところが妻の實家の美作ではあり觸れた何處にでもある花だつた。



5月23日

うつむいた心の在處やアマリリス 不忍 

表通りに面した生垣に咲いてゐるのに、それも色鮮やかな赤い花なのに人から氣づかれた樣子が感ぜられない。
覆ひ繁つた草木の中に埋れたやうに咲いてゐる所爲(せゐ)なのか、それとも心の在處(ありか)を探るやうに下を見てゐるからか。



5月24日

噴水や母は目に聽く子等の聲 不忍



二年振りに若園薔薇園に行つた。
木曜日でも近所の母親が子供を連れて出かけてゐる姿が目について、噴水の傍らで遊ぶに任せてゐるやうだが、そこはそれ母親達はそれぞれの子供を分け隔てなく注意を怠らずに見守つてゐる。



5月25日

雲湧いて胸騷ぎする青嵐 不忍 

爽やかな陽射しを浴びて池の面を渡る風が木々を吹き拔けて來て夏の午睡を野外で愉しむ。けれども急に風が強くなつたりすると、「一天俄かに掻き曇り」大粒の雨が襲つて來るのではないか、と不圖(ふと)思つて顏に乘せた本から外界を見渡してしまふ。



5月26日

朝涼の茶を飲む前に水遣りて 不忍 

朝五時に仕事を終へて歸るのだが、家まで歩きだと四十分、自轉車だと十五分の距離である。
店を仕舞ふのはいつもきつちり時間通りとは行かず、偶(たま)には二十分程度の誤差が生じる。
順調に歸途について氣が向いたりしたらプランタアの胡瓜に水を遣つたりする。



五月二十七日

朝に寢る我が身や巷の含羞草 不忍 

「含羞草(おじぎさう)」は別に「お辭儀草」とも書くが、含羞草の方が奧床しくて好みに合ふ。日本には江戸末期に渡來したとある。
葉は夜に閉ぢて就眠運動をするが、觸れられるなどの刺激を受けても閉葉運動をする姿を含羞(はぢらひ)と見立てたのだらう。
含羞草はネムリグサとも言はれる。
「巷」は「ちまた」と讀み、世間とか街中の意味もあるが、この場合は道の別れる處、即ち「別れ道・辻」の事である。
含羞は本來は「がんしう」と讀み、「はぢらひ」とか「はにかみ」、羞恥(しうち)などと同じ意味であるが、含羞(シヤイ)と表記するのも面白いだらう。



五月二十八日

馨しさも泰山木の花の性 不忍 

花の香りがそれぞれ違ふやうに、人にも樣々な性癖があつてその色の差が個性となつて現れて來るのだと思はれる。
月曜日は今から二十年以上も前に十年間飲食店を営業してゐた吹田の肉屋さんへ仕入れに行く日である。
その途中に泰山木が白い大きな花を咲かせてゐた。
「馨(かぐは)し」と讀んで下さい



五月二十九日

見えもせぬ遠雷雲を動かせり 不忍 

午前中に電腦(コンピユウタア)で世界通信網(インタアりツト)をしてゐたら、天敵の雷が鳴りだしたかと思ふと雨が降り出したので暫く眠る事にして、二時間ほど寢たらすつかり晴れて明るく太陽さへ照り出してゐたが、緑地に著くと眞暗になつて遠雷(ゑんらい)がした。

降り注ぐ雷雨に頼む苑の四阿 不忍 

昨日の晝(ひる)過ぎに服部緑地へ音樂に合ふ映像を撮りに行つた。
午前中に降つてゐたが晝には晴れてしまつたので、期待する雨は諦めてゐたが、前も見えない位の激しい雷雨でびしよ濡れになつてしまつた。
「四阿(しあ)」とは公園等にある休憩用の東屋の事である。

これだけの事をしたのだから、この成果は『詩人の戀(DICHTERLOEBE)』の「戀人が歌つた歌を(Hor' Ich das Liedchen klingen)」に結實するものと思つてゐるのでお樂しみに。



五月三十日

吾夏籠やし足りなき命の輪 不忍 

「吾夏籠(げごもり)」とは 安居(あんご)とも言ひ、梵語(サンスクリツト)の「varsika」の雨期の意の事で僧が夏に外出すると草木蟲などを蹈み殺してはいけないと寺に籠つて修行する事だが、人は食物聯鎖の中で生存してゐる。
命を食べなければ個としての今はない。
「血は命」といふ基督教の聖書の言葉を基に書かれたブラム・ストオカアの『吸血鬼ドラキユラ』はそこら邉(あた)を主題(テエマ)にした作品で、吸血鬼の僕(しもべ)になる囚人が牢獄で小動物を食べた蜘蛛を食べ、不死になるにはどれだけ澤山の命を食した動物を食べればいいのかと考へる。
不死になるにはドラキユラに噛まれれば一番手つ取り早いと彼に從ふ男こそ、多くの大衆の象徴的存在ではないか。
しかし人類全てがドラキユラ化したら、一體(いつたい)誰から血を吸へば良いのだらうか。
吸血鬼同士が吸ひ合ふ姿なんて怖くもなんともないと想像する。
にしても先の句は觀念的な作品である。



五月三十一日

とりどりの味お好みに燒く銷夏 不忍 

木曜日は晝からオタフクソース主催の「代十五回お好み焼提案会」へ行つて來た。
樣々なアイデアの粉モンの味見をして「マイドームおおさか」の冷房で涼んだ半日だつた。
『銷夏(せうか)』とは『消夏(せうか)』とも書き、夏の暑さをしのぐ事である。



六月一日

花活けて小暗き部屋に百合一輪 不忍 

咲いてる花を折るのは氣が引けるので一輪だけ購(あがな)つて、店の奧にある三疊の假眠室に百合の一輪挿を活けてみる。
けれども折らずに買ふ事で罪を逃れた氣になるのは欺瞞である。
殘酷だからと魚を獲つて〆ず、豚や牛を屠殺せずに商店で入手するに似たるか。



六月二日

降るとみて傘杖にする水無月や 不忍 

始めは「降るとみて傘水無月の杖となる」だつたがかう改めた。
「水無月」の「な()」とは格助詞の「の」で田に水を引くといふ意味で、「水」が「無」い「月」いふ事ではない。
陰暦の六月の異名で陽暦とは少しずれる。
黒い雲が湧いたが雨は降らなかつた。



六月三日

木洩れ日にふり仰ぐ坂や竹落葉 不忍 

「竹落葉」とは落葉と表現はしてゐるが夏の季語で、新葉が生えると共にそれまでのものが枯れ落ちた状態をいふ。
當初「ふり仰ぐ木洩れ日一条竹落葉」だつたがかうなつた。竹の子に養分を供給するといふ役目を終へた結果なのだらうか。




六月四日

どんよりと空の下ゆく旅の僧 不忍 

一日中どんよりとした曇り空であつた。
その空の下を旅の僧が歩み去つて行くうしろ姿を想像して詠んだもので、空想の句でしかも無季である。
どんよりとしてゐるのは見てゐる者の心そのものであらうか。
この無季に就いては近々『季語論』で述べてみたいと思つてゐる。



六月五日

光りなき雲を落して夏野行く 不忍 

この時期は天候が不安定で雹(ひよう)や雷、竜巻さへ發生する事がある。
前囘と續けて同じやうな句柄になつてしまつたが、かういふ天氣なのだからそれから逃れようがない。
本來あるべき明るい筈の夏野でさへ細い道の續く兩端で、夏草が重たさうに風に搖れてゐる。



六月六日

涼と書いた団扇を客に渡す店 不忍 

夜になつてもムシムシとした暑さが肌にまとはりついてくるやうになつた。
それでも例年に比べると各家庭が節電で冷房を動かさないやうにしてゐるから過し易く感ぜられる。
我が店もまだ冷房を我慢してゐて、御客樣に団扇(うちは)を渡してサアヴイス()してゐる。



六月七日

添へられた冷やしたトマト朝餉かな 不忍 

南瓜(かぼちや)を唐茄子(たうなす)といふやうに、トマトを赤茄子とか蕃茄(ばんか)、別に六月柿(ろくがつがき)ともいふとものの本にあつた。
食後の果物のやうに食べるが、さつぱりとして口に涼しさが廣がる。
妻の心遣ひがトマトを冷やしてゐると思つたりする。

cycle さん。

満開の 廃寺の桜 散るを知る

の句、
荒れ果てた寺に蹈み入れば櫻かな
若しくは
荒れ果てた寺のここにも櫻かな
てなのはどうでせう。
依頼もないのに推敲してお氣を惡くなさらないで下さい。
勝手ついでに「cycle」といふネエムから「囘歸郎(回帰郎)」といふ俳號を考へて見ましたが如何。



六月八日

先づ風が誘ひだしたる夏の雨 不忍 

(ひる)前は日が照つてゐたのに一天俄かにかき曇り、一陣の風と共に雨が降り出した。
じめじめと肌に纏はりつく濕氣(しつけ)はなく、爽やかな涼しさが邉(あた)りに漂つてゐる。
肌寒ささへ感ぜられるのも珍しい氣がする。
雨は見るのもその中を歩くのも本當に好きである。



六月九日

降りだした雨に見廻る田拵へ 不忍 

去年も思つた事だが、妻の田舎ではとつくに田植が濟んでゐるのに大阪では今から田拵へをし出した。
水を張つた田圃が一面に廣がつた田園風景を、こんな都會でも見る事が出來るなんて氣持が落着く。
雨の中を樣子を見に來る笠を被つた農家の人の出で立ちも懷かしい。

落ち着きますね。蛙の声が聞こえてくるようです。

うわのそらカラリ響いてアイスティ 蒼鳥
                               
物思いしている時、アイスティの氷が溶けてふと我に返る図です。
実際の空はカラリではなく、じとじとですが()

コンドル さん。
「アイスティ」の中の氷がカラカラと響いてきさうで、空想の句の面白さが傳はつてきます。
けれども、下五句を上五句に、中七句をそのままにして下五句に「返る我」とすればどうでせうか。

ありがとうございます。アイスティカラリ響いて返る我 ですね。カタカナが続きますが大丈夫でしょうか。

コンドル 鋭いご指摘! 「響きからりと」 ではどうでせう。「カラリ」と片假名でも良いですよ、勿論。

アイスティ響きカラリと返る我 これいいですね! さすがです。ありがとうございます!



六月十日

水田に高く映した夏の雲 不忍 

いつも通る家から店へ行く途中、車の往来の激しい神刀根線を一歩外れると靜かな田園風景が廣がる。
關西はもう梅雨入り宣言をしたさうで、二日續けて降つたその雨も上がつて明るい夏がそこにある。
昨日までの水田にはもう田植を終へた情景が眼前にあつた。

高く映すという表現がいいですね! 
アメンボに騙されひょいと傘を差し 蒼鳥 
水たまりのアメンボが波紋を作っていたので、雨!と騙された図です(笑)

コンドル さん。高評価をアリガタウ! 處で、「アメンボに騙されひょいと傘を差し」の句、これでは幾ら何でも無理があるやうで、中句を「騙されてみて」とし、下句の「差し」を省いて、俳味のある「ひょい」を生かして「傘」までを下句とすればどうでせう。獨り芝居で騙されたとおどけて見せた、とした方が面白いのでは?

アメンボに騙されてみてひょいと傘 
ですね! 
なるほど、面白味もありますし、「差し」を省いても傘を差した図になりますね! 
さすがですね。
アドバイス、ありがとうございます!



六月十一日

街路樹に百合を添はせた都市の色 不忍 

朝に店を終へて家に歸る時、少し足を延ばせばまだしんと靜まり返つた街のその地区だけ、道路の兩脇にある街路樹の植込みの下に百合の花が取り圍むやうに咲いてゐる。
その地域をさういふ彩りにしたいといふ人々の意志が感ぜられる。



六月十二日

路地裏も雨や降りけん四葩かな 不忍 

始めは「路地裏のあぢさゐ雨の中に咲く」であつた。
といふのも紫陽花(あぢさゐ)の異名の「四葩(よひら)」を使ふのが奇を衒つたやうで躊躇してしまつたからである。
それ許りか「あぢさゐ」の句が素直すぎるのも氣になつた。雨は路地裏でも降つてゐる。



六月十三日

紫陽花や時の移りを色に見せ 不忍 

紫陽花(あぢさゐ)は七變化(しちへんげ)ともよばれるやうに、淡空色・青紫色・淡紅色と變化してゆく。
まるで幼年期から青春、中年から老年へと形成されて行く人間のやうに。
あのドオム形の花が幾つも連なつてゐる樣を眺めるのは氣分が落着くのである。

紫陽花や時の移りを色に見せ 不忍 紫陽花(あぢさゐ)は七變化(しちへんげ)ともよばれ、淡空色・青紫色・淡紅色と變化してゆく。まるで幼年期から青春、中年から老年へと形成されて行く人間のやうで、あのドオム形の花が連なつてゐるのを見ると落著く。



六月十四日

梅雨もまだ端緒につきぬ晴間かな 不忍 

じめじめとした梅雨の合間にからりと晴れるのを五月晴といふが、これは陰暦でいふのでこんにちの陽暦だと季節感がそぐはないやうに思はれる。
梅雨がまだ始まつた許りだから本格的ではないといふ理窟つぽさよ。



六月十五日

きらめきはやがて田の面の稔りかな 不忍 

この句に變()へて「田植終へて煌めきやがて稔りかな」と詠んでみたが、元に戻す事にした。
調べてみたら去年も似たやうな等類の句を詠んでゐて、人の考への變らぬものだと感心する事しきり。

あれだけ晴れてゐたのに午後から曇り出して、夜には雨になつてしまつた。
等類とは「他人の作品と素材や趣向・表現などが類似する事」とあるので、自作で似た趣向になるのは單に類似してゐるとだけ言へばよかつたか。



六月十六日

紫陽花が雨降らしたる夕べかな 不忍 

「富士には月見草がよく似合ふ」と太宰治は言つた。
それならば筆者は「紫陽花は雨がよく似合ふ」と言つて見よう。
さうしてそれは降つてゐる雨が紫陽花の所爲(せゐ)ではないかと思はれるほど上品(シツク)に調和(マツチ)してゐると感ぜられる。



六月十七日

振りかざす光の帶に枇杷の浮く 不忍


枇杷は華やかな感じはしないが、葉は汗疹(あせも)や暑氣中(しよきあた)りの藥用とし、木材は櫛や木刀を作り、果實は球形で大きな種子が数個あるが橙黄色(たうくわうしよく)に熟して食用となる。
坂道の途中で命の塊が光に輝いてゐた。



六月十八日

曇天の雲まとひつく夏の服 不忍 

始めは下五句は「薄着かな」であつた。
だがこれでは無季になるので「梅雨の服」にしようと思つたが、「梅雨の服」なんてものがある譯ではないのでかうなつた。
「曇天の雲」で切れて「雲」と「服」に「まとひつく」といふ技巧的な着眼點が味噌である。
案の定、夜になつて雨が降り出した。句中にもつと梅雨の氣分がほしかつたところである。



六月十九日

よく聞けば耳底拔くや天呻く 不忍 

始めは「靜けさに耳を澄ませば風唸る」だつたが、「靜」かなら「風は唸」つてはゐないだらうから、「よく聞けば」となつて「耳底拔く」と凡庸から脱し、「空唸る」へと變化して「天(そら)呻く」と極まつた。
颱風の所爲(せゐ)であらうか、遙か上空で轟ツと風の音が聞かれる。



六月二十日

うたた寢の間もなく夢は明け易き 不忍 

夏は寢たかと思ふと夜が明けてしまふ。
とくに夏至ともなれば一層その感を強くする。
希望に滿ちた人の夢も、叶へられたものもあるだらうが、多くは敢()へなく破れて失意のうちに過す場合もあらうかと考へると厭世的(ペシミステイツク・Pessimistic)になつてしまふ。



六月二十一日

屋根つたひなほ撥ね返る梅雨の音 不忍 

豪雨である。土砂の災害が報じられてゐるこの雨は山に降り、海に降り、野に川に降り、總ての家の屋根から樋(とひ)(つた)つて地面に撥ね返る。どんよりとした氣配の中で倦怠(アンニユイ)の住人となる。地球に雨の音が響く。
大氣に



六月二十二日

きのふまでの少年も老ゆ短夜に 不忍 

高度成長までは都會と雖(いへど)も池や川や野原とか田圃の風景が多數あり、少年達は自然の中で遊んでゐた。
それがついこの間の事だと思つてゐたが、光陰矢の如し! 
短い夏の夜が明けるやうに人生も氣がつけば晩年となつた自分を知らされる事になる。
「短夜や昨日までの少年も老いてあり」とせずに下五句を「短夜に」したのは、中句が十二文字になるからといふ理由ばかりではなく、まだ豫測(よそく)出來ない未來が待受けてゐるといふ期待があるからといふか、それを微かにでも望んでゐるからで、その思ひを「短夜に……」に込めてみた。
中句の「昨日までの少年も」の十二文字が、發句としてはどうかと思はれる方があるかも知れないが、これは『發句拍子論』で示したやうに、C♪♪♪♪†ζ♪♪♪ ♪♪♪ ♪♪♪♪|†♪♪♪♪†|といふ風に詠めば發句の拍子となる。「†」は「四分音符」で「ζ」は「四分休符」の事である。
發句の「五七五」といふ十七文字とはなんであるのかを解明しようと、和歌や詩にまで言及した作品です。是非ともご一讀されて批判を乞いたいと思ひます。『發句拍子(リズム)論』http://ahuminosinobazu.blogspot.jp/2012/02/blog-post.html



六月二十三日

洗ひたてのレモン手にして梅雨曇 不忍 

發句取合せなりと翁云へり。下句「薄曇」と詠めど無季なれば「梅雨曇」と造語せんと思ひ立てど、既に書物にその語ありと知りぬ。
雨なき梅雨なれども、洗ひたての檸檬(レモン)から水滴りて鮮やかなりし色の曇り空に映ゆるなり。
『檸檬』といへば梶井基次郎(1901-1932)を思ひ浮べしは、至極穩當なところなり。
この句「洗ひたてのレモン手にして」にて一端切るるなり。
『切字』なき「切れ」を『心理切れ』若しくは『意味切れ』と言はん。
この「切れ」にて思ひ浮べし後に、どんよりとせし「梅雨曇」へとズウムアウトとならんか。

コンドル
「レモン」、初夏のイメージがありますが季語を調べてみたら秋になっていました。
輸入ものは年中スーパーに並んでいるので今まで季語なんて考えたこともありませんでした。
余計なことで申し訳ありません。

コンドル さん。
私も調べたのですが、國語辭典(じてん)や歳時記にはありませんでした。
もしかしたら簡易な辭書だつたからかもしれません。
調べなおします。
昔「スモツグ」が冬も季語にありましたが、現在は見當りません。
こんな事があつたりしますから、注意はしてゐるんですがネ。
確認します。

コンドル
本当に失礼なことを書いて申し訳ありません。
電辞の広辞苑に秋とありました。
でも「レモン」の季語を問われて「秋」と答えられる人がいたらびっくりしてしまいそうです。

コンドル さん。
ご教授感謝します。
私も電子辭書を携帶してゐてそれで調べたのですが、「レモン・スモツグ」に季語の記載はありませんでしたが、早速インタアネツトで調べましたら、どちらもありました。
「スモツグ」は冬で「レモン」は秋でした。
これについてはこの儘にして、季語論で詳細を述べたいと思ひます。

序でに「レモン」は日本へは明治期に渡來したものだとあり、明治6年に太陰暦から太陽暦(新暦)に採用されてから、歳時記の分類に舊暦(きうれき)と新暦のの間に一箇月程の齟齬が生じ、その解決法として「春夏秋冬」以外に「新年」を設ける事で補つた。勿論、發句だから明治以降の季語に責任はないと逃げるのではなく、根本的な

根本的な季語の擔(にな)ふべき役割として解析して行きたいと思ひます。
コンドル さん。
「本当に失礼なことを書いて申し訳ありません」とありますが、全然氣にしないで下さい。
さういふ事が言へなくなる方が問題だと思ひます。
これからもよろしくご指摘下さい。

コンドル
詳しく解説いただきありがとうございます。
発句は奥が深く季語ひとつからでも色々なことが学べますね。また頑張って詠みますのでこれからもよろしくお願いします。

コンドル さん。
私の電子辭書は「SHARP」ですが、あなたのは何處の製品ですか。參考までに教へて下さい。

casio」のEX-wordです。
古語辞典が入っているので気に入って買いました。

コンドル さん。
私のは「SHARP papyrus PW-AT770」でコンテンツが99もあり「古語辞典(旺文社)」も「合本 俳句歳時記(第三版)」もあります。
「國語辭典(大辞林)」がどうかと思つてゐる。
買ひ替へようかな。
あツ、それとその後「広辞苑 第三版」にも「レモン」季語はありませんでした。

コンドル
今見ましたら私の電子辞書の広辞苑は第六版が入っていました。

コンドル さん。誰が歳時記に季語として認定してゐるのだらうか。



六月二十四日

道濡れてそぼ降る梅雨の闇夜かな 不忍 

始めは下句が「雨を知り」であつたが「梅雨」と「雨」の重なりが氣になつて「空模様」となり、更に「夜の闇」と推敲して先の句が最終形である。
夜の十一時頃に前の道路が濡れてゐるのを見て初めて雨だと知つた。
路地の奧の闇に向つてかすかに音が消えて行く。



六月二十五日

五月雨に景色溶かすや窓の山 不忍 

これは素直に出來た句で、五月雨とは陰暦五月に降る長雨の事。
「さ」は五月、「みだれ」は水垂(みだれ)の意であり、別に「梅雨・卯の花腐(くた)し」ともいふ。
下句の「窓の山」は窓硝子に映る山を發句的に省略したものであり、遠近法も雨に濡れて歪んでしまつてゐる。



六月二十六日

鐘の音と紫陽花看つつ墓へ寄る 不忍 

父が死んで十年になる月命日に堤防沿ひの紫陽花(あぢさゐ)を看()ながら墓へ立寄つた。
近くにある正業寺から暮六つの鐘が響いて來た。
なんとも誹風の氣配ただよふ氣分を味はつた。
下五句は『墓參(はかまゐ)り』の季語が秋だつたからかうなつた。



六月二十七日

水茄子を口に含みし夕べかな 不忍


「暮れなずむ水茄子含む夕べかな」から「水茄子を口に含めば暮れ殘る」と推移して最終案となつた。
水茄子は泉州の名産ださうで、その名の通りみづみづしい口當(あた)りで、食べ終へても口に名殘りが廣がつてゐる。



六月二十八日

朝焼けや自轉車漕げば風の服 不忍 

初めは「自轉車で行く夏の朝風の服」だつた。仕事を終へて妻と一緒に自轉車を漕いで家路へと向ふと、氣持の良い風が身體を吹き拔けて行くが、衣服を膨らませてまるで風の服を著てゐるやうに感ぜられる。
綺麗な朝焼けに向つて竝走する。
日中ならば茹()だるやうに暑くて、とてもではないが風の服といふ譯にはいかない。
汗の服とでも言はうか。

コンドル
きれいな朝焼けに向かってペダルを踏んでおられる光景が目に浮かびます。

風鈴を見上げて猫や大あくび 蒼鳥

コンドル さん。
この儘でも良いのですが、これだと猫の無風流な感じがしますので、もうひと捻り。
中七句を「見上げるやうに」とし、下五句を一寸苦しいですが「あくび猫」といふのはいかがですか。
やはり蒼鳥女史の案でいきますか。

コンドル
ケンタウロスさん、アドバイスありがとうございます! 
自分でもそのまんまの句かなと思っていました。

コンドル さん。
「猫」も風流に「風鈴」に感じ入つたのかと思つたら、「あくび」をしたのだといふ滑稽さを狙へればと思つたのですが、下五句が「招き猫」のやうな置き物みたいで躍動感に乏しかつたですね。



六月二十九日

危篤だと見舞ふ病院の夏重し 不忍 

始めは「知らせ受け見舞ふ病院の夏の空」だつた。
疎遠だつた叔父(をぢ)即ち父親の弟が危篤だ、と叔母(をば)から心細氣に訴へる聲に慌てて見舞ひに行つた。
子供を授からなかつたので無理からぬ事か。
酸素マスクも重さうな痩せた姿に、かける言葉も見つからない。
生きて行くのに嬉しい事も、苦しい事も、悲しい事も、嫌惡すべき事もあるが、樂しい事ばかりを句に詠む譯にはいかない。
清濁合せ呑むといふ程大袈裟なものではないかもしれないが、しつかりと對象(たいしやう)を見つめて隱すことなく、臆することなく表現して行かうと思ふ。

   病院の建物白く夏重し



六月三十日

どしゃぶりの雨に叩かれし早苗かな 不忍 

ついこの間に植ゑが終つた田圃の水は少なくて土が見えてゐた。
妻に言はせればこれで良いのだといふ。
餘り水をやり過ぎても駄目なのかと思ふが、梅雨の季節を考慮した爲なのかも知れない。
案の定早苗は叩きつけるやうな雨に打たれて又心配してしまつた。



七月一日

降つて止む梅雨に訃報が耳朶を打つ 不忍 

四時過ぎに妻の携帶電話が鳴つた。
私のはズボンのポケツトにあつて、家では朝からパジヤマ姿なので電話に出られない事が多い。
その電話から叔父(をぢ)さんが死んだと聞かされた。
降つてゐた雨が止んで晴れ間が見えたといふのに、病院の上の雲は黒かつた。



七月二日

送り出し送り出されん通夜の夏 不忍 

人が亡くなるといふ事は文字通りバタバタと忙しくて、遠方や近隣から親類縁者または友人達が別れを惜しみに訪ねて來るので、八十歳を越えた喪主の叔母に悲しんでゐる暇(いとま)はない。
自宅での通夜にお寺さんを迎へて叔父との來し方の語り合ひに頷くのが精一杯。



七月三日

悲しみは日を負ふごとに夏の闇 不忍 

本當に人間つて死ぬんだといふ事が日を追ふごとに實感されて、話しかけた言葉が獨りごとになつてしまつた事で思はず我に返つてしまふ。
そんな生活なんだらうなと子供に惠まれなかつた殘された八十四歳の婦人の悲しみを想像すると何とも言へなくなつてしまふ。



七月四日

逢ひたさに架け橋古都へ延びる虹 不忍 


突然の訃報の報せから通夜、さうして然として降る雨の中の葬儀を終へて、日常への一歩を蹈み出さうかといふ翌日の午後に店に行く時、ぱらついた雨の後の暮れかかつた空に虹を見つけた。
何だかホツとして暫く眺めてから仕事場へ向つた。
『海潮音』の中の上田敏(1874-1916)譯になるカアル・ブツセ(1872-1918)の「山のあなた」にあるやうに、彼方に憧れを抱くのは人の常なのかも知れない。
そんな時に偶然にでも空や山にかかる虹を見たりしたら、それが古(いにしへ)の都へ續いてゐるのではと……。
虹は夏の季語で、紫が内側で色が濃いものを言ひ、紫が外側で色が淡いものを蜺(げい)あるいは霓(げい)といふさうだ。
螮蝀(ていとう)の螮は「虫(へび)+帶(おび)」の意で虹が帶状になつた龍の姿に見立てた言葉。蝀は「虫(へび)+東(つらぬく)」の意で、龍蛇(りうだ)が空をつらぬいてゐる形を現した言葉。
因みに小動物の場合は虫ではなく「蟲」と表記し、「虫」は蛇のまむし蛇をする。
本來、動物の總稱を蟲と言ひ、羽蟲を鳥、毛蟲は獣、甲蟲は龜、鱗蟲は魚類、裸蟲が人類の事で、また足のある蟲の事でもあり、足のないのを豸()といふ。
十、『蠱惑』考 『言苑』より



七月五日

誰でもが悔いなき餘世と思ふ夏 不忍 

この句、意味の上から言へば下五句の「思ふ」で切れる句で、本來ならば下句を「思ふや夏」と詠む可きところなのだが、さうすると六文字になつてしまふ。
『字餘り』は感情の破綻の表現として許されるのだが、ここは詠歎的なのでそこまで行かない。



七月六日

咲ききつて池とは見せぬ蓮の花 不忍 

暗く泥のやうな池でも一面に蓮の花が咲いて美しい世界になるやうに、濁世(ぢよくせ)においても人が救はれる方法はあるのだらうか。服部緑地の蓮の花は毎年多くの撮影に人が集まつて來る。



七月八日

笹の葉の雫に殘る星祭 不忍 

始めは「笹の葉の雫に宿る願ひかな」であつたが、これでは季語がなく、それでも「笹」がその役目を擔(にな)ひ得るとは思ふのだが、『無季』に就いては現在「季語論」を随時發表中なのでそれに譲るとして、「星祭」とした事で「宿る」が「殘る」となつた。
發句にとつて『季語』とは何なのか、どう言ふ機能があるのかといふ事が解明されれば、無季といふ問題も自づと解決されるものと思はれるのだが、ただ最初からあつたのだからそのまま利用するといふのでは、發句の、延いては文藝のといふ表現行爲(かうゐ)を理解出來ないのではないかとさへ考へてゐる。
所で、『七夕・星祭』の季語は秋で旧暦の七月七日の夜の事であるが、明治改暦以降、日本では七月七日又は月遅れの八月七日に分かれて七夕祭りが行はれるやうになつた。



七月八日

人の死もやがて自分を送る夏 不忍 

此處の所、身内の死があつたので作品に影響が色濃く現れてしまひ、なかなか脱する事が出來ずにゐる。若い時も年を加へても「死」に就いて考へるものである。
假令(たとへ)答へが出ないと解つてゐても人はその時だけは、偉大な思索する哲學者となる。
この句も下五句の「送る」で切れてゐて、「自分を送る事になるだらうな」といふ詠歎を省略したもので、それら一切を「夏」が受けとめてゐるのである。



七月九日

立ちのぼる雲を押へて夏朱く 不忍 

暑さが嚴しくなつて、その上に節電で冷房器具を使用しないので熱中症の報道が聞かれるやうになつたが、それでも自宅では団扇で濟ませる生活にも慣れ、どうしてもといふ時には扇風機を廻して未だにクウラアのお世話にはなつてゐない。
去年とは大違ひで、店の消費電力の前年比は35%で、自宅が25%である。



七月十日

薄物の二の腕風を白くする 不忍 

夏も盛りとなり薄物を羽織る女性の姿が目について、透けて見える二の腕の白さが眩しく、そよぐ風さへ白く見えるやうだといふ句意で、なんとも技巧ばかりといふか、考へればどうでもいい事をぐちやぐちやと弄(いぢ)くつてゐることよ! 
と投遣りな氣分になる時がある。



七月十一日

椅子ひとつ森林しんと夏ばかり 不忍 

この句は「誰も見ぬ森林の中椅子ひとつ」であつたがかうなつた。
小学五年生から始めた句作だが、その頃から推敲の過程の句を竝べて書き殘す癖があつて、ある時に完成された句だけがあれば良いと思つた事もあつたが、推移を書き記しておくのも意義があるかと思ひ直した。



七月十二日

明けきれぬ朝の青田の風を受け 不忍 

店を終へて歸宅する途中の青田が風に靡いて、その水田を渡つて來る風が氣持良くて、明けて行く空を眺めながらそこへ向ふかのやうに妻と一緒に自轉車を走らせて行く。
ここまで來れば家までもう直ぐだ。



七月十三日

降つて止む手持ちぶたさや殘り梅雨 不忍 

驟雨(しうう)の激しさに客足もまばらで、所在なげに店でテレビや新聞などを眺めてゐる。
天と地を繋ぐ雨が人々を孤立させるやうな洪水となつて地域を分斷する情報が傳へられて、無聊(ぶれう)を託(かこ)つことさへ幸運である事を思ひ知らされる。



七月十四日

蛇苺問はず語りの雨月かな 不忍 

「雨月」とは陰暦八月の十五夜の月が雨で見えない事で「雨名月」ともいふが、別に陰暦五月の異名でもある。
ここでは上田秋成(1734-1809)の『雨月物語』と溝口健二監督の映畫も含めた作品を心象(イメエヂ)として、特にその中の「蛇性の淫」を見立てたが「季重なり」か!
「蛇苺」は夏の季語で、昔は野原や道端でもよく見かけて食べたりしてゐた。
今思へばそれほど美味しいといふものではなかつたが、子供の頃はおやつ代りだつたやうな氣がする。



七月十五日

空に透けるカラリ琥珀のアイス紅茶 不忍 

少し早めに家を出て、途中にある喫茶店のテラスでアイス紅茶(テイ)を註文する。
カラカラとストロウで氷を掻き混ぜながら輕く持上げると、琥珀色の液體が氷のある部分だけキラキラとして、氷の音とグラスの水滴が涼味を誘つてゐる。
私は句作に行詰ると電子辭書(じしよ)の『季語』を「あ」から順番に見て行く事にしてゐる。
毎囘「あ」から始めるので、なかなか「わ行」まで辿り着けない。
)昨日店で夏の句を纏めようと調べてみると、この句は六月九日にコンドルさんの詠んだ、

うわのそらカラリ響いてアイスティ 蒼鳥

といふ作品の盗作になつてしまつてゐる事に氣がついた。
その事を全く失念してゐたとは云へ、また自身の心理の奧へ深く沁み込んでしまつたので、恰も自らの創意のやうに再び口から出て發表してしまつた。
コンドルさんに深くお詫び申し上げます。
このやうな事は注意はしてゐるものの随分あるかも知れません。
コンドルさん、いつでも御指摘下さい。
それにしても「カラリ」と「アイスティ」が餘程心に殘つたんですね。



七月十六日

陽を避けて休みきれない汗の玉 不忍 

始めは中句が「怠けてゐても」であつたが、これでは川柳風なので改めた。
近所に分譲地があつて、そこに普請の作業をする職人が晝食(ちうしよく)後に日蔭で一服をしてゐたが、それでもタオルが手放せずに顏を拭つてゐた。
餘りの暑さに一服の囘數が増えたやうに見える。



七月十七日

今は昔逢瀬のしるしやつりしのぶ 不忍 

釣り忍――なんて浪漫的なひびきだらうか。恥かしながら今の今までこの言葉もその植物の存在さへも知らなかつた。
それが偶々、店のお客樣が觀葉植物に凝つてゐて苔玉を作つて部屋に飾るんだとの話になつた時、妻が「釣り忍」の事を話したのでそれを知つた。
きつと涼味ばかりではなく、熱い思ひを傳へる爲にも軒先に吊るした事もあつたのではないかと想像の羽を擴げたりした。

umikaze さん。
この句は與謝蕪村(1716-1783)に見られる『物語の體(てい)』といふ作風となります。

お手打ちの夫婦なりしが衣更へ

といふ有名な句があり、問題を起こしてお手打ちになる處を殿樣の温情で助かり、今は衣更へをしてゐる身であるといふ作品。
劇的(ドラマテイツク)な情景が浮かびます。



七月十八日

逝きし人や去年も聞いた蝉の聲 不忍 

朝方に店を閉めて歸宅しようとしたが、そのまま家を通り過ぎて服部緑地へ向つた。
蓮の状態が氣になつたからで、きつと一面に咲いてゐるのではないかと自轉車を走らせた。
今年の蓮は雨に祟られて花の咲き具合が惡いと感じた時、横の大きな木から蝉の聲が聞えた。
今年は叔父さんが死んで、その病床に見舞つた時の痩せさらばへた身體(からだ)に器具をつけた姿が思ひ浮かんだりして結構こたへたが、實はその前にぐるつと廻つて花壇に寄つて向日葵が一面に咲いてゐるのを見て、救はれたやうな氣分になつた。



七月十九日

ひまはりや目で食べてゐる休耕田 不忍 


妻の實家に行く度に徳久(とくさ)驛附近を通ると南光町の向日葵(ひまはり)の立て看板がみられ、その情報が氣になつて仕方がなかつた。
今囘漸くその思ひが成就した。
休耕田を利用して植ゑられた向日葵の壓倒的な景觀に固唾を呑んでみてゐた。

陽を避けてソツポ向いたる日車草 不忍 

「日車草」とは向日葵(ひまはり)の事で、別に「日輪草・日廻り草」とも言はれるが、全部で二百萬本もあり、順次咲いて行くので私が行つた時は百二十萬本だとホオムペエヂのにあつたが、それでも休耕田があちこちにあるので、觀たのは五十萬本位か。



七月二十日

雨音に人も戀しや風の鈴 不忍 

今日も普段通り朝食を濟ませて九時過ぎに寢て晝(ひる)頃に目を覺ました。
電腦(コンピユウタア)と遊び乍ら窓の外を氣にしてゐると、三時頃に空模様が怪しくなつたので、少し早いが店に向ふ事にした。
四時過ぎになると雨は激しい勢ひで降り出し、軒の風鈴を搖らした。



七月二十一日

梅干して午睡を覺ます日照雨 不忍 

讀賣新聞の夕刊に『お天気博士』のコオナアがあつていつも愉しみにしてゐるのだが、そこに「梅干し」の事が書かれてあつた。
二日前の十九日に田舎へ行つた時、丁度梅を干してゐて、晝寢をしてゐたら夕立が降り出したので、慌てて梅や洗濯物を取込んでゐた。
この句、始めは紫蘇を添へた梅を天日干しにして、陽の養分を充分に受け止めてゐる所を詠んで見た。それが次のやうなものであつた。

紫蘇添へた梅やたつぷり天日干し 不忍

コンドル
大暑の割には過ごしやすい日になりましたね。
梅干しの土用干しする家庭も減りましたが、句を拝見して祖母を思い出しました。

 かげ踏みの子らに注ぐや蝉時雨 蒼鳥

コンドル さん。
「かげ踏みの子らに注ぐや蝉時雨 蒼鳥」
傑作です。
いふ事なし! 
情景に音がかぶさるやうです。



七月二十二日

夏の夜や道濕らせた雨後の風 不忍 

いつ降つたのかも氣づかぬ程の雨が十二時過ぎに降つたらしい。
らしいといふのは路面が濡れてゐたのでそれと解つたからである。
それほどアツといふ間の通り雨であつたが、外へ出てみると蒸れるやうな暑さを、風が和らげるやうに吹いてゐた。



七月二十四日

草いきれ雲に溶け込む道の果 不忍 


上五句を「夏草や」としたかつたが餘りにも有名な句がある爲、芭蕉翁に遠慮してしまつた。
「や」といふ切字が欲しかつた所だが「草いきれ」には合はず、さりとて「草いきれに」とすると中句の「雲に」の「に」とかぶるのが氣にかかる。
かくてかうなつた。



七月二十五日

籠枕に替へて冷蔵庫から雪枕 不忍 

仕事の關係で日中に眠るやうになつて三十年以上になるが、今年は冷房をまだ使用してゐないので寢苦しい。
そこで以前なら「籠枕(かごまくら)」だつたが、今は冷蔵庫で冷やしてから使ふ「雪枕」を愛用してゐる。
製造會社の命名だらうがアイスならぬナイスである。
しかし、意味を正確に傳(つた)へる爲(ため)にとは言へ、中句が十文字になつてしまつた。
拍子から言へば、

C♪♪♪♪†ζ|♪♪♪ ♪♪ ♪♪♪ ♪♪|♪♪♪♪†ζ|」

といふ事になり問題はない。
「†」は四分音符で、「ζ」は四分休符。「♪♪♪=†」は三連符の事で、四分の四拍子の三小節となる。



七月二十六日

空の下往く河天神の祭かな 不忍 

この句空の下往く・河天神の・祭かな」と詠み、切れは「「空の下往く河」で切れてゐる。
拍子(リズム)は、

C♪♪♪ ♪♪♪ †ζ|♪♪♪♪♪♪†|♪♪♪♪†ζ|」

と四分の四拍子の三小節となつて、出來は兔も角發句としての體裁(ていさい)は問題はない。
「†」は四分音符で、「ζ」は四分休符。
「♪♪♪=†」は三連符の事で、四分音符と四分休符はないので代用してゐる。
「餃子の王将」で次女が母の日プレゼントに「ゆったり入浴と三河路名物うまいもんめぐり」といふ旅行が當り、隨行者は九八〇〇圓を拂はなければならないが、それに出かけてゐたので一日發句のアツプが遲れてしまつた。



七月二十七日

目に見えぬ木を鳴かせてや蝉の聲 不忍 

始めこの句は「木を鳴かす姿いづこや蝉の聲」で、更に前は「木を鳴かす姿は見えぬ蝉の聲」から「こんもりと木の鳴くごとき蝉のこゑ」へと變つてかうなつた。
海外の人が日本の蝉の聲を聞いて、「この泣く木を國に持つて歸りたい」と言つたさうである。



七月二十八日

泊らずに三谷で借りたる露天風呂 不忍
 

日歸り旅行で蒲郡オレンジパアクで晝食(ちうしよく)を濟ませた後に、三谷(みや)温泉『ひがき』へ立寄つて温泉を借りた。
「ゆつたり入浴」とあるやうに海を見下ろす眺望に心が解放される。
「曙光の湯」と命名されてゐた。
この日この地方は最高氣温だつた。

コンドル
温泉でさっぱり汗を流せて良かったですね。無季でしょうか?

コンドル さん。
さうでした。なんてこツつたい! すぐに改めます。

泊らずに三谷で汗流す露天風呂 不忍 

コンドルさんからの指摘により「三谷で借りたる」から「三谷で蝉聞く」、更にかう改めました。
彼女のやうなよき助言者(アドバイザア)に惠まれて幸運であると感謝します。



七月二十九日

右左移る夕陽や夏の旅 不忍 

始めは「右に見て左に夕陽夏の道」だつたが、車が移動するにつれて夕陽が右左(みぎひだり)に見えるといふ状態が解り難い表現だつたので推敲した。
旅の終りを告げるやうな夕陽を追ひかけて、心なしか急ぐ氣分で家路へと向ふ。
家々に點つた明りにつられたかのやうに。



七月三十日

夏暮れて村を見下ろす墓ありき 不忍 

阪奈道路を大坂へ向けて歸つて行く途中、天理までは下り坂で道路の横に墓が村を見下ろすやうにあつた。
その村に生れ亡くなつたそして育んで來た人々の、またこれから役目を終へるやうにそこへ入つて行く記念碑のやうな墓が村を見守る。
一瞬に見た光景である。



七月三十一日

欲しきものを追ふ夏の野や地の鏡 不忍 

地の鏡とは「逃げ水」の事で、始めは下五句を「逃げ水を」であつた。その始めは「逃げ水を追ふ夏の野や渇く愛」であつたが、「渇く愛」とは物欲し氣で言ひ過ぎたやうに感ぜられ、かつ「逃げ水」と「夏」で季重なりとなつたので「追ふ野の雲や」といふ方法もあつたが避ける事にした。
「逃げ水」は路面が濡れたやうに見えて近づくと遠方に逃げる現象。
「逃げ水」は武蔵野が有名で、二十歳の頃に關東に三年ほど暮した事があつたが、確かにあの邉りを車で走つてゐると、水溜りがあると思つて近づけば遙か先にあつて決して追ひつけない。
關西ではそれほど頻繁には見かける事はないやうだ。



八月一日

路地を出て吸ひ込まれてや雲の峰 不忍 

この句は當初「長き道の行きつく果てに雲の峰」だつたが、手垢のついたあり觸れたものと感ぜられたので改めた。
暑さを避けて日蔭の多い路地に身を庇ひながら表を歩く。
ふつと日の當る所へ出ると眩暈のやうに入道雲の湧く青い空に吸ひ込まれさうになる。



八月二日

麦茶より焙じ茶好むや窓に雲 不忍 

日本人に生れて茶を飲む習慣が身についてゐるが、上等なものではなく焙じ茶なんかが氣に入つてゐる。焙じ茶とは番茶や下級煎茶を強火で焙つて香りをもたせたものである。
窓を開け放した部屋で夏らしい雲と妙に青い空を眺めながらそれを飲んでひと時を過す。
このところ中句の「八文字」が續いてゐる。
句を音符で示せば、

C♪♪♪♪†ζ|♪♪♪♪♪♪♪♪|♪♪♪♪†ζ|

となるが、中句は、

|♪♪♪♪♪♪♪♪|

となつて「茶」は『四分音符()』ひとつを充()てがはれる事になり、「や」の「切字」に休止延長(フエルマータ)で長く持續してもらへればいいんです。
猶、「†=♪+♪」は四分音符の代用で、「ζ」は四分休符の代用。



八月三日

暮れて殘る耳鳴りに似た蝉の聲 不忍 

日中の激しい暑さに張合ふやうにこんもりとした樹木から空一杯に蝉が鳴いてゐる。
都會に緑がなくなつたとは言へ、まだ蝉の棲()みかぐらゐは確保されて、短い生を謳歌する餘地は殘されてゐる。
波瀾萬丈の人の一生が心に殘るやうに、激しい蝉の鳴き聲も耳に殘る。

umikaze
確かに、蝉は朝から耳鳴りのように聞こえます。
本当に耳鳴りかもしれない。

   遠ければ耳鳴りに聞く蝉の声

・・・これだと不安な感じが出ませんね。

umikaze さん。
いえいえ、なかなかのもんですよ、「遠ければ耳鳴りに聞く蝉の声」といふ句。
懷かしむといふ感があり、夏の終りの風情があります。



八月四日

此岸から彼岸といふも虹架かる 不忍 

夕方五時頃に俄か雨があつた。日が照つてゐたので狐の嫁入りである。
ほんの濕らす程度のものだつたが買物から歸つた妻が戸を開けるや

「虹が出てるよ」

と言ふので思はず表へ出た。
僥倖かと思つたが此岸から彼岸への道が遠いかのやうに虹は殆ど消えかかつてゐた。
此岸(しがん)とは佛教用語で生死から解脱しない現實のこの世の事であり、そこから迷いを脱し生死を超越した理想の悟りの境地、所謂(いはゆる)涅槃(nirvana)へ到らんと願ふ梵語の譯語である彼岸を目指すも、浮世の垢に塗(まみ)れてしまふ。
空の虹を見てもしやと思つたけれども到彼岸は遙かなり、噫。
到彼岸は梵語の波羅密多(paramita)の譯語、『般若心経』の冒頭にある言葉であるが、にしても相も變らぬ理窟つぽい事である。



八月五日

鳴き切つて蝉のこゑなき朝かな 不忍 

蝉の聲はまだ聞かれるが昨日まで鳴いてゐた、とある木からぷつつりと蝉の聲が聞かれなくなつてゐた。心ゆくまで鳴いて思ひ殘す事はなかつたのだらうかと、つい彼等の氣持を忖度(そんたく)してしまふ。我が身と思ひ比べてしまふからなんだらう。諸君はいかに!
「朝」は「あした」と讀んで下さい。

コンドル
蝉の亡きがらって不思議と仰向けで、胸の辺りで手を合わせているんですよね。
心行くまで鳴き切った後の安らかな姿なのかなぁと感じます。

コンドル さん。
本當にそんな感じですよネ。

たましひの脱けがらひとつ蝉落ちて 不忍



八月六日

逝く夏の暑さ殘して暮れにけり 不忍 

いつものやうに季節は移り變(かは)り時は流れて行くが、個人にとつては囘を重ねるごとに得るものと失ふものとがあつて、それがやがて「ものの哀れ」をしみじみと感ぜられるやうになり、墓に名を刻む事となる。
人は何を殘せるのか……。
この句、「夏」と「暑さ」のふたつの季語があつて、所謂(いはゆる)「季重なり」の句になつてゐますが、主となるのものがはつきりしてゐれば構はないといふに留め、あとは『季語論』で詳細を述べたいと思ひます。

美都コン
自分の祖父のことを考えました・・・
人の心の懐かしき想いとして遺るのでしょう

美都コン さん。
思ひ出してくれる人がゐるといふ事、それが殘したといふことなのかも。
谷川俊太郎作詞、武滿徹作曲の、

『死んだ男の殘したものは』

は名曲だと思ひます。

cycle
少し考え込みました。
残るものがあればいいとは思うけど、なくても、すっきりしていいよね。

cycle さん。
それは申し譯ありませんでした。
恐縮してしまひます。
ものを書くといふことは影響を與(あた)へる事ででもあるので、それがよくはたらけばと思ふのですが、さうとばかりは限りません。
あつてもなくても、本來は考へ方ひとつだと……。

Umikaze
そう言えば、そろそろ立秋ですね。

逝く夏や置いて行くもの何と何

・・・何もない。

umikaze さん。
八月七日の今日が立秋です。
「逝く夏や置いて行くもの何と何」。
何を持つて行く、あるいは何を引き摺るかを言はずに纏めるなんて、いいではありませんか。

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この作品は『Twitter』を通じて『mixi』の「つぶやき」に發表したものを纏めました。
マイミクのコメントも併せて記載してゐますが、これは『mixi』といふ謂()はば公(おほやけ)の場での遣り取りであると考へられますので、事後承諾となる事をお許し願ひます。

二〇一二年八月九日午前二時五十分店にて






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