Ⅴ、發句(ほつく)拍子(リズム)論
A Hokku poetry rhythm theory
この作品を讀む時に、この音樂を聞きながら鑑賞して下さい。
これは自作(オリジナル)の
『YAMAHA QY100 Motion1(竪琴・harp)曲 高秋 美樹彦』
といふ曲で、YAMAHAの「QY100」で作りました。
雰圍氣を味はつて戴ければ幸ひですが、ない方が良いといふ讀者は聞かなくても構ひませんので、ご自由にどうぞ。
第九章 詩の音樂性に就いて
以上これまで述べた事でも分かるやうに、發句(ほつく)を含めた『詩』といふものに、音樂が全く無關係(むくわんけい)ではなかつた事が、判然(はつきり)としたであらうかと思はれるが、實(じつ)は音樂に關係があるのはこればかりではない。
音樂の世界では、『拍子(リズム)・旋律(メロデイ)・和聲(ハアモニイ)』といふものを三要素といつて、音樂にとつて最も大切な基本であると言はれてゐるが、これこそは『詩』の世界でも當嵌(あたは)める事が出來る重要(ぢゆうえう)なものの一つである。
但し、音樂で歌ふ場合と、發句(詩全體)を詠上げる場合については違ひもあつて、それは發句の言葉を詠む時、『一字』の發音に『一音符』のみが對應してゐて、聲樂の場合は、必ずしも『一字』に對して『一音符』だけとは限らず、『二音』から『三音』、長い時には言葉『一字』を、數小節にも及んで幾つもの『音符』で歌ひ續ける樂曲もある程で、それが音樂で歌ふ場合と、『發句』と呼ばれるもので詠んだ時の決定的な差であると言へる。
それをこれから實證(じつしよう)してみようと思ふのだが、『拍子』に就いては既に述べたので省く事にする。
一、旋律に就いて
では、旋律に就いて述べる事にするが、音樂用語では音のいろいろな高さと律動とが連續的に續く事を『旋律』といふが、『詩』の場合は朗讀の時の言葉によつて發せられる音の高低であると言へるだらう。
然し、喋る時の音の高低については、同じ日本語でも、地域によつてはかなりの相違があると思はれるので、絶對的な型を決定するのは難しいかも知れないし、又、この表記法が萬人に理解出來る代物とは思へないが、取敢へず、作者が朗讀する時の音程で、ここに紹介したいと思ふが、音程を表す手段として次のやうな表記法を採用する。
( ̄)=高い音の表記。
(─)=中間の音の表記。
(_)=低い音の表記。
(/)=低い音から高い音へ。
(\)=高い音から低い音へ。
これらの表記法で、うまく音程が表現出來るかどうか分からないが、しかし、少なくとも我々が喋つてゐる音程を、音樂の十二音で表し惡いので、かうするより外に方法がない。
そこでこれらの記號を使つて、芭蕉の發句を朗讀すると、
4|4♪♪♪♪†|♪♪♪♪♪♪♪ |♪♪♪♪†ζ|
閑 さや 岩 にしみ 入 蝉 の 聲
しづかさや いはにしみいる せみのこゑ
このやうな『拍子』になり、これを音程に變へると、
_/ ̄ ̄\_─ _/ ̄─_── ̄ _/ ̄ ̄ ̄\_
し づか さや い はにしみいる せ みのこ ゑ
このやうになると思はれるが、これは極めて普通に詠んだ時で、
_/ ̄ ̄ ̄─ _/ ̄─_/ ̄ ̄─ _/ ̄ ̄ ̄\_
し づかさや い はにし みいる せ みのこ ゑ
これは少し氣取つて詠んだ時の場合である。
ここで氣がつくのは、感情が亂(みだ)れた時を除いて、作が普通に喋る場合、凡そ三音から四音の音程を使用してゐるといふ事である。恐らく、大多數の人もこれに近い詠み方をしてゐるに違ひないと思はれる。さうして、この表記法に『拍子』を加へると、
_/ ̄ ̄ ̄─|_/ ̄─_/ ̄ ̄─|_/ ̄ ̄ ̄\_|
4|4♪ ♪♪♪†|♪ ♪♪♪ ♪♪♪|♪ ♪♪♪ †ζ|
し づかさや|い はにし みいる|せ みのこ ゑ|
以上のやうになる。
次に、この表記法によつて幾つかの作品を羅列して、この項を終へる事にする。
_/ ̄ ̄ ̄ ̄|_/ ̄ ̄\_/ ̄ ̄─|_/ ̄ ̄ ̄\_|
4|4♪ ♪♪♪†|♪ ♪♪ ♪ ♪♪♪|♪ ♪♪♪ †ζ|
ふ るいけや|か はづ と びこむ|み づのお と|
續いて、芭蕉の句で、
_/ ̄ ̄\_─|_/ ̄ ̄ ̄\_──| ̄\_/ ̄_─|
4|4♪ ♪♪ ♪†|♪ ♪♪♪ ♪♪†|♪ ♪ ♪♪†ζ|
ゆ くは るや|と りなき うをの|目 に なみだ|
次に蕪村の句で、
 ̄ ̄ ̄ ── ─|_/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄─|_────|
4|4♪♪♪ †♪ †|♪ ♪♪♪♪♪†|♪♪♪♪†ζ|
ぼたん 散つ て|う ちかさなりぬ|二さんべん|
二、和聲(ハアモニイ)に就いて
次は『和聲(ハアモニイ)』で、和聲とは音樂用語で二音以上の音の連結を指し、これを和音といふが、『詩』に於いては、言葉によつて發せられる音の調和を意味してゐると言へるだらう。
それがどのやうなものかと言ふと、
閑さや岩にしみ入(いる)蝉の聲 芭蕉
この句は、「さ行」の「さしすせそ」といふ音列の「す」といふ音以外は、總て使はれてゐて、獨特の雰圍氣を出すのに成功してゐると言へるのだが、このやうに、ある幾つかの言葉の響きによつて、その調和を試みるといふ事が、『詩』の『和聲』であらうかと思はれる。
これを『詩』の世界では、『調べ』と言つてゐる。
これは作者の「發句雜記」にも、少し觸れた事なのだが、
あえか
あざやか
この二つの内、「あえか」は次に示しやうに、
 ̄─_
あえか
「あ」といふ音が口を大きく開け、高い音程から始まり、次第に口を窄(すぼ)める「え」といふ音になつて、更に「か」といふ詰まる音へと移行して、低い音程になつてゐるので、如何にも弱弱しい感じがするのである。同じやうに「あざやか」に就いても、
─ ̄\_─
あざ やか
「あ」といふ中間の音程から「ざ」といふ最高音へ移動し、「や」で低い音から元の中間の「か」といふ四文字で成立してゐる語であるが、總てが「あ段」といふ口を大きく開く音だから、目に迫る印象が強く感じられるものと思はれる。
次の言葉は「さ行」で、
 ̄\_─_
さ らさら
 ̄\_─_
し らしら
_──
すみれ
_───
せせらぎ
_──
そぞろ
何か切ないやうな美しさを感じさせる言葉で、他に、
 ̄\_─_
は らはら
 ̄\_─_
ひ らひら
_/ ̄ ̄─
ふ るへる
 ̄\_─_
ほ ろほろ
この「は行」の音も、「さ行」と同じやうに感じるのは、作者だけだらう歟(か)。
次に「さ行」と「は行」の組合はさつた言葉で、
_───
いにしへ
_/ ̄\_─
さ は やか
_───
さひはて
これらは、文字で見た時も美しく感じられるであらう。
以上、この項で述べた『旋律(メロデイ)・和聲(ハアモニイ)』といふものに、既に述べた『拍子(リズム)』を加へて、音樂の三要素と言つてゐるのだが、これで『詩』に音樂は全く無關係ではなく、寧ろ、親密な關係である事が理解出來たものと思はれる。本來『名句』とは、これらのものがうまく調和して出來上がつてゐるものを指してゐると思はれる。
猶、作者にこの「拍子論」を書かせるに到つた動機を與へたのは、『大須賀乙字俳論集』の中の『樂堂氏の規格論と余の調子論』といふ文章を讀んだ時、その中に、
「俳句は純音樂的に言へば、五七五ではリズムをなさぬ」
といふ言葉があつて、それに觸發(しよくはつ)されたからであるが、乙字氏と作者とでは、丁度、反對の立場になつてしまつた事になる。
しかし、作者にとつて敎へられる所の多い『俳論集』ではあつた。
一九八八昭和六十三戊辰(つちのえたつ)年十一月二十四日
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