2012年5月27日日曜日

一日一句の發句集『朱い夏(Zhu summer)』二〇一一年度(mixiのつぶやきとTwitterに發表)



一日一句の發句集
『朱い夏(Zhu summer)
二〇一一年度
(mixiのつぶやきとTwitterに發表)


韓徳爾(ヘンデル・1685-1759)の有名な、

ORUGAN CONCERTI Op.,No.,Adagio

といふ作品で、
ロドリイゴの『ある貴紳の爲の』に似てゐると思はれません?
音源は「YAMAHA QY100」で打込みました。
映像は
あぢさゐ寺としてしられてゐる、

大聖寺

で撮影しました。
お聞き下さい。


大聖寺あぢさゐ寺にて 韓徳爾(ヘンデル・1685-1759) ORUGAN CONCERTI Op.,No.,Adagio





一日一句の發句集
『朱い夏(Zhu summer)
二〇一一年度
(mixiのつぶやきとTwitterに發表)


 五月?(日附不明)

田の上の風を迎へて山開く

妻の實家、美作で、マイミクのコンドルさんの求めに應じて作つた句。
こんな風になるとは思つてもみなかつたので、コメントを控へておかなかつた。
以降、氣を附けるやうにした。




五月二十六日

曇る日に心晴らさん薔薇(さうび)かな 不忍

昨日のお晝(ひる)に家族四人で伊丹の荒卷薔薇園に行つて來ました。
雨こそ降りませんでしたが、とても鮮やかに咲く薔薇に至福のひと時を味はひました。


五月二十七日

閉ぢこもる部屋に降りしく梅雨の音 不忍

氣がついたら大阪は梅雨となる雨が降りだしました。
「しく」は「如()く」で部屋にまで降るやうで、それは心の中にまでも……



五月三十日

池の面()に緑かがやく五月晴 不忍

昨日の月曜日は仕入れで、いつも服部緑地を抜けて亥の子谷へ行きます。         
降り續く梅雨の雨が一瞬カラツと晴れた日の事を五月晴と言ひます。
太陽暦と陰暦の差が趣を變化させてしまひましたが……


六月一日

泣きさうな空の重さや山低し 不忍

どんよりと暗い空から微かに顏にかかる小粒の雨。
そんな中を店から歸つて來ました。實は誕生日に子供達から自轉車をプレゼントされました。
その初乘りでしたが、とても氣持良かつた。
少々疲れましたがネ。

松丸 ブディウトモ さん答へて、

贈る人の二輪蹈みしめ梅雨を往く 不忍

といふ心持ちでせうか。


六月二日

取出した扇(あふぎ)も要らぬ夜來雨 不忍

昨夜の北海道は零下だつたといふ。今朝も今朝とて肌寒く、店と自宅とを自動車での移動止む事なし。


六月三日

(かたは)らにあぢさゐしんと曇り空 不忍

晴れきらぬ空を眺めながら、家に歸りました。
永井荷風(1879-1959)に「日蔭の花」といふ作品があります。
こんな気候に紫陽花はよく似合ふやうに感じられます。

コンドル さんに答へて。
自分の人生に疑問を持ち、それが他の人にとつてもどうなのかといふ問題意識が普遍性となつて、作品の創作の切掛けとなるのではないかと愚考します。

暗闇に頼る啼きごゑほととぎす 不忍

といふ所でせうか。


六月四日

四方(よも)を見てうつろふ浮世やアマリリス 不忍

昨日の夕方、店に行く途中に見かけました。
一つの花莖より二つから四つの花が咲く。
私が見たのは四つの花が咲いてゐた。
色は橙で大きな百合のやうだつた。當初は「世をば」だつたが、思ひ通りにならない儚さを考慮して「浮世や」と字餘りにしました。

コンドルさんに俳號として『蒼鳥(そうてう)』を提案。
辭書によりますと「鷹」の意味があり、コンドルに通ずるかと思つた次第です。


六月六日

犬連れの人と會釋や夏の朝 不忍

歩いて店を往来(ゆきき)すると、色々な人と顏馴染みなります。
特に朝方は散歩してゐる人や、ジヨギングをしてゐる人と自然に挨拶を交はして氣持が晴れます。


六月七日

別れ行く河のあぢさゐ向う岸 不忍

曇り空の下を歸つてきました。
天竺川の橋を渡つた時に出來た句です。
                              


六月八日

魚腥草の名前にも似ず白十字 不忍

昨日、店に行く途中、堤の斜面に小さな花が咲いてゐて、みゆきちやん()が「魚腥草(どくだみ)だよ」と教へてくれた。
「實()はどこだみ」といふと、相方はズツコケてゐました。
どくだみは別の漢字もありますが、環境依存文字なので使へませんでした。


六月九日

振返る人ありて見ん夏の服 不忍

美しく若き女性と擦れ違つて、思はず振り向くが、美しく見えるのはその涼しげな服だからなのだらうか。


六月十日

うずくまる人に手を差し延べん四葩かな 不忍  

『四葩(よひら)』とは紫陽花のことです。
その花が曇り空の下に咲いてゐる姿を見てゐると、東北の人々の事に思ひを巡らせてしまひ、感情の亂(みだ)れは上句に八文字が必要となりました。


六月十一日

梅の雨のつぶやき傘に聞く 不忍  

雨が降る日は店まで車で出掛けます。
少し離れた場所に駐車場を借りてゐて、そこからコンビニでビツグコミツクと週刊新潮を買つて、店に行くまでに詠んだ句です。
「黄梅(くわうばい)の雨」は梅雨の事です。

降り出した雨のつぶやき傘に聞く
梅雨入りのそのささやきを傘に聞く

先の句は、これだけの推敲の結果です。


六月十二日

眼の前に實りひろがる代田かな 不忍

ここ二、三日田に水を張つた風景に出合ひます。
みゆきちやん曰く、それを「代田」といふさうです。
七千年前に始められたと云ふ稻作。
収穫に七箇月もかかり、その後に籾などをとるといふ樣々な手間をかけてから、米を炊いて食べるなどと誰が想像したのでせう。
營々と築かれた作業が、米所の東北で放射能の爲に續けられないかも知れない。
(みの)りはどうなるのでせう。
そこに立つてゐると、青々と一面に稻が實(みの)つた状態が目に浮んだが、ふと我に返ると田植ゑ前の水を張つた水田が現實として廣がつてゐる。
この風體を『空想の句』と詠んでゐます。


六月十三日

お好みを燒いて深夜の梅雨の客 不忍

雨が降り續いてゐます。
こんな日のお客様は少ないので、漫畫、讀み放題です!


六月十三日

あしあとを消し去る夏の雪男 不忍

二十世紀からの傳説が一つづつ消えて行く。
今は二十一世紀。馴れるまでは不便を感じてゐるんだらうな。(ミクシイのあしあと變更に一句)

同日

トンネルの木々をくぐれば噴水園 不忍

今日は吹田へ仕入れの日。服部緑地を通つた時に詠んだ句です。
「トンネル」を「隧道(トンネル)」と表記したかつたのですが、見た目にも煩雜なので止め、また噴水「場」音が氣になつて六文字になりますが「園」としました。

覆ふ木々をくぐれば噴水風を呼ぶ 不忍

推敲前の等類の句。


六月十四日

眞直ぐに悔いを見透かす百合の花 不忍

店に行く途中、軒下に百合の花が咲いてゐた。
正面を凛として見詰める樣は、穢れない幼兒(をさなご)の眼差しを浴びたやうで、忸怩(ぢくぢ)たる思ひがする。
明治・大正には米には輸出されてゐたさうである。


六月十六日

適ふとも願ひ隱さん夏月蝕 不忍

殘念ながら曇つて月は見えなかつた。
「夏月蝕」は「かげつしよく」と讀んで下さい。
芭蕉に「暫くは瀧に籠るや夏の初め」といふ句があり、それは「夏()」と讀みます。
音の關係で「か」としました。

コンドル さんに答へて。
それは涙ぐましい事で。
月蝕は見られました? 

恥多き人生なれば夏月蝕 

といふところでせうか。

同日、
Marippeさんに答へて、
殘念ながら、月はなし。

月蝕と雖も曇る月いづこ 不忍

といふところでせうか。


六月十八日

自轉車を雨にまかせて夏を漕ぐ 不忍

今朝は自轉車で帰宅しました。生憎の雨でしたが、走つてゐると夏を滿喫したやうな氣分でした。私は雨大好きです。


六月十九日

問ふ人に答へかねたり梅雨の果 不忍

この雨はいつまで續くのだらうと店のお客様に問はれて、沖縄は明けたさうですがとあらぬ事を答へてしまつた。


六月二十日    

あぢさゐが雨にうつした色模様 不忍

雨に匂いも色もないけれど、なんだか「七變化」といはれる紫陽花に降つた時、吸ひ込まれてその色に染まつたやうに感じられた。


六月二十日

晴れを待つや()のこころ以()て梅雨半ば 不忍

句作に行き詰つた時、遊び心を持つて言葉と戯れながらの句を「月竝(つきなみ)」と言ひ、「月次」が本來の正式なもの。
「ありふれた平凡な」といふ意味。

藝術への手懸り


六月二十二日

晝寢(ひるね)して夢に遊ぶや夏至る 不忍

夏至は二十四節気(にじふしせつき)の一つ。
太陽暦で六月二十二日頃で、晝間が最も長くなる。
夢を見てもいつもより得をした氣分。
下五句は「夏至(なついた)る」であつて、「夏至(げし)る」ではありません。爲念


六月二十三日

寢返りをうつ苦しさや夏の夢 不忍

例年ならば冷房を利用するのだが、被災地の人達を考へると憚られること多くして、我慢を自身に課する。


六月二十三日

名にし負ふあぢさゐ高し大聖寺 不忍

紫陽花で有名な大聖寺に行きました。
住職の寺の樣々な歴史や花に對する親切な解説に、智的な滿足を覺えました。


六月二十四日

水打つて波紋ひろがる石畳 不忍

ヒイトアイランドを助長させる感のある冷房が控へられて、嘗て日常的にあつた風物詩が甦る。
調べたらこの句からTwitterで發表してゐた。


六月二十五日

いづこより鈴の音はこぶ風の道 不忍

我が家は日中でも二箇所の窓を開け放てば風が訪れてくれて、頗る快適に涼しさを味はへる。まだ冷房はつけていない。
この儘でひと夏過ごせれば。

コンドルさん。
「句を詠む」とは「數をよむ」と同じで、五七五と指折り數へる所からきたといふ説がある位ですから、氣にせずに。
人生は夏の夜のやうに明け易いものです。

 短夜やしてる間もなき泣き寢入 不忍


六月二十六日

陽を隱す田の面に浮ぶ夏の雲 不忍

人の營みに自然はいつも應(こた)へてくれる譯ではないので、人間から自然に合せて生活や活動をしてゐるが、時に味方をしてくれたやうな氣がする場面があつて、そんな時に感謝を知つたりする。


六月二十七日

噴水や寢そべつたれば空に降る 不忍

月曜日は恒例の仕入れで亥の子谷へ行きました。
途中の服部緑地の噴水を見て、それをカアテンのやうにして木々を眺めながら心に涼を入れました。


六月二十八日

行く人の影さへ見えぬ夏木立 不忍

誰も求めぬ道を獨り行くと、暑い日射しの中にも夏木立があるやうに、憩ふべきものもあるだらうと思はれ、それは人であったりひつそりとした場所かも知れないでせう。


六月二十九日

透きとほる水槽に棲むや熱帯夜 不忍

水槽に棲むのは熱帯魚ではなく「熱帯夜」だつたといふ、筆者にはかういつた言葉遊び的な面が強くあつて、顰蹙を買はれるかも知れないが、辭()める氣は更々ない。寛恕を請ふばかりである。


六月三十日

虹を呼ぶ空に向つて水を投げ 不忍

「水を撒く」だと夏の季語が「虹」と重なつてしまふので改めました。
上句も「涼しさを」だつたのを改變しました。

虹を呼ぶ山に向つて空に水 不忍

と改めたいと思ひます。ここに來てまだ推敲するといふ未練がましさ。お粗末です。

コンドル さんへ返句。

こきこきと音新しき胡瓜かな 不忍

テなとこです。


七月一日

通常の暑さ教へん化粧室 不忍

ビルなどの洗面室は冷房が利いてゐるが、個人商店ではさうも行かず、夏を滿喫させられる羽目になる。

コンドル さんへ返句。

脅すより肝冷やしたいお化けかな
鏡見て自分を冷やすお化けかな

てなのはいかが!

フニャラモス さんへ返句。

水浴びてこの日ばかりは熱湯いや

テなのは?

コンドル さんへ返句。

囘覧板廻り來たれば判でゲシヨウ 不忍

てなところでご勘辨(かんべん)を!


七月二日

夕立を背中に受けて登る坂 不忍

重き荷を背負ふばかりが人生の總てではなく、時には爽やかな歩みがあつても良からうもん。


七月三日

明けきらぬ曇り空なり梅雨いづこ 不忍

梅雨だといふのにしばらく雨が降らない。
米を潤さずこのまま開けてしまふのだらうか。


七月四日

蒼天はすでに死んだり梅雨日本 不忍

先の第二次世界大戰で國民は反對(はんたい)出來なかつた。
今度の原發でも反對しきれぬ儘に作動してしまつた。
その結果がこれである。
國民の犧牲を他所に權力者が袖の下で潤ひ、一部の企業家達もそれに倣ふ。


七月五日
さきに發表した句。

蒼天はすでに死んだり梅雨日本 不忍

これは季語はあるものの時事を扱つてゐるから川柳といふべきか。
そこで前句七七を附ければ、

厭だと言へぬ身過ぎ世過ぎよ 不忍

同日。

方言を戸板に乘せて即(そく)辭任(じにん) 不忍

全く何しに行つたのやら、松本復興相。


七月六日

どんよりと空低うして青田かな 不忍

「青田買ひ」といふ言葉があるやうに、未来に秘めた希望の芽を見守る氣分。


七月七日

(ぬし)が來て黒塀(くろべい)粋に牽()かされる 不忍

前囘の前句七七を受けてもう一句。
大店(おほだな)の主(あるじ)が花魁を身請けして、黒塀のある一軒家に圍(かこ)つた。
有體(ありてい)にいへば愛人をつくつたといふ事で、洋の古今東西を問はない色模様。

同日。

降りやまぬ雨をさかなに聞く蕭邦(シヨパン) 不忍

ピアノの詩人、蕭邦(シヨパン・1810-1849)に『雨だれ』といふ曲があります。それを蹈まへて、こんな思ひ入れたつぷりの作句をしてしまひました。


七月七日

雨なれど雲の上では星祭り 不忍

生憎の雨で地球からは牽牛と織姫が逢ふ場面を見られないが、雨雲の上では幸せなひと時を過ごしてゐるのだらう。
丁度地方で放映された番組が見られないやうなものである。
全國放送ではないのである。


七月八日

逢ひ見てのひととせ待たる七夜明け 不忍

百人一首の藤原権中納言敦忠(ふづはらのごんちゆうなごんあつただ)の歌を面影にして、一年後の逢瀬を託してみました。
来年こそ晴れん事を願つて。


七月九日

向日葵が雲從へて高く見ゆ 不忍

「從へて」が「聳え」るやうに見えるをかしさを感じてゐます。


七月十日

梅雨明けてけふより晴れも名乘りなし 不忍

梅雨の間に晴れば「五月晴」といふ名乘りが出來るが、それが過ぎれば「晴」とのみ言はれ無官である。
今日からは浪人のやうに名乘りを上げられないといふ理窟の句である。
こんなのは面白くも何ともない。
昨日の作だが戒めの爲に發表する。Twitterからmixiへ轉送されてゐないので二重(ダブ)るかも知れませんが。


七月十一日

風入れて涼しさうなる調度品 不忍

自分が涼しい事の婉曲的表現。


七月十一日

風を背に受けて湧きたつ雲の峰 不忍

吹田へ仕入れに行く時に、氣持がいいほどの入道雲を見ることが出來ました。


七月十二日

遠き山と雨の青田に染まる風 不忍

雨の中でも風を感じながら青田と遠景にある山を見て逍遥する。


七月十四日

鳥鳴いて教はる朝の夏の風 不忍

朝五時に店が終るとすつかり夜が明けてゐて、何處からか鳥の鳴き聲が風に運ばれ來る。それを聞きながら探すともなく家へ歸つて行く。


七月十四日

目を閉ぢて仰ぐ瞼に朱い夏 不忍

今日は眠られないので午後二時には家を出て、途中でドトールで珈琲を飲んで、それから店に行く間に詠んだ句です。


七月十六日

明けきらぬ空の切れ目に紫雲かな 不忍

明方に店の表に出ると、東の空がかすかに紫色がかつて見えた。
なんでも佛が乘つて來迎するとされる雲ださうである。


七月十七日

朝焼けの人來ぬ道や赤信號 不忍

人氣のない赤信號の背後に鮮やかな朝焼けを見ながら、自宅へと歸ります。


七月十七日

そよぐ木にやつとの思ひ蝉の聲 不忍

今年はどういふ譯か蝉の聲が聞かれないと思つてゐたら、朝方になつて出し拔けに蝉の鳴き聲が出現した。
それは本當に豫期せぬ事で、「出し拔け」といふ言葉がピツタリする状況だつた。


七月十八日

波荒れて手持ちぶたさに海開く 不忍

どうせ濡れるのだからかまはない筈なんだけど、そこはそれやはり泳いで濡れたいもの。
一端さうなればなんでもありなんだけれど。


七月十九日

降りやまぬ雨の底ゆく蝸牛 不忍

龜に似て歩みの遲き蝸牛、このまま句になりさうなものだが、どんな苦しい状況でも焦らず慌てず先を見据ゑて一歩づつ。


七月二十日

鳴く蝉の思ひのたけに光る雲 不忍

雲を光らせる程の太陽の輝きに、夏は盛りなり。


七月二十一日

他所で鳴る風鈴を聞く旅歸り 不忍

馴染みのない土地では「郷に入つては郷に從」はねばならない。
住み慣れた我が家なればこそ「向かう三軒兩隣」


七月二十三日

鳥翔ける灰色の朝風涼し 不忍

今年の夏は何だかをかしい。蝉の聲が聞けなかつたり、急に温度が下がつたりして、今朝も雨が降るかのやうにどんよりと涼しい。


七月二十四日

煙りなき風呂の煙突夏の朝 不忍

涼しくて靜かな夏の朝早くに歸宅する途中、天に聳えるやうな風呂の煙突を見た。
それは人氣(ひとけ)のない町を見守るやうにだつた。


七月二十五日

月高く夏を忘れてながめけり 不忍

日曜日の夜中は店が特に暇なので、外に出ると涼しげな月があつた。
今日は過ごし易い夜だつたので何度も月を眺めてゐた。


七月二十六日

夏の月殘したままで朝の道 不忍

仕事を終へて自宅へ歸る朝、まるで蕪村の句のやうに月と太陽が天空にありました。


七月二十七日

降るごとき蝉の聲聞く朝の風呂 不忍

店から四十分かけて蝉の鳴く中を歩いて歸宅して、蝉が鳴き仕切るに任せて汗を流さうと冷たい朝風呂に入る。
命の限りを盡くすその聲を聞きながら……。


七月二十六日

その家の佛桑花(ハイビスカス)が在所かな 不忍

とある家の庭先に佛桑花(ハイビスカス)が咲いてゐた。
買い物にでも出かけてゐるのか住人の姿は見えないが、遙かな田舎を偲んで丹精を込めてゐるのだらうか。


七月二十八日

夕立ちを追ひかけて來る晴間かな 不忍

晴間を夕立が覆ふのか、それとも夕立が晴間に、詰り、陽畫(ポジテイヴ・Positive)か陰畫(ネガテイヴ・Negative)かといふ差であらうか。


七月三十日

解きはなつ脱殻ひとつ蝉の聲 不忍

當初「解脱の後や」をかく改めた。
發句仲間の蒼鳥女史の句、

空蝉やソテツ掴みて即身佛

に想を借りて出來たので、手柄は私にはなく、彼女に歸する。
所謂「等」である。


七月三十一日

降りさうな雨のかはりや蝉しぐれ 不忍

なんだか怪し氣な空模様で、降るかなと思つたら、それより先に蝉が一齊に鳴きだした。
中句の七文字目の「や」が「に」でない事を玩味すべし。短歌は「五七五」と「七七」による原因と結果の表現が可なれど、その許されざる字數の發句は切字こそ大切なものなり。


八月一日

水垢離の瀧に見立てん夏の風呂 不忍

湯も張らずに空風呂の儘でシャワアから水を浴びる。
これで蝉の聲を聞きながら合掌などをすれば、身は深山幽谷にあるが如き氣分。
まことに安上がりな旅行なり。


八月二日

どの音もわれに吹き來る風の鈴 不忍

家にゐても表を歩いてゐても、自分のものでもないのにわが物として有難く受取つてしまふ風鈴の音が、今日も涼しげに耳に響く。


八月三日

明けきらぬ朝や葉月の歸り道 不忍

午前五時に店を終へて歸る時、八月になつたからか空は暗く紺色で、遠くの家竝の上がかすかに赤く見えるだけで、まるで朝に向つて歸つて行くやうだ。

コンドルさんに答へて。
三日月と素敵な夜を過ごせたやうですね。

引寄せて膝枕せん三日月に 不忍

といふ所でせうか。
殘念ながら三日月は秋の季語ですが、八月三日の三日月は陰暦のそれを指してゐます。  

同上。

   田の上に日射し隱して雲走る 不忍

降りさうな空を眺めながら仕事場へ向ふ途中で詠みました。


八月四日

名にし負ふ山にのぼりし三日月城 不忍

昨日は一日、妻の美作の母親が津山の病院に入院したので見舞ひに行つて來た。
夜の八時ごろに三日月城址を通過する時、三日月が見えた。
城跡の山の中腹にライトアツプされた三日月も見えた。


八月五日

かきくもる空ゆふだちの田に光る 不忍

五日の夕方、長い事お目にかかつれなかつた本格的な夕立が降つた。
雷の音と共に一天俄かに掻き曇つたかと思ふとこの世も終るかとノアも驚くやうな雨が激しく降つて來た。


八月六日

揚げ花火遲れた音に殘る夏 不忍

淀川の花火大會があつた。花火は秋の季語でありながら、花火大會は夏に開催され、その終りを告げるやうな行事(イベント)となつてゐる。
夜空に美しく咲く花火に遲れて音が川面を渡つてくるやうだ。


八月七日

行く夏の蝶の影蹈む陽射しかな 不忍

暑さはまだまだ殘つてゐるが、何處となく秋の氣配を、爽やかな佇(たたず)まひが空や雲に感じられる。


§


發句を始めて何十年となるが、眞逆(まさか)こんな事になるとは思つてもみなかつた。
これが日課のやうになつてしまつた。

     二〇一一年十月十日午後四時半




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